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哲学カフェにいってきた 6/23

先日ふと「哲学カフェ」という単語を知り、そういうのあるんだーと思って検索したらちょうどその週末に行けそうなところで開催してたのでいってきました。

一度は行こうと思ってた「タロット美術館」主催? で、カフェタローというタロットモチーフだったりいっぱいタロットとか置いてあるオシャレカフェの開店前時間でやるやつ。(タローって太郎? というわけでなくタロットってのは本来はタローと呼ぶのが正しいそうです)

参加した日のテーマは「空気を読むとは、どういうことか?」です。

12人あつまってたので「この人数で全員発言したり議論したりできるのか?」「とりあえずの着地点も見えない壮大なテーマなんだが?」という杞憂をもちながら始めたんですけども、みなさんいっぱい発言したし議論も深まったしすごく良かったです。

おそらくファシリテーターの方が優秀で、事前の決め事も効率化されてたんですね。建設的な議論にはルールが必要。
別の読書会の話ですが「ビジネス書とスピリチュアル本は禁止」とか「本への批判は禁止」など、その会のためのルールが設けられているのを見ます。前者はどうしてもライフスタイルとか生き方とかの話ずれてしまいその本自体の話ができなくなるから。後者の理由は言うまでもなく。逆に一冊の本をテーマにした読書会なら批評、批判的な目線も必要になってくるんだろうし。

で、今回の決め事はいくつかあったんですけど、とくに印象的だったのは「知識の話はしない(この会にかぎっては)」というところ。

わたしのnote読んでる方はご存知でしょうがわたしは知識でものを語りがちで、というかまあオタクってけっこうそうで、あと今やってる二次創作活動でもなにかと知識「だけ」をリプライしてくる人がいてこいつつまんねーな(おもしろい話ができないし水をさしてくるし知識の披露をされるとはあそうですかで終わる)と思ってブロ解したりしたんですけども。(他の人にも知識「だけ」リプしてるの見て嫌な気持ちになってる)

でもそちらのジャンルで知識や資料を与えてくれるのがすごいありがたいこともたくさんあって、つまんねー知識リプと最高の資料提供の違いはどこにあるのかを今考えたりしています……資料提供は宝物を見せてくれる行為で知識はマウントというかリスクにあたるものを一切開示してないからかな……? というのは別記事にするとして。

ちょっとだけまとめなおすと、「対話」において「経験談」および「自分の意見」は大事でも、「知識」って、使わない、って決めるくらいでちょうどいいのかもと思ったりしました。

で、「空気を読むとはどういうことか」について、12人で1時間半ほど話したんですけども、いろんな意見、体験、経験、考えなどが出てきて本当に有意義でした。
とくに高校生の女子二人が参加してたんですが、この二人がすごい言語化うまいし賢い。たぶん今の高校生って情報多いから賢い子は本当に賢いんだろうけどあの二人はとくに上澄みのような気がする……
もちろん他の参加者の方々もすごくいいお話たくさんされてました。

私は「たとえば職場のランチでこいつとこいつ不倫してんなって知ってる状態で、その、不倫してる男性社員がぺらぺら語る愛妻家エピソードを褒めるのが空気を読むってことだと思う」みたいなろくでもない話をしていました。本当にろくでもない。高校生の前で。

話をしながら、自分にとっては「空気を読む」は、能動的な「読む」ではなく「読まされる」といった受動的な動詞であるほうが認識に近しい状態であること、そして読み上げを期待されているシチュエーションに立つこと自体はそう苦痛でもないこともあるな、という気づきを得たりしました。なぜなら読み上げてほしい文章が見えたらそれをぶっこわすとか読む読まないではなく三つ目の選択肢をとるとかをわりとやってきたという自負があるから……

はっきり答えが出そうにないテーマを10人以上で、朝早い時間に語る、というのすごくいい経験でよかったです。またタイミング合えばいきたいなー。

あとカフェタローはグルテンフリーのマフィンがすごくおいしい店でした。めずらしげなタロットもいっぱい置いてあったし店内にスートのモチーフちょいちょいあったし、コースターにランダムで大アルカナのプリントあったし、数ヶ月ほどタロット占い師でお金もらってた程度にはタロット好きなのでぐっときました。コラボカフェみたいで……
今度はタロット美術館あいてる時間にランチで行きたい。


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