「阿川佐和子さんの20代」

WEDNESDAY PRESS 051

辻静雄食文化賞という賞がある。日本の食文化を飛躍的に発展させた辻静雄さんの功績を讃えると同時に、そのような仕事をする人物を毎年選考する賞である。その一部に料理人に与える専門技術部門賞があり、僕はその選考委員を拝命している。分科会で決定した料理人を、食文化賞の選考委員会で承認を得るのが僕の役割でもある。

したがって毎年、その選考委員会に立ち会うのだが、委員長が石毛直道さん、フランス文学者の鹿島茂さん、文芸評論家の福田和也さん(現在は福岡伸一さん)、辻芳樹さんなどに阿川佐和子さんが加わる。論客揃いで、候補作に対する指摘の厳しさにいつも驚くばかりであった。その中で阿川さんの存在は、素敵であった。論争が続き、場の雰囲気が重くなると、阿川さんが放つ一言が、ふっと空気を和らげてくれることがしばしばである。そのやりとりを毎年観察しており、論客の博覧強記なことと阿川さんの見事な采配に感動を覚えていたのだ。

今年は東海道新幹線の車内誌「ひととき」が創刊して20年になる。巻頭で各界で活躍される方の「わたしの20代」という連載がある。10月号で阿川佐和子さんが原稿を書かれていた。
「私の20代は暗かった・・・」という文章から始まる。
その中で、「ずっと自分は中途半端で『胸を張ってこれができますと言えることがなかった』と思っていました。当時のプロデューサーにそう話したら『世の中みんなスペシャリテでも仕方ない。専門家と専門家をつなぐ仕事があっても良いんじゃない』といわれ、うれしかった。泣けましたね」とあった。

この文章を読むと、あの選考委員会のシーンを思い出し、阿川さんは「つなぐ」仕事の専門家だと思った。そして自らの仕事も「つなぐ」ことがほとんどである。

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