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そんなに「理想の自分」になりたいか? ほんとうに? という話

問いかける猫。

これついったでまわってきて、「向き不向きがある」と思ったのでメモ。

「理想を作り上げてそこへ一歩ずつ近づいていく」っていう論はこれに限らず、いろんなところで見ます。
なるほどね! と実践したこともあったんですが、これがうまくいく人は向き不向きがある気がしてます。少なくとも私にはむいてない。

理想を練り上げてそこに近づけ系でざっと思い出せるのはこのへん。

ダイエット本もそういうのが多いですよね。

でも私の場合、理想像とか山頂を見上げたりとかしても「ほーーー……」ってかんじで他人事で、そこに向かって進むぞ! と思えない。

理想を作る力と分析力が強いからか「いやでもそうはなれんやろ」が先にたつんですよね。私の「こうなれたら人生楽しいんだろうな理想だろうな」っていうのはどう考えても骨格ナチュラルのブルベ夏ですが、現実のわたし自身は骨ストのイエベ秋で、「目指したってどうにもならない」が理解できてしまう。じゃあ自分の素材の範囲でなれるような理想を……と捏ねてみてもそれは「理想」ではない。

理想のファッションって言ったってガチのマジで理想でこういうふうに過ごせたらいいだろうな!人生楽しいだろうな! っていうのは私にとっては大正スチームパンクです。
な? 無理だよな? いや全く無理とは言わないけどそれを管理して貫けるいろんなコストが現実的ではないよな?

↑いろんなコストを乗り越えてスチパン風インテリアとファッションで生活する人がいるにはいるけれども。

「理想に近づく」のはつまりトップダウン式ってことです。ではなく、あくまで私の場合、ボトムアップ式でやったほうがだいたいうまくいく。

英語をペラペラになる、ではなく毎日一時間英語学習に割く、理想のスタイルになるために30キロ痩せる、ではなく間食をせず毎日30分は運動する、みたいな、「手段」だけをこなして、その手段がつれていってくれる場所を見る、というのが、たぶん一番、一番いいと、わかってるんだけどなあ!!

理想に向かって一歩ずつ、というのはある種の雑な分析力(骨ストイエベ秋だけどがんばれば骨ナチュブルベ夏になれると信じられる心)、そして理想を絶対に手にいれるという執念ではないかと思っています。

で、私は無駄に分析力があるし飽きっぽい。
なので「手段」そのものに快楽を感じられるボトムアップで日々ただ瞬間を積み重ねていく、しかないんだろうなあ……
でもこのボトムアップも長い道のりに行くまえに飽きるんだよなあ……そこで理想が役に立つのかな、いやでも「無理」ってわかっちゃってる理想しか作れないし妥協した理想は理想ではないしなあ……

あ、服に関しては「自分が管理できる形と素材」を把握して、その中で完成度を高める方法がおすすめです。


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