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グレるタイミングを間違えた【雑記】

※インスパイアードby無職詩人

学生の頃は日がな一日ゼルダの伝説をプレイするような人生を過ごしていた。だからと言ってドロップアウトするわけでもなく、単位はきっちり取って、卒論も卒なくこなしてダブることなく卒業。

それでも就職活動には適応できずに結局のところ就職せずフリーターになった。でもそのままドロップアウトしてアウトローの道を突き進むわけでもなく、好きな夢を追い求めるわけでもなく、半年後にやりたくもない仕事に適当に就職した。

気づけば結婚して子どもが生まれた。そして中途半端に仕事を続けてから、とくにやりたかったわけでもないがやたらとお願いされたので、家業を継ぐために転職した。

なにかに本気で取り組むわけでもなく、ちょくちょくサボる。かといって本格的にめんどくさいことになる前に最低限のやるべきことはやる。僕の人生を振り返ればわかる通り、僕はいわゆる真面目系くずである。

ところが、僕はいま真面目系くずとしての人生に終止符を打とうとしている。ようやくやりたいことが見つかった。家業を継ぐ道を断念して、自らの思想を普及するための出版社を立ち上げた。

いま、親戚たちにはメチャクチャ反対された。いまはぼんやりと濁したままこっそりとプロジェクトを進めているわけだが、本格的に賛同してもらえたわけではない。

そりゃそうである。完全に僕はグレるタイミング‥というか博打を打つタイミングを間違えている

大学でドロップアウトして好きなことを追い求めていれば誰もここまで文句を言わなかっただろう。それか学生起業家として華々しくデビューしようとすれば応援してくれる人は多かったはずだ。あるいは20代の独身のうちにインドあたりを旅してからでも遅くはない。

なんでまた子ども2人と住宅ローンを抱えて、このタイミングで博打を打とうとしているのやら。家族4人の人生をコインに変えてスロットを回そうとしているのやら。周りから見れば理解不能である。

でも、僕にだって反論はあるのだ。やりたいことが見つかったのが今だったというだけの話である。アンチワーク哲学なるものを思いついたのが今だったというだけの話である。おそらく結婚してなくても、子どもが生まれなくても、2つの職場を経験していなくても、コロナ禍に『ブルシット・ジョブ』を読まなくても、僕はアンチワーク哲学を思いついていないだろう。これは雪だるまのように膨れ上がった僕の人生経験そのものなのである。

つまり、こうなってしまった以上どうしようもなかった。

そもそも、たかだか子ども2人と家を抱えているくらいでやりたいことができないのなら、それは社会の方がおかしいのだ。10人の子どもを育てるために人生を棒に振らなければならないのなら、身の丈に合わない大豪邸に住むために奴隷同然に働かなければならないのなら、まだ理解できる。しかし、ギリギリ人口を維持できる程度の子どもとささやかな一軒家である。それだけを手にするために人生をすべて我慢しなければならないなら、なんのために人類はここまでやってきたというのか? 人生100年時代ではないのか? なぜ30年かそこらで人生が確定され、残りの70年を敗戦処理に費やさねばならないのだ?

そもそも僕はそんな社会を変えたいし、変えるべきだと思った。それは誰かがやらなければならないけど、誰もやらないトイレの黒ずみ落としみたいなもので、たまたま僕が人類の中でトップクラスの綺麗好きだったというだけの話なのである。

本来なら、まとも書房の旗揚げは万人から拍手喝采で迎え入れられて欲しいのだ。「よくやってくれた! 俺にはできなかったし他の誰にもできなかった。でも君はこの黒ずみを落としてくれるんだろう? なんて素晴らしい志だろうか。君のような男が現れるのを全人類が待ち侘びていたよ」と岸田文雄から謝辞を送られ、天皇陛下から勲章を貰ってもいいレベルである。なんと言っても僕は全人類を労働から解放しようとしているのだから

もちろん、拍手喝采にはならない。それに、博打のタイミングを間違えている。それを自覚してもなお、やりたいと思えるのだから、僕はそれだけやりたいのだろうな。黒ずみに気づいてしまったらもう後戻りはできない。思いっきり掃除してやろう。


1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!