赤ちゃんは「さ、寝よか」とは考えない。
これは子育てをする前には気づかなかった盲点だ。赤ちゃんには大人の常識は通用しない。
どういうことか? 大人は就寝する際、「さ、明日も早いしそろそろ寝なあかんなぁ…横になって目つぶるか…」と、考えてその通りの行動に移す。これは意外と高度なことをしているのだ。まず、下記の3つの前提を理解していなければならない。
【1】自分の調子が悪い原因は、眠気である。
【2】眠気は睡眠によって解消できる。
【3】睡眠に入るためには、体を横たえて静止し、目をつぶる必要がある。
これが、赤ちゃんにはむずかしい。自分の調子が悪いということはわかっても、その正体が理解できないのだ。そして、調子が悪いため泣き叫び、興奮し、ますます眠れなくなる。子育てをしたことのある方なら、見慣れた光景ではないだろうか。
子育てをする前までは「赤ちゃんは無限に時間があるから、眠くなったら寝るだろう」と考えていた。甘かった。赤ちゃんに寝てもらうためには、自然な寝落ちに誘導していく必要がある。ねんねにもトレーニングが必要なのだ。
私たちが当たり前に行なっている睡眠も、食事も、トイレも、お着替えも、小さい頃トレーニングを受けてきたからこそなのだなぁと、改めて実感した。歩くこと、話すこと、手を使って作業すること、これらも同じだ。
資本主義社会では、家庭の役割はずっと無視されてきた。「家事・育児は年収●●万円に相当する」なんていう言説が出てきては、サラリーマンたちが反発してきた。僕もこれまでは反発していた。「金を稼いでなんぼだ」と。しかし、明らかに僕たちは、金を稼ぐことだけを重視しすぎて、資本主義の舞台に登場しないものを軽視している。
その反動は少しずつやってきている。舞台上で華々しく演じるサラリーマンたちの多くが、何か高度で社会にとって欠かせない役割を果たしているかのような幻想は、『ブルシット・ジョブ』によって、エッセンシャルワーカーという言葉によって、少しずつ切り崩されている。
僕たちサラリーマンは、家庭の役割を軽視してはならない。僕たちがやっているミーティングや資料作り、プレゼンといった儀式…言い換えれば「ごっこ遊び」は確かに収入源になるが、社会にとって有益かどうかは別問題だ。
子育て…もうちょっと頑張ろう。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!