BAR0214【平安編 ~テンバイ峠の怪~スピンオフ】
BAR〇二一四 平安編 テンバイ峠の怪
この物語は、みやびとは裏腹にドロドロとした戦いが続いていた平安時代末期の頃のお話。紀伊国のとある茶店に立ち寄った商人「政(マサ)」の体験した不思議な話である。
なお、伝わりやすくするため雅な言葉は現代語に翻訳している。
◇◆◇
一、宿を出て
紀伊国のとある峠に骨董品屋があり、そこにはこの世のものとは思えないほど美しいかんざしがあるが、偏屈な店主は全く譲らないらしい。その噂は都にも響き、それを武将の奥方に献上してご機嫌を取ろうとするギラギラとした商人たちが多くいた。
変わり者の商人マサは何者にも左右されることなく、ただ自分がピンときた魅力的な商品を都に運ぶことだけに情熱を注いで毎日を暮らしていた。マサは皆が言うそれを欲しいとも思わなかったが一度くらいは見てもいいかなと、紀伊国の買い付けの途中、山奥にあるその峠の骨董屋に立ち寄ることにした。
秋は矢のように通り過ぎ、霜が一気に冬を伝えに来た朝のことである。マサが宿屋を出る時にはもう吐く息が白くなっていた。
「どうもぉ。ええ宿やったわ〜ぁ。お湯も気持ちええし、最高でんな」
「ありがとうございます。皆様に『美人の湯』と親しんでいただけて幸いでございます。本日は高野山にお参りですか?」
「どおりでおっちゃんのお肌もピチピチやでぇ。あ、今日はな、全然売らへん偏屈店主が持ってるかんざしとやらを見に来てん。別に仕入れようと思わへんけどな、そんなに噂になってるんやったら見てみたいやんか」
宿屋の主人の顔が一瞬凍った。
「お客さん、悪いことはいいません。あの峠の茶店は地元のものも近づかないのです。やめたほうがいいと思いますよ。なんでも、変な格好のした女がにっこり微笑むと欲しくないのに買ってしまうらしいんです」
「おひょ。それはますます見て見たくなったなぁ。ワシはこう見えても商売人。そんな女には負けまへんでぇ。で、その茶店か骨董品屋か分からない店はどこにあんのや?」
「うーん。そこまで言うなら案内しますけど…。ここから下流に向かって三里ほど行くと、天拝峠という峠があります。その峠のてっぺんの茶店の奥に置いてあると言われています」
「転売峠?こりゃまた、売りたいのか買いたいのかわかりまへんな」
「いや、天を拝むと書いて『てんばい』ですよ。ここだけの話、絶対ここだけの話ですよ。実はわたしもあのカエルの置物を買ってしまったのです」
宿屋の主人は玄関先にある緑色の親子ガエルの置物を指差した。
「いや、でも不思議なことに、このカエルが来てから、お客様が増えたように思います。そういえば、あの時いくら払ったかも覚えてないですけどねぇ。それ以上にご利益があるんでしょうね。ただ、その店主らしき女のことを思い出せないのです」
「うひょ。それを聞いてますます行きたくなったでぇ。商売人同士、女でも関係あらへん。商売繁昌の御利益があるんかいな。有り難いなぁ」
「でも、気をつけて下さい。なかにはあの店に行ったことすら思い出せない若者もいましたから。そういやあの若者、いつの間にか出世して京へ上り、この前の戦でひと旗あげたとか。その後どうしてるかは知りませんが……」
「あいよ!気ぃつけるでぇ」
宿屋の主人は心配そうにマサが見えなくなるまで見送っていたが、マサはそれにも気づかないくらい勇み足で歩きつづけていた。空は雲ひとつなく、一羽の鳶かカラスが舞っているだけだった。
二、テンバイ峠
川沿いにつづく道はくねくねと上がったり、下がったり、三里は思ったより遠く感じた。ようやく峠がみえてきた頃、一人の女がてっぺんからマサを見ていた。まるでマサが来ることを知っていたかのように、大きく手を振っている。
「うひょ。噂通り、女がおるでぇ。気合いれるでぇ」
マサが店に着くと、女はお茶を出しながら腰掛に案内した。
「ようこそお越しくださいました。どうぞ、こちらでお休みください」
「悪ぃなぁ。ワシ、茶ぁ飲みに来たんちゃうんやでぇ」
「タダですよ。お茶はサービスです。高野山にお参りに行かれる方が多いので、少しでも助けになればとお出ししているのです」
「無料?さーび酢。酢入ってんのかいな?珍しいなぁ。あっ、ホンマや。でも桜のいい香りでんな」
「春に桜の花を漬物にしておいたものを、お茶にしてみたんです。お口にあったようで幸いでございます」
「ほぉ。すごいなぁ。いや、ワシな、噂を聞いて来てん。綺麗なかんざしを売らへんというのはあんたか?」
マサはど真ん中直球で聞いてみた。
「そのような噂を聞いて、みなさまいらっしゃいますが、ここはただの茶店でして、どこでどのようにそうなったか存じませんが……。旅のお方に役立てばと並べて置いてある品々も、日用品ばかりですよ」
「ふうん。確かにそんな感じやなぁ」
手ぬぐいや細筆、お茶葉、このあたりで採れた柿が並んであったが、噂で聞くような飾りものはどこにも無かった。ふと、店先の大きな籠の中を見るとごちゃごちゃと何かがたくさん入ってあった。今で言うワゴンセールの棚のような状態で、それはまぁいろいろと入ってあるのが見えた。
「このカゴの中のは、売りもんかいな?」
「いえ、旅のお方がお礼にと置いていってくださるので、また次の方に役立てばと、並べてあるのです。もし気に入ったものがあればお持ちくださいませ」
何だか高そうな筆や綺麗な反物、不思議に光る石や、子どものおもちゃまである。マサは品定めをしながら、宿屋の主人の言葉を思い出した。もしかして、こうして次第に目を慣らして最後に高額なかんざしを見せるつもりなのかもしれない。
「こっちの方が高そうなのに、なんでお前さんは、日用品しか売らへんの?この反物も自分で使こてみやんの?」
女の着物は所々綻んでいる。新しい反物で織って着ればいいのに……とマサはそう思った。
「私は毎日を生きるのに十分なだけを少しずついただいておりますので」
少しニヤリと笑う女の口元に、マサはゾクッとした。
「ほんで、噂のかんざしはどこにも無いんやな?」
「ええ、これ以外は」
女は少し頭を下げると、右耳の後ろあたりそっと隠すように挿してある玉のついたかんざしを見せた。それはもう誰もみたことのない美しい煌めきをもつ玉で、ふっと雲間から出た太陽の光を浴びて蒼く光った。
「なるほど、これのことやったんやなぁ。そりゃ自分の使てるもん、誰にも売らへんわなぁ。わかるでぇ、大事な人にもろたんやろ?」
「そうなのです。これは以前、お慕いしていた殿方からの唯一の贈り物。手放すわけには参りません。たいていの方はこれにお気づきにならずに帰ります。でも、ひどい時は店の隅々まで散らかしながら探して帰られた人もいましたので、誰彼構わず頭を下げてお見せしていないのです」
「うひょひょ。おっちゃんは見れただけでも得したなぁ。そや、この反物、買うたるわ。高野山にお参りする人にお茶出したんねんやろ?お茶代の足しにしぃや」
「なんて嬉しいお言葉…。ありがとうございます。でもそれは貰い物ですから、お代は結構です。その代わり、ここに来たことは忘れていただかないと……」
女はそう言うと、すぐにマサの胸元に飛び込んだ。これにはマサもびっくりである。何かが首元に触れたその時、急に目の前がぼやけ始めた。急に太陽が雲に隠れ、あたりは今にも雨が降り出しそうな暗さになった。
『正月は、みんなでごちそうがいいなぁ』
すーっと夢の中へと落ちていくマサの顔は商売人ではなく、ただ優しい父の顔をしていた。
三、目覚め
「お客さん、お客さん。もうそろそろ起きてくださいな。さぁ、大阪まではまだ遠いですよ」
「あぁ、悪りぃ悪りぃ。どうもぉ。おおきに。ごちそうさーーん」
茶店の女に起こされたマサはハッとし、寝ぼけ眼のまま歩き出す。首元に虫刺されのあとがあるようで気になりポリポリとかいたが、不思議と痛くも痒くも無かった。
『そうか、峠の茶店まで来て疲れて寝ていたんやな。』
マサはぼやっとしながらも、すんなりと納得していた。峠を早足で下りながら、大阪のお母ちゃんを思い出した。はよ帰ったらななぁ。ちょっと寝たからか、何だか気分もスッキリしたし、綺麗な反物も買い付けた。そういえばいくら払ったのだろうかと、慌てて財布を確認する。お金を支払ったはずなのに、金は減ってはいなかった。
まっ、ええか。
もともと楽天家のマサである。宿屋の主人の話も、かんざしの話も忘れていたが、マサの心は確かに温かい何かで満たされていた。大阪に戻った次の日、その反物はすぐに高値が付き、売れていった。マサはこれで家族みな揃って、ゆっくりと正月を過ごせるだろうと一安心した。
マサが訪れた峠の茶店の辺りは、昔から肉吸い(吸血鬼)と呼ばれる女の妖怪が出るという噂の場所である。鬼女に血を吸われた者は少しだけ記憶を失ってしまうという話や、どうしてか血を吸う代わりにその者の夢を叶えてやるという奇妙な術を使ったとも伝えられている。
もしかしたらマサが出会ったその女は……。
今となってはもう確かめようもないが、高野山にむかう途中の小さな町には今なお、『天拝峠』と呼ばれる峠があるという。
【あとがき】
マサのような商売人がいたら、楽しいだろうなって思うんです。
いつか、お会いできますように。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
2021.03.16 愛と感謝をこめて
香月にいな
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