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一次創作でやれ案件な二次創作に対してやたらあたりがつよい理由を考えたり「お人形遊び」について考えたり

二次創作やってると、そして界隈が成熟してくると(だいたい採掘が終わると、ともいう)出てくるのがいわゆる三次創作です。
⚪︎⚪︎さんの家の推しカプ、とかそういういいかたというか。
原作キャラクターを動かすのが二次創作であれば、さらにその二次創作的イメージを二次創作するやつ。

お人形、あるいは魂の数

BLもHLも(ヘテロカプっていいかたも慣れないもののノマカプがよくないのはわかる)、少なからず二次創作者の中にいるアニマ/アニムスに外部から得たインスピレーションで作った着ぐるみと台本を与えて動かすのが二次創作だと思っています、私は。お人形遊びと揶揄する人がいるけれど、一部は同意するところもある。

そしてこれ二次創作者だけではなく、一次創作者であっても、プロであっても、書き手の中にいる「役者」というか「魂」の人数は決まってるんじゃないかなと思うんです。
手塚神のスターシステムはいうまでもなく、藤子不二雄、宮崎駿といった神々にもその傾向はあり、これを無理に「いないタイプ」をでっちあげるよりは間久部緑郎のように「主人公役が多かったけど悪役にしたらブレイク」みたいな、既存の役者に別の演技をさせる、の意識のほうがおそらく無理なく、そして結果的に幅も出るのだろうなと。

稲垣理一郎などは「自分の中にいる役者にアイシールド21もドクターストーンもトリリオンゲームもやらせてる、このキャラとあのキャラは同じ役者」という話をたびたびしています。

あと昔読んだ話で好きなのが「宮崎駿の中にもそういうタイプが何人かいて、ハウルは巨神兵と同じ魂である。兵器が恋愛してヒロインを得るのがハウル」というやつ。オフィシャルではなく個人のホームページによる言及です。本当かどうかは置いておいて、好きな話。

藤子不二雄の場合は「あの四人」がいろんな役を兼任しているのは誰もがわかるところだと思うんですが、「あの四人」って四人としての完成度ではなくて、実は藤子、とくにFのほうは作品の中核にあるのは主人公ではなく「アイデア」で、「あの四人」はそれを回すのに最適なんだろなーと思うんですよね。それぞれがそれぞれの動機や欲望をカリカチュア化して所持しているので、アイデアを四人の中に放り込めば回りやすい。

アイデアを放り込めば回りやすいといえばSOS団もそうで、だからハルヒSSって異様にストーリーの完成度高い二次創作が多かったのかなと思ってます。

「それオリジナルでやれ」案件が発生するメカニズムを考える

で、前提の共有に遠回りしたんですけど、冒頭の話。三次創作。

素人の、そしてとくにカップリング小説に特化して書いてきた人って、この「人形」および「魂」の数がすごい少ない、または顕在化している数が少ないんじゃないかと思ってて。
「攻め/男/男役/タチ」、「受け/女/女役/ネコ」、この二人さえいれば書き上げることが可能なんですよね。他のこう、店員とかクラスメイトとかはぜんぶ決めたセリフをしゃべらせるだけのスクリプトでオッケーで。
でもってこの二人だけでも書き上げて公開するとそれなりの反応と好意と感想が返ってくる。

推しカプ二次創作でやってきた人、「攻め/男/男役/タチ」、「受け/女/女役/ネコ」、あとは「視点サイドの友人」、「その他の友人」くらいで動かせる魂のストックが尽きてる気がする。これはもちろん自戒もこめています。
そして魂の数が十人くらいいると一次創作しやすいのでは。

というところでこれ(↓)など思い出した、五番目のサリーのほうは思い出さないことにした(つらいから)。

あとこの人そのへん考えきってやってんだろうなあ。

で、話戻すんですけど。

二次創作って最初のうちは、この自分のなかの看板役者カップルに原作の言動をなぞらせるけど、長くやってるとどんどん「魂」の素、とでもいうものがでてくるんですよね。
そのはてに「魂」のほうが名前と姿を借りたままの状態でオリジナルアレンジを加えた自由演技を始める。原作言動をなぞった演技を評価した観客がそこにいる状態で。
これがいわゆる三次創作化、「オリジナルでやれ」案件になるんだろうな、という推測、という名の妄想。
これBLだけの話ではなくて、とくに少年漫画のHL(慣れない)のほうで強く感じるんですよね。「あ、俺劇団の中の男役トップと娘役トップにこのキャラのコスプレさせてんだな」ってかんじのやつ。

でもってようやく冒頭の話。

でもべつにいいじゃん、ほぼオリキャラな言動の二次創作でも。楽しいんだから

「オリジナルでやれ」について、他者がとやかくいう権利はまったくないんですよね。たいていの場合において私的な趣味をアップロードしているだけで、無料だし。同人誌になっていたとしたってお金ださなきゃいいんだし。
ヒーローごっこ、おひめさまごっこ、ぷいきゅあごっこをやってるこどもに「もっと原作要素重視して!!」なんて言います? 当人がいいと思ったところだけつまんで気持ちよく楽しんでる、それが全て。

これはプロの作品にも言える。「オリジナル要素でやれ」「ちゃんと考えろ」って思うならお金を出さなきゃいいだけの話。でも私、CLAMPのあれそれとか、好きだから……古いタイプのふじょしだからああいうヒロインやっぱ好きだから……

で、で、ほんとにようやくタイトルの「一次創作でやれ」とか「原作要素がないじゃん」とか、BLにはとくに「受けを家事要員にするな」とかそういう「ご意見」が吹き上がりやすい(いやわたしがそういう場所のあれそれをよく読むだけでいうほどではないのかもだけど)の、なんでかな、なんであの人たち「それはその人が楽しくて書いてるんだからいいじゃん」って思わずに攻撃的な言動するのかな、しかも見えないところで……
って思ってたの、やっと気づいたんですよね。

妬みかな

どう考えても妬みです。

「あんなに自分の好きなようにやってるのずるい、自分はこんなに気をつけてちゃんとした令和二次創作してるのに!!!!」が、全てなのでは?

「小学生になったのに全力プリキュアごっことかばっかみたーい」とかいいながら羨ましくてしかたない、だけなのでは?

お行儀のよい、誰にもプークスクスされないものしか書けないことからくる強烈なねたみそねみなのでは・・・・・・?

だって書いてないなら単に「好みじゃない」だけで済むはずなんですよね。電車で見かけた露出度高いソシャゲ広告くらいに「うわ」と一瞬思っても次の駅ではもう忘れるみたいな、そういうあれなんじゃ。
継続的に敵意っぽいものを向け続けるの、やっぱ「妬み」なんじゃないかなあ。

というだらだら考えたやつをおわります。
今回の記事、「妬みじゃないか?」を言いたいがためにかいてたんですが思いがけず私のなかの役者の数が足りてないことに気づいたので、役者増やす訓練しようと思います。

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