眠いから仕事を休むことにする
僕は最先端のトレンドに敏感な男である。
最近はナウなヤングの間で流行っていると噂のバチェラーのシーズン1を観ていた。11時。見終わって、結果になんだか心が揺れ動いている中で寝ようとしたら全然寝付けなくなってしまった。
明日は仕事だ。6時には起きなければならない。しかし、眠れる気配が全くない。11時にはベッドに入ったが、今は深夜3時である。
無理だ。仕事は休もう。
僕は車を運転しなければならない仕事なわけだが、こんな状況で運転なんて危なすぎる。というわけで休むことにする。
これはやむを得ない事態なのだ。それなのになぜか僕は、ほんの少しの罪悪感に駆られている。なぜだろうか。僕が眠れなかったのは僕のせいではないし、徹夜明けで運転するなどという危険極まりない行為をするくらいなら休んだほうがいいというのは極めて合理的な判断なのだが、なぜだろうか。
「仕事」というものは、他の何を犠牲にしてでも取り組まねばならないというオーラに包まれている。休日は仕事のためのリフレッシュに過ぎず、休日に遊び過ぎて仕事ができないというのはあり得ない。平日の仕事終わりも翌日の仕事のための準備期間であり、仕事をおろそかにするようなことはあってはならない、というオーラだ(人はそれを「勤労主義リアリズム」と呼ぶ)。
僕たちが仕事に全力投球しなければならない理由は社会的なものであり、それ以上でも、以下でもない。仕事に全力投球しなければ死ぬわけでもあるまいし、社会が崩壊するわけでもない。ならばもっと気軽に休めばいいのである。なんかだるいから休むとか、眠れなかったから休むとか、そういうレベルでいいはずなのだ。
なんなら僕は今からバチェラーのシーズン2を見始めたって問題はないのである。今週1週間でシーズン4まで全部見てもいいのである。世界はそれでも回るのだから。
僕は自分が休んでも「誰かがなんとかする」と思っている。逆に自分以外の誰かが休んでも「まぁなんとかしよう」と思ってしまう。だから、別にそこまで休むことに対する抵抗はない。「俺がいないと回らない」なんてことはないのだ。
1日や2日くらい客を待たせたっていい。なんでそんなことで生殺与奪を握られているような感覚に陥らなければならないのだろうか? 答えは簡単で、実質的に生殺与奪を握られているからだ。僕たちは基本的に金を払う人に生殺与奪を握られている。
だからベーシック・インカムが欲しいのだ。生殺与奪を握られなくなったら、いつでも気軽に仕事が休めるようになるし、いつでも仕事を切り上げられるようになるし、仕事が捗るようになるだろう。
まぁとは言ってもBIはまだ配られていないけれど、実際のところ生殺与奪が握られているとはいえ、実は大して握られていなかったりする。最悪会社をクビになるくらいの話である。子ども2人と妻の暮らしはどこか親戚に預けて、僕は日雇い労働でもすればいいし、最悪、生活保護や刑務所もある。死ぬほどのことではない。つまり、軽いノリで休めばいいのさ。
みんなも休もう。休めないほうがおかしいのだ。仕事なんて遊びなのだから。
おまけ:お便りのコーナー
アイコンは、僕の写真をAIでイラスト化したのだが、もちろん「刃牙風」などという呪文を入力したわけではない。そもそも僕は刃牙など読んだこともないのである。それなのに刃牙感は溢れ出ている。が、割とかっこいいので、刃牙感に目を瞑りながら使っている。
前の青いアイコンも、一応本人である。
どこかの水族館だったかで撮られた僕の後ろ姿である。今見ると2018年の写真だった。古い。ちなみに僕のLINEアイコンは2016年の画像のままである。もう7年分もサバを読んでいるようなものだ。
刃牙のアイコンもそろそろ飽きてきた。というか、もう顔出ししようかなという気分になっているのである。僕は人にバレるのが嫌で顔を出していなかったが、最近は少しバレたいという気持ちになってきた。
僕は意味不明なことをたくさん書いているので、それを観た知り合いが、どんな反応をするのか見てみたいのだ。近いうちに決心がついたら顔でも出そうと思う。
では、そろそろガチで眠くなってきたので、寝ようか。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!