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ブルースカイに別荘建てたしフィクションの世界の人権を考えたりした

つらつら考え事するだけの記事です。

ツイ廃のみなさん、ブルースカイにはいらっしゃいますか?
わたしはいます、こちらです。ヘッダとアイコンはうちの猫の絵。

で、ブルスカ凍結祭りがちらほらみられますね。
「たいしたことない水着絵なのにBANされた!あんなSNSだめだ!」という男性絵師の怨嗟が一部で巻き起こっています。

なお女性絵師がそういうこといわないのは男性絵師に比べるともともと過剰に防衛してるからだろうしそれがむしろ普通なんよな……
と思いつつ、こんな適切な解説記事がありました。

ざっくり私の理解したこと(なので正しいとは限らない)をご説明すると、キリスト教圏などの大手宗教では偶像崇拝が禁止されている、と。
存在しないものを崇めたり実在しているかのように扱ったりしてはいけない。
つまり「存在しないもの」の創作物なんて存在しない、つまり描かれているキャラクターたちはすべて実在人物の創作物のようなもの……?? てこと? か?(理解しきれてない)

つまり初音ミクのえちち絵は橋本環奈の二次創作マイクロビキニイラストと同じ心象になる……?
すべてがnmmnということ…… だと思う、たぶん……

たしかにそれなら幼女のエロス絵に過敏になるのかもしれないですね。「やばいよそれは」ってなる。
偶像崇拝を認める仏教&アニミズムの神道をミックスさせた日本とはだいぶ違った考え方なのかもしれない。
そしてあらためてじっくり考えてみると、「おいおいメリケンは現実と非現実の区別もつかないのかよ」って言っちゃうような話でもない。

フィクションのキャラクターは「フィクションという世界に住む別の種の人間」という考え方もできて、人権がある、みたいな考えも、できるといえばできる。
だってなんかそうじゃないなら、フィクションの世界の人間にはどんなことをしてもなにをしてもいいしそのために生み出された存在であるって言ってるみたいなもので、それって文字すら持たない未開人に「あいつらどうせなんもわかってないから」って何をしてもいい、どんなことをしてもいい、みたいなのと似ているのかもっていうか…… いやそういう話でもないのかなどうなんだ……?

あ、もちろん、表現者にとっての表現の自由は守られるべきです、幼女にとんでもないことさせてるイラストが存在してもいいし見せてもいい、でもゾーニングはしたほうがよい。フィクションのロリペド絵を見て現実の少女がそういう目にあってるのとおなじ、という気持ちになるひとがいる、ということは考えたほうがよい。フィクションだから無罪、にはならない。

つい先日、話題沸騰の「ヒトナー」を読んだことと先ほどの記事を合わせて、「人類が人権を認めにくい存在の人権を認めるということは」みたいなことを考えています。

私の好きなSF小説のひとつに「星を継ぐもの」という作品があります。これは巷では「ガニメアン三部作」と呼ばれる三部作。
内容には今回あまり触れないとして、本書にでてくる生命、人権の考え方は読んだ当時なかなかに衝撃でした。

作中の宇宙人が使う転移装置というのが、こう。
まず移動したい場所で本人から衣類から装身具まで全部情報をスキャンする。で、転移先でそれを再現する。これで人間は「情報の転送」という形での超高速移動を成し得るんですね。やったぜ。
え、転移元でスキャンされたほうのやつはどうなってるかって? もちろん転移先に情報を送るのと同時に分解されてますけど……?

この転移の理論をよくわからんで「えーすごーい」って試した地球人女性があとから理論を聞いて「え!? は!? ちょ、は!?」ってなるんですが、同行してた地球人学者男性が「あー、なるほどねー、合理的だわ」って流す。
科学者の倫理観、合理性って、そういうことなんだあ……と感銘を受けたエピソードです。

逆に同じく本書で、まあいろいろあってバーチャル世界で人類を救わないといけなくなって、主人公たちがバーチャル世界に入っててんやわんやするんですね。
でもてんやわんやの結果大ピンチになって、「接続切って現実に戻るぞ!」ってする。フルダイブMMOタイプのなろう小説にある強制ログアウトですね。

そして主人公たちは無事に現実に戻ってくるんだけども、さっきまでいたバーチャル世界はどうなってるかってモニターを見てみると、自分たちのクローン人格が引き続き大ピンチのまま。いろいろあって、本人がログアウトしてもフォークした存在がそのまま残るみたいな仕様で。

そこで現実サイドの主人公たちはどうするかというと「助けにいく」んです、仮想現実の中の自分達の複製人格を。複製人格側は「強制ログアウトしたのに逃げられない!なんでだ!」って絶望している。これを助けないのは「ありえないこと」なんです、主人公たちの科学者の倫理観として。現実の人間を見捨てるのと同じ。

この「転移装置では同一性を保持するために移転前の個体は消去する」「自分達の都合で発生した電脳人格は一個体として扱う」が両方成立するのが当時考えても考えてもよくわからなくて、今もよくわかってないです。
でもなんか、そういう、電脳人格を見殺しにしないというのは、今回のそのキリスト教的な考え方の話とちょっとつながっているのかもしれない……? と思ったりしました。逆に日本人だったらあっさり見捨てるのかもしれない。どうなんでしょうか。

わからないことが多すぎる。すぐにわかったような気分になるのも危険だとは理解してるけど。
とはいえ、理解する姿勢だけは持っていたいなあと思いました。
あと男性絵師はたぶん麻痺してんだろうなあ。そしてそれをずっと浴びてきた女性オタクも。秋葉原とか行くとどうしたって肌色多い美少女絵は浴びることになるし、いちいち驚いたりしながら過ごせないもんな。

だからなんかそういう、麻痺してるってことをまず認めたりとか、そういう考え方はあるんだってこととか、歩み寄りとか、考えたいですね。

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