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匿名感想ツールの是非を考える

燃えてますねソナーズ。というかマシュマロ運営。
わたしの二次創作タイムラインでもほめて箱に切り替えたりGoogleフォームいいよっておすすめが流れてきたりしてます。
もとよりマシュマロちゃんはちょいちょい燃えてたしもやもやすることがそこそこあったのがソナーズの意見表明で決定的になったかんじです。

ソナーズとは関係ないのですが、つい数日ほど前にほぼはじめての焼きマロというか毒マロを前ジャンルアカウントでぶつけられました。
「は?」となってから少し考えてマシュマロ、ツイート、フォローを全部リセットしました。もう前ジャンルで活動する気がないのに残していたことは、私がよくなかったですね。最悪なのは毒マロ送るやつだがな。マシュマロ運営に疑問はあるけどもだからって悪意を送るツールにするな。

奥付に書いてたりそっちのアカウントでないと連絡とれない感じのひとが何人かいるからそれでもしばらく残すかな、とは思ってたんですが、まあその気になればpixiv経由でなんとでもなるしどうしたものかなとも思ってます。
まあその毒マロについて私がどう思ってるかはのちほど述べるとして、今回の件(個人的な毒マロとソナーズを発端としたマシュマロというサービスの是非)をもやもや考えて、私個人は今後金輪際匿名ツールを置かなくていいな、と思うに至りました。
以下その理屈や匿名ツールの思い出についてです。

記名の感想と匿名の感想は別のもの

そもそも、匿名ツールでもらった感想も多いんですけど、記名での感想だってもらえるんですよね。ツイッターのDMなりpixivメッセージなり。マシュマロの感想もありがたいしよかった。
でも今回の件で改めて、匿名と記名の感想メッセージって似たものに見えて別のものだなって気づけました。

匿名ツールの感想は気軽に送れるしわたしも大好きでよく送ってました。けどそこには「感想は伝えたいけどコミュニケーションをとる必要はない」という送り手の気持ちがあって、それはほんとうに「謙虚さ」なのだろうか? 顔を隠したまま自分の言葉で踊る相手を見たいだけなのではないだろうか、と思ってしまったんですよね、毒マロをくらって初めてその可能性に思い至りました。

「作家」人格を育ててしまうのでは説

匿名感想って、送る方送られる方がフラットな関係でいられる、というような気がしてたんですけど、実はそうでもないな? ということに気づきました。

スーパーのお客さまの声に近いんですよね、あれって。
声を届ける側は身を隠し、受ける側は開示してる。
これって送るほうが悪意を仕込めるということだけが問題視されがちですけど、双方に悪意がなくても受ける側にデメリットはあるのかもしれない、という可能性があるなと思ったんですよ。悪意がないときのほうがむしろタチが悪いのかもしれないっていう。

送られたマシュマロの相手と、一対一のコミュニケーションは不可能です。そのため、回答者は「顔のないお客さまへのご対応」になるんですよ。接客をすることになるんです。
この「顔のないお客さまへのご対応」、これを繰り返していると以前の記事でも書いた「商業作家でもないのに作家みたいなプライドやふるまいをする人格」を、育ててしまうのでは? と、思いました。

このへんじつにうまくやってる人もいます。むしろ接客プレイが好きな人もいるだろうし、ファンを雑に扱うことをむしろスタイルにできる、いわゆる地下アイドル風の振る舞いができる人もいる、ラジオDJとリスナーのビオトープを築ける人もいる。

ただこのへんの「うまくやる」には、コミュ強に見られる「相手をいい意味でさばさばとした距離でさばける」資質が必要で、二次創作をするタイプのオタク、とくに女性は「接客」になりやすいのではという気がします。

逆に商業作家とかVtuberとかは匿名感想ツールのほうがいいこともあると思うんですよね、「接客」になるから。設置側と送る側に明確で圧倒的なラインがあるから。

かつて存在したWeb拍手というもの

ウェブ拍手まだありますね、知ってる。まあ「存在した」っていう前提で聞いてくれ。

マシュマロはそもそもウェブ拍手のツイッター版である質問箱、さらにその後継で出てきたもの、と私は記憶しています。

かつてオタクはホームページというもので自作品を発表していました。
で、ホームページには感想フォームはあったんですが、毎回感想ってハードル高かったんですよね。
見られてるかどうかの実感をすごく得にくくなってました。アクセス解析はたいていのレンタルサーバに搭載されてたけど、その数字だけでは来訪者を感じられなかった。
そこに現れたのがウェブ拍手で、仕組みとしては来訪者が任意のタイミングでボタンを押せる、押せば来訪者はたいていの描き手が用意してくれてたイラストやSSが読めて、設置した人は「確かに人間がボタンを押しにきた」ことを実感できたんですね。ウェブ拍手には一言フォームもついてて、今は知りませんが初期では「ちょっとしたついでの一言」も添えることができました。神社の鈴とお賽銭みたいなシステムでした。
なんのメッセージがなくても、拍手された回数が表示されてるだけでも、ああ、見られてる、見てる人がいる、と実感できたものでした。

……ということは?

じゃあtwitterのRTとかブクマ数でもいいんだよなー

いいんだよなー!
ホームページの頃は拍手の数値しか「任意」を感じなかったけども、TwitterでのRT数、インプレッション数、あるいはpixivのブクマ数で「良かった」と思ってくれる人がいたって感じられるんですよね、今は。
RT直後のツイートを見るほうが生の叫び感あるし…… そっちは、書き手に見られても見られなくてもいい、そして自分のフォロワーたちにも届けたいという、生の叫び。
感想を綴るってすごくコストのかかる行為です。それを読み手に強いるようなことはしたくないですよね。(と、ソナーズ見て思った) 
長文感想もらったことはあるしとてもありがたいし助かったこともある、でも私は今後このライブ感ある叫びと記名感想、それだけでいいしそれだけがいいな、と思いました。

もちろん、うまくやれる人、うまくマシュマロとつきあえる人はそうしていてほしいし、今までのマシュマロの送ったり送られたりを否定するつもりはまったくないです。でもわたしは今後匿名ツールは設置しないし、送ることもないだろうと今は考えています。

それはそれとして毒マロ投げる人はかわいそう

わたしがくらった毒マロの分析ねっとりしてやるつもりでしたが「淀んだ水の中にいるからケナゲでカワイソウなアタシが傷ついたぶん傷ついてよプンプンみたいなゴミを生成して送るんだよ」、という感想しか残らなかった、まあがんばれよ。
文末に「不快にさせてすみません」なんてわざわざ書くくらいだしそれが目的だったんでしょ…? よかったね数分は不快になりましたよ。

まあ今後わたしの文章は読まないだろうしこの文も読んでないでしょうが。

まとめ

気持ち整理の文章第二弾でした。
現ジャンルではまだ短い作文少しやっただけですが、前ジャンルのいろんな反省を噛み締めていきたいなーと思ってます。
まあ活動とかコミュニティとかを考える必要がない怒涛の供給なんであんま心配してないんですけどね!

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