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【大河ドラマを100倍楽しむ王朝辞典】第十二回 源倫子

川村裕子先生による、大河ドラマを100倍楽しむための関連人物解説!

第十二回 源倫子みなもとのりんし(道長の妻)

 母は藤原穆子ふじわらのぼくし。父は源雅信みなもとのまさのぶ。父はこの娘を一条天皇の所に入れたかったみたいです。でも、道長と結婚しました。母の穆子ぼくしがプッシュしてくれたということです。
 倫子のセールスポイントは、何と言っても超健康という所。今まで書いてきたように(第三回「ライフ・オブ・平安!」、第六回「時姫」)当時は出産で母子ともに健康というのは破格なことだったんです。
 それなのに倫子は、女子だけでも彰子しょうし姸子けんし威子いし嬉子きしを産みました。そして嬉子(東宮妃)以外はすべて立后したのです。
 そのうえ、最後の出産が 四十四歳! ほんと、超健康な倫子。
 さて、そんな事実を述べるよりも、倫子の人間らしい一面が出ているお話について見ていきましょうか。
 ある重陽ちょうようの日。重陽とは九月九日のイベントのこと。その時には菊の花を浮かべたお酒を飲んだりしました。また、「菊の着せ綿わた」というのがあって、前夜、菊に綿をかぶせて、菊の露が染みた綿で身体や顔をぬぐったのですね。そう。そうすると長生きできる、と言われてました。というわけで、この時の記事をちょこっと見てみましょうか。

九日、菊の綿を、兵部のおもとの持て来て、「これ、殿の上の、とりわきて。「いとよう老のごひ捨てたまへ」とのたまはせつる」とあれば、
 「菊の露わかゆばかりに袖ふれて花のあるじに千世はゆづらむ」
とて、かへしたてまつらむとするほどに、「あなたに帰り渡らせたまひぬ」とあれば、ようなさにとどめつ。

『紫式部日記』

 これはね。兵部のおもとが倫子さまの伝言と菊の着せ綿を持って来たときのこと。倫子さまの伝言は「この綿でよくよく老いをぬぐってお捨てなさい」ということでした。えっ? 何かきつくないですか。「老いをぬぐって」という所に、そこはかとない皮肉が……。まさしく真綿にくるんだ針のようです。
 そしてまた、紫式部の歌もすごい。この歌は、「私は菊の露に、ほんの少し若返る程度にふれますね。露で延びるという千年の寿命は奥様におゆずりいたします」といったものでした。よくよく老いをぬぐって、と言われたけれど、紫式部は「私は少し若返る程度」で菊の寿命は倫子さまにゆずる、というわけです。
 どうでしょうか。このやりとり。微妙。何しろ道長が紫式部のパトロンだったらしいので……。つまり紫式部は道長の愛人(妾、召人)ということです。
 これについては、いろいろと説がありますが、妾ということは、「正妻ではない」ということではなく、愛人(召人)です。混乱してきましたね。それでは、簡単に順番を書いてみましょう。

 ■正妻→正妻でない妻(結婚式をしている)→妾(召人、愛人)

 となるでしょうか。だから『蜻蛉日記』作者の道綱母は妾ではありません。結婚式をしてるからね。正妻は時姫だけれど、正妻ではない妻なんです(正妻になる可能性あり。繰り上げ当選あり)。
 それで、さっき紫式部は道長の「愛人「妾」」と私は言いました。これはどこから来たか、というと『尊卑分脈そんぴぶんみゃく』という系図を集めたような本に「御堂関白道長妾みどうかんぱくみちながのしょう」と書いてあるのですね。つまり、紫式部は道長の愛人であって、「妻の一人」でもないわけです。
 お話が妻の話になりましたが、とりあえず、こんなことを考えに入れると、どんなことが見えてきますでしょうか。
 そうです。倫子さまの言葉は皮肉っぽく聞こえますよね。「老いをぬぐいなさい」なんてね。それに対して紫式部の歌も「千世はゆずる」などと言い返す。丁々発止といった感じですよね。紫式部から「千世」をゆずられたので、倫子は九十歳まで生きたのかも……。
 ところで、この歌は倫子に渡ってません。というか、倫子の反応が書かれてません。でも、『紫式部日記』は公開された作品ですので、倫子はこの歌を読んでいると思います。どんなリアクションをしたのか、想像すると恐いですね。
 さて、それでは最後によく話題になりますが、源明子めいしと源倫子。道長の妻たちですが、どっちが先に結婚したか、ということですね。それについては、『拾遺和歌集』の次のような歌が参考になると思います。

左大臣の土御門の左大臣の婿になりて後、したうづの型を取りにおこせて侍りければ
 年をへてたちならしつる葦鶴あしたづのいかなる方に跡とどむらん

『拾遺和歌集』四九八・雑上・愛宮あいみや(明子)

 「道長さまが雅信さまの婿になった後、襪(したうず=靴下)の型を取りにいらっしゃったので」という意味の詞書がついています。もちろん使いが取りにきました。それでこの歌は愛宮と書いてあるけど、明子が詠んだ歌とされてます(愛宮は明子の母)。
 この歌は「長年こちらの潟に立ち慣れていた葦鶴(=鶴)は、いったい今度はどこの潟に跡をとどめているのでしょうか」といった主意を持った歌。
 どうでしょうか。道長をめぐって不穏な状況が醸し出されてますね。明子の家に取りにきたのだから、明子方が持っている道長の襪の型を倫子方が取りに来たわけです。
 つまり順番とすると歌を詠んだのが明子でも愛宮でも、明子方の歌となり、道長は、明子と先に結婚していたことになりますね。
 なお、襪の世話が、身体を管理するもの、という鋭い指摘は「『和泉式部集』の諸相――敦道親王家女房、和泉式部――」(中村成里、『日本文学研究ジャーナル第27号 特集文化から読む平安文学』所収、川村裕子・桜井宏徳編集、古典ライブラリー・青簡舎)にあります。
 また、この論文に出てくる歌の天才(和泉式部)については『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 拾遺和歌集』(角川ソフィア文庫)をごらんくださいね。
 なんで紫式部がこの人のことを悪く言うのか、書いてありますよ。よかったらどうぞ~。

 最後に明子と倫子。彼女たちがとても似ている、というお話をします。どこが似ているか。まず子どもの数が同じ(六人)。最後の出産年齢が同じくらい(倫子四十四歳、明子四十二歳)。長生きも同じ(倫子九十歳、明子八十五歳)。
 ということで道長は健康女子が好き。そう、妻たちの健康は盤石な一族を支えるための重要な条件だったのですね。

プロフィール

川村裕子(かわむら・ゆうこ)
1956年東京都生まれ。新潟産業大学名誉教授。活水女子大学、新潟産業大学、武蔵野大学を経て現職。立教大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程後期課程修了。博士(文学)。著書に『装いの王朝文化』(角川選書)、『平安女子の楽しい!生活』『平安男子の元気な!生活』(ともに岩波ジュニア新書)、編著書に『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 更級日記』(角川ソフィア文庫)など多数。

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6/8未明から発生している大規模システム障害により、「カドブン」をご覧いただけない状況が続いているため、「第十回」以降を「カドブン」note出張所にて特別公開することとなりました。バックナンバーは「ダ・ヴィンチWeb」からご覧いただけます。ぜひあわせてお楽しみください。

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