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数年ぶりにまじめにイラスト描いたので記録

ここ2ヶ月ほどこれ作ってたのでnoteろくに書いてませんでした。
で、作ってて思ったこといろいろ。



十年ぶりくらいにまじめにお絵描きした

しました。
もともと漫画描くタイプのオタクだったんですが、ストーリーをアウトプットするには漫画はコスパが悪すぎると気づいてから文章に転向して、あと昔部屋中のものを捨てまくったときに棚の中にほぼ手付かずの技法書が残ったことにぞっとして、もう絵はメインでは触らないぞと決めて、まあ十年というかたぶん15年くらい描いてなかったです。たまに添え物程度の、30分以内で完結するようなものを賑やかしに描いたことはあったけども。

でも今回作る本で「文字だけじゃなくてやっぱりキャラクターの絵がほしいな……とはいえ頼めるような関係性のある人もいないし自分でやるか、下手でもむしろ同人誌っぽくなるからオッケーでしょう」と心の税関を抜けて、描きました。

描く時に気をつけたこといくつか

あくまで今回の本(自ジャンルバージョンのタロットカードを考えてみる、という需要謎の本)では絵は挿絵なので「あれば良い」をゴールにしました。

で、決めたことがこんなかんじ。

下絵はアナログでやる

これ始めたときはうまく言語化できなかったんですが、描いてなかった期間でもちょいちょい描こうとした際に構図出しからデジタルでやるとなぜかいつまでも決まらない、という問題があったんですよね。でも紙に鉛筆で描くとなんでか楽しいしまとまる。
なので下絵まではアナログでやって、その先は写真撮ってipadで進める、という形にしました。

ネタ出しは紙にやったほうがよかった

何枚か描いて気づいたんですけど、デジタルで構図からやろうとすると「あっという間にそれっぽい線画が完成してしまう」んですね。これが素人には逆に枷になる
デジタルでゼロベースでやれるのは「描くべき構図/ポーズが描き始める前から決まってる」レベルの人間でないと難しいんではないかと考えてます。

たいして練ってない構図/ポーズでもあっというまにそれっぽい線画が完成してしまうとそこからやり直すのに強めの心理負荷がかかるっぽくて、構図の段階で疲労してしまうというか。案を作り直すだけなのに完成品を破棄したような感覚になってしまうというか。

ただ、上手い人のゼロベースタイムラプスとか見るとけっこう頻繁に構図変えてたりするので、これは脳がデジタルのラフ画をどういうスタンスのものであると認識するか、という問題であるようにも思えます。ちゃんと今描いてるものがネタ出しにすぎないと捉えられていれば大丈夫なんでしょうね。

デッサン人形、3D素体を使い倒す

おえかき練習してる、しはじめた人たちを見ると、どうも「上手い人間は何も見ないで描けるようになる、見本がないと描けないのは素人」という強固な信念(まちがい)を持っているように思われます。

そんなことはない。

見ないで描けるように見える人たちは「一度描いたことがあるものを思い出しながら再現してるだけ」だし、エロ漫画家の人たちは高価なデッサン人形複数所持してるし、ジャンプ作家だって3Dモデル使うし、アニメーターの人も「見ないで人体描けるなんて思うな」みたいなこと言ってたし、なんなら最古のイラストレーターとされるライエンデッカーだってミュシャだってモデルと小物ぜんぶ集めて撮影した写真を使ってた。

ライエンデッカーのフォロワーのノーマン・ロックウェルは元絵にする写真を撮るためのスタジオ小屋まで持ってたしかなり写真ベースに描いてる 引用:https://polytopi.com/norman-rockwells-reference-photos/

じゃあデッサンとかジェスドロが何をしてるのかっていうと「見たものを描けるようになる」訓練にすぎない、というのが私の持論です。実際、この訓練をまったくしていない(=デッサン力がない、と呼ばれたりする状態)の人が3Dモデルやイラストをトレスしてもどうしようもない違和感が残るわけで。

というわけで今回はiPadのアプリEasyPoserと昔「なんか異様に安いデッサン人形あるな買ってみよ」と思ったらfigmaの海賊版だったものの捨てるに捨てられず所持してた中華可動フィギュア、あとときどき自撮りを使ってやってました。

これはガレキを描くために割った板チョコ

人体の構造を脳内で無から作り出すより圧倒的に早い、というかそれやるとMPごっそり削られる。やるもんじゃない。

好きな絵のことを考える

長らく絵を描かずにいた理由の一つに「自分の絵が古くさい」という劣等感がありました。かといって今風の絵柄を習得するほどの熱意も持てずにおり。

でも今のジャンルで徘徊してると、自分と同年代と思われる人たちの絵がいっぱいタイムラインに流れてきて、でもって、「今風の絵よりこっちのほうが好きだな普通に」と心底思えるようになりました。90年〜00年代くらいの絵です。そういう絵柄の人ばっかりフォローしたリストつくったしすごく居心地がいい。

そのおかげで「自分の描ける絵は結局自分の好きな絵ってことなのかも」とも思えるように。
そらそうよ今風の絵が好きなら特に勉強とか修練とかしなくたって描ける、というかそうなっていくはずなのよ……

↑ 今ジャンルのおすすめタブに流れてきて「これ……これよ……!」となった絵

自分の絵はこれでいいんだなーと思えたことで変な後ろめたさみたいなのがなくなって描けてよかったです。たぶんこれを掴んでないと、ぼんやりした「古くない絵でないとだめ」みたいな謎目標が浮かんだままで、しかもそれがどういうのかよくわからないし、何をやるにしてもダメな条件ばかり気にしてたらできるわけがないし。

久々に描いて思ったこと

たぶん私の技術的なものは二十年前の時点でほぼ固まっててそこから上手くも下手にもなってないです。妙に絵の上手い中学生、その頃のまま。
絵は描かないと下手になる、という言説をよく聞くしそうだろうな、とは思っていたものの、あんまりそうでもなかったなという印象です。

でも遅くはなってたというかカンを取り戻すのには多少時間を要しました。ピアノの練習とか、自転車の乗り方とか、そういう身体技能に近いのかも。
身元不明のおじいちゃんに白鳥の湖を聴かせたら踊り出したのでバレエダンサーであるということがわかったみたいなニュースみたことがあります、たぶんああいうかんじ。型自体は忘れない。

と思っていたらそんなかんじのツイートも流れてきたんですよね、年単位で描かなくても下手にはならない、みたいな。
逆に無理に描き続けるほうが下手になる、的なツイートも流れてきて、そうだな、そうかも、と思ったり。

見え方を変える(アタリのとりかたとか

絵って結局は「見たものを自分の感覚で捉え直して描く」だけの話で、見え方っていうのは二十年でそんなに変わらなかったな、好きなものの傾向もそうだな、という気持ちです。

以前声帯模写をやる芸人さんに聞いたことがあります。「こういうのは舌や喉じゃなくて違いを認識できる耳があるかどうか」という話。
あととある漫画家さんがされてた「近視の書き手は顔漫画になりやすい」みたいな話。
あとあれだ、最近のアニメーターはスマホの写真をサンプルにしてるから構図が広角ぎみになってしまってるとかの話もあったな。
画家は周辺視野を広く持てるようにするとか利き目の訓練で絵が歪みにくくなるとかの話もある。

ものの見え方、捉え方こそが絵なんだろうなというのを改めて認識した2ヶ月(2ヶ月くらい描いてた)でした。

それでいうと今回、タイムラインでいろんな二次元キャラ用のアタリのとりかたが流れてきてて、それを参考にしたのもわりと楽に描けた要因だった気がします。
私は西洋画用の人体デッサンの本で書き方を勉強したのでそういう真面目なアタリの取り方をしてたんですけども、二次元キャラは当然生身の人体とは違うのでキャラ向けのアタリを取ったほうがバランスとりやすいんですね。
これを知れたのは大きかったかも。

これも「そういうアタリ」をとると「そういうキャラ」を描くという「見え方」を習得する、という話で、これがないとリアル人体をデフォルメしなおすというエミュレーターを一回はさまないといけないというかなんかそういうかんじ。もっと二次元のアタリを集めたい。

とりあえず先日受けてきた同人占いで「文章も絵も両方いける人ですね」と言われたので、あと漫画をすすめられたので、またちょっとがんばるか〜〜と思ってます。

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