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メディア芸術祭審査委員会推薦作品『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』作者、カトリーヌ・ムリスさんインタビュー(書き起こし)

2019年2月に刊行した『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』は、『シャルリエブド』で漫画家として働いていたカトリーヌ・ムリスさんが、ちょっとした偶然でテロを逃れ、仲間を亡くしたトラウマを乗り越えるためにローマに行き「美」に救いをもとめた1年の記録です。

以下書評で紹介されるなど、非常にご好評をいただいています。


また、この度、第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で審査委員会推薦書籍となりました!

2020年1月末から開催されたアングレーム国際漫画祭では、本人からお話をうかがうことができました(聞き手・撮影 鵜野孝紀先生)。

以下、インタビューの内容をご紹介いたします(翻訳:大西愛子先生)。

――『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』が日本で刊行されて1年が経ちますが、感想を教えてください。


とても印象的だったのは、日本の編集者と鵜野孝紀さんが教えてくれたことで、『わたしが『軽さ』を取り戻すまで』が日本で刊行されたときに、作家の池澤夏樹さんが書評で書いてくださったことでした。
つまり、西欧、フランス人のわたしはトラウマの後、自分を取り戻すために文化のほう、芸術とか、文化的な基本に向いて行ったのだけど、池澤さんが言うには、日本人は衝撃やトラウマを受けた後、まず自然に向かうんだと。このふたつの文明の側面がとても興味深いと思いました。

「心に傷を負った者が文芸や美術の古典に依って傷を癒す。こういう考えかたはヨーロッパ固有だろうかと考える。東日本大震災の後、日本人は『方丈記』をよく読んだが、中尊寺金色堂をしみじみ見ることはしなかった。
あの春、我々を救ったのは芸術や文学ではなく自然だった。例年のように桜が咲いたことに安心感を覚えた。自然は災害をもたらし、自然は人を慰める。」(『毎日新聞』4月7日朝刊


そして何かわたしを日本につなげるとしたら、あの(シャルリエブド襲撃事件の)衝撃の後、最初に向かったのは確かに芸術のほうだったんだけど、自然にも向かっていったのです。
つまり自然の存在感もとても大きくて、結局、自然とはあらゆる民族を繋げるものかもしれない。自然は全人類の最大公約数なのかもしれないと感じました。この文化の問題の側面はとても考えされられました。とても興味深い文化の違いについてなどです。


――『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』のあと、原点に戻って描いたのが「偉大な空間(原題:Les grands espaces)」ですね。この作品について少し話してくれますか?

偉大な空間


「偉大な空間」はフランスの西部の田舎でのわたしの子ども時代を描いたものです。ごく普通の田舎、田園です。
描きたかったのは「伝承」についてでした。姉とわたしの2人を田舎で育てることで、両親がわたしに何を伝えたのかということです。「伝承」、もちろん自然、集約農業とか、いま世界規模で農業がどうなっているか、それから自然と向き合う、見つめることなど、「偉大な空間」には多くのテーマがあります。

「偉大な空間」をなぜ描きたかったかというと、わたしの原点がどこにあるのかを見たかったからです。あらゆる意味でね、つまり家族の原点とか……。
「軽さ」はシャルリ・エブド事件の後に出た本ですが、あの時すべてが粉々になりました。だからそれらをかき集めたかった。かき集めていくうちに本質に戻りました。つまり子ども時代に戻っていったのです。自然に囲まれた田舎での子ども時代――原点に戻るということはわたしにとって、とても大事なことだったのです。
「軽さ」の中では芸術や文化のことを多く語りました。「偉大な空間」ではむしろ自然という側面が主に出ています。このふたつの作品で本当に自分を取り戻すことができ、新たな1ページをめくることができて、ほかの本を書くことができるようになりました。積極的に生きることができるようになりました。

日本との関連でとても興味深いことがあるのですが、わたしは2018年に京都のヴィラ・九条山に滞在しました。その時に「偉大な空間」の最後の10ページを描き上げました。
最初、少し困惑していて――。日本に来て、何か月もいたら、子ども時代の風景、フランスの環境を忘れてしまうのではないかと怖かったのです。ぜんぶ自分から出て行ってしまうから、(「偉大な空間」を)とても描き上げることなんてできないと思いました。でも結局描き上げることができたのです。そして、とても興味深いことも起きたのです。
京都に滞在中はあちこち旅をしました。ひとりで九州にも行きました。ひとりで自転車で田舎をまわったのです。そしてときどき子ども時代を思い出したのです。
わたしは完全に日本的な風景の中にいて、鹿児島の近くの指宿に行ったときに、自転車をこいでいて、フランスで見たことないものを目にしてました。ヤシの木とか、火山とか、ものすごく日本的な風景です。
それなのになにか匂いを感じたのです。その空間の中に光、静けさ、やすらぎがあって、自然がそこにあることでフランスでの子ども時代の風景が大きな風のように吹いてきたのです。

それはかなりすごいことです。――ある意味〈プルースト的な経験〉と言うか。
プルーストはフランスの作家で、『失われた時を求めて』という小説を書いたのですが、紅茶にお菓子をひたしたとき、思い出が蘇ったことを書いています。あるいはヴェネチアで石畳につまづいた時にも、子ども時代がよみがえったとか……。わたしはそれを日本で経験したのです。
突然九州の南部である香りがよぎって、フランスでの子ども時代を思い出しました。あのときわたしの全感覚が研ぎ澄まされてて、素晴らしかった。

そして「偉大な空間」については、関口涼子さんがこんな風に言ってくれました。関口さんはフランスで活躍している日本人の作家で、季節、日本食、フランス料理、文学などについて書いています。わたしは彼女の本が好きなんです。
彼女が「偉大な空間」を読んだとき、日本での子ども時代を思い出したそうなんです。すごくないですか。だって、「偉大な空間」はフランスでの田舎でのフランスの子ども時代の話なんですよ。それなのに日本人の友人がこれを読んで日本での子ども時代を思い出したというのですから。


――シャルリエブド襲撃事件から5年が経ちました。また、日本では、京都アニメーションの放火事件が起き、読者の中には、『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』との類似点を感じたという方もいらっしゃいました。
また、東京で、訳者の大西愛子先生のイベントを開催した時に、会場に、テロによって友人を亡くされたからがいらしたことについても、何度かメールを交わしましたね。その際、カトリーヌさんは、トラウマは「美」によってのみ乗り越えられる、という風におっしゃっていましたが、今でも、そのように信じておられますか?



確かにわたしはシャルリ・エブド事件の後、美しさを求めました。もしかしたら気が晴れるかもと思ってのことです。でも「美」はわたしが追い求めたものではなく、まるで降ってきたみたいにわたしのところに来たものなのです。なんとなく美によって救われるのでないかと本能的に感じたのです
もちろん何物も、何人も人を救うことはできません。この残酷な世界でそれぞれがなんとかしなくてはならないのです。
でも芸術とか、文学、絵画、自然、そして友情も、自分たちが回復する際の助けになることがあります。
『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』の中で、わたしは、イタリアのローマにまで求めに行った「美」にまつわることを描きました。そしてこれは、2年前日本のヴィラ九条山に行った時も追い求めたものなのです。

というのも、京都に行く時のプロジェクトは夏目漱石の『草枕』という、とても詩的な作品についてなにかしようと思っていたからです。『草枕』はやはり、美、絵画について語っていますよね。ある画家が都会の喧騒を離れて美を求めるという話です。
ということで、2年前、わたしは京都で主人公の歩みをたどりました。それは日本的な美とは何かを見るためです。わたしのためになった西洋の美についてはわかったので、日本でも同じことがみつかるのかと思ったのです。
つまりフランスの美とはまったく違う日本的な美の探求がありました。

先ほど言ったように、日本では様々なことが起きました、びっくりするようなことも。そしてあなたが話してくれた(ISに殺害された)日本人のジャーナリストの話もまた驚くべきことです。
それは「軽さ」の日本での受け入れとも繋がるのですが、最初わたしの物語が世界の向こう側のひとたちに響くかなんて思ってもいなかったのです。
そしてあなたが話した、イベントに来てくださった女性の話ですが、そのひとはテロの犠牲になったジャーナリストの友人だったそうですね。そして事件が起きたとき、自分のつらさをどう表現していいのかわからなかったと。そして日本語に訳された「軽さ」を読んで、そこから始まる喪に対して言葉とイメージを付けることができた、と――。この話は本当にわたしの心を打ちました。

絵というのは、文化の違いがあっても何か普遍的なものがあるということですね。つまりバンド・デシネの中にもどこか普遍的なものがあると。BDという大衆的な媒体が多くの人に通じるということは、とても素晴らしいことだと思います。
「軽さ」がまるで普遍的な救済になっているみたいで、それにとても感動しました。

わたしが今後描く作品は――最新作の「ドラクロワ」、もちろん「偉大な空間」、そして今後の作品については、もはや「軽さ」が単なる過去の作品のタイトルにとどまらず、わたしのあらゆる作品の中に潜んでいるものであって、わたしが描いているので、わたしの人生にも潜んでいます。そしてますますわたしの作品の中に「軽さ」が存在感を増していって、わたしの生き方を見せると思います。毎回自分のことを描くわけではないし、わたしの作品がみんな自伝的なものではないけれど、作品は今生きているわたしについて語っています。

(注:『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』の原題「La Légèreté」は、英語の「Lightness」に相当し、軽さ、軽やかさ、軽薄さ、などを意味する。)


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(最新作「ドラクロワ」)


――2020年で忘れてはならないのは、今年フランスは「バンドデシネ年(BD2020)」ですよね。そしてあなたは……

大使よ!

――ほかの作家さんもいますよね?

そう、ほかにロワゼル、ジュル、とフロランス・セスタックの計4人。

――このプロジェクトではなにが予定されてるんですか?

年間を通して、フランスでさまざまなイベントがあります。いろんな施設で。たとえば、美術館とかあるいは学校でも。最近ではバンドデシネを読んで子どもたちがちゃんと読むことができるようになると証明されてますし。

ということで、大使としてほかの3人とともに、バンドデシネ年を代表するような、ちょっとした「ミス・フランス」みたいな役割があります。でもその役割だけに甘んじるつもりはありません。
わたしたちはこの機に作家たちのことを語ろうと思います。バンドデシネと言ったら、やはり作家のことを考えなければなりません。作家なしではバンドデシネはないのですから。

(BD2020は)すでに今年の初めから始まっていて、ジュルは最近マクロン大統領にも話をしに行ってます。(わたしも)ひどい状況にある作家さんたちのことを訴え続けようと思います。変えなくてはならないことがたくさんあります。出版のシステムから変えなくてはなりません。複雑ですが、とてもやりがいがあります。
そしてやるなら今年です。
文化大臣、国家、出版社みんなで力を合わせなくてはなりません。作家たちがその仕事で食べていけるように――。それは本当にしなくてはならないことだと思います。今年失敗したら、バンドデシネ年なんて腐ってると思います。ですから作家たちは、ほんとにやる気満々で行動しようとしています。


――BD2020関連であちこち回りますか?

いや、ほとんど旅はしないつもりです。ちょっとグレタ・トゥーンベリっぽいのだけれど、去年たくさん旅したから、わたしのCO2排出量がひどいことになっていて、だから今年はあまり移動しないで家にいます。
仕事の机に向かいます。だからきっと頭の中で旅することになると思う。


――「ドラクロワ」を仕上げて、今度は何しますか?

次の仕事? 次の作品?――まだわかりません。
頭の中にアイデアはあるけど、少し日本風のものになるかも。2年前のヴィラ九条山滞在のことを形にしたい気もするし……。いろいろ考えてるんだけど、仕事にかからなくては。まだ漠然としすぎて、何も言えませんが、頭の中のものが意味のあるものなのかどうかを見極めるためにも、とりあえず描き始めることからしないと。
ただ、未発表の何かを描きたいとは思っています。


――カトリーヌさんが自身の子ども時代を描いたアングレーム国際漫画祭のポスターでは、『アステリックス』を読んでいますね。日本の漫画家で好きな人はいますか?

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(アングレーム国際漫画祭ポスター)


日本の漫画家で尊敬しているのは水木しげるです。
彼からは本当に多くの刺激を受けています。作品もたくさん読んできました
フランスでは谷口ジローとか多くの日本人漫画家が読まれてますが、わたしは水木しげるか、つげ義春が好きです。
つげ義春は、今ここアングレームで展覧会が開催されてます。

わたしは水木しげるさんに特別の思いがあります。
数年前「のんのんばあとオレ」と「ゲゲゲの鬼太郎」で彼のことを知ったのですが、最近は彼の自伝を読んでます。
彼のデフォルメした絵と丁寧に描かれた写実的な風景とのコントラストーーこのふたつの、滑稽さとリアリズムの混在が見事に成功してると思います。
とても面白くて、同時に感動的です。

歴史的観点からもとても重要で、少なくともフランス人読者の私にとっては、日本人作家の視点によって描かれた日本の歴史を読むことは大事だと思います。彼は自分の国のことをちゃんと語っていますし、日本が生きた多くの不幸な歴史を語っています。

ルポルタージュのようなリアルな部分と、また彼の好きな、ずっと妖怪などど過ごしてきた自分の世界――この日本の伝統的な空想世界はわたしたちフランス人にとって不思議で不可解なものです。
ほんとうに水木さんからは刺激を受けています。今でも読んでいるんですよ。そのほかには松本大洋など尊敬する作家さんは大勢います。



――今年のアングレーム国際漫画祭では「グランプリ」候補になりましたが、逃してしまいましたね。

(注:アングレーム国際漫画祭では、毎年、漫画の発展に寄与した作家1人が「グランプリ」に選ばれる。昨2019年は高橋留美子さんが受賞した。

グランプリね。わたしはまだ若いし、まだ時間があります。それに今年は充分ご褒美をもらったし、それにグランプリまでもらったらもらいすぎですよね。
だからエマニュエル・ギベール(日本語訳された作品に『アランの戦争』『フォトグラフ』)が受賞して本当にうれしいです。大好きな作家だから。
今年はもう十分。いろんなことをしなくちゃならないし、それに私にはまだ時間があるし。
今後のグランプリ候補には女性のバンドデシネ作家がわたしひとりではなくも大勢いることを祈っています。

カトリーヌ・ムリスさんの


――カトリーヌさんは、芸術アカデミーに選出されましたね!

(注:フランス学士院を構成する5つのアカデミーの一つ。カトリーヌさんはバンドデシネ作家として初だけでなく、女性として初めて絵画部門に選出された。現在の絵画部門は8人(空席2))


最近決まったことなので、芸術院での仕事がどういうものになるかはわかりません。
でも「芸術アカデミー」はとても古く、数世紀前からある機構で、かつて芸術の保護者であったフランス国王ルイ14世の肝いりで創設されたものです。
今回わたしはアカデミーに入る最初のバンドデシネ作家となります。アカデミーにはバンドデシネ部門はないのです。ほかには、絵画、彫刻、建築、舞踊、映画、写真と、いろんな部門があるんですよ。でもバンドデシネ部門はないので、絵画部門に入ります。
ですからバンドデシネに貢献できるようなことをしようと思います。
少なくともバンドデシネを代表して面白いことをたくさんしていきたいです。だからどうなるでしょうね……もうじきアカデミーの仕事が始まります。少なくとも、とても素晴らしい承認だと思います。とても幸せで、誇りに思います。

――最後に、日本へのメッセージをお願いします!

花伝社から『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』がでで、本当にうれしいです。
この本をぜひ読んでください。気に入っていただけたら嬉しいです。
翻訳が素晴らしいので、それだけでも読む価値あり、です。

今、次の作品を描くために、多くの日本の漫画家さんたちに刺激を受けています。
また日本でお目にかかれることを願っています。今何をしてるかお見せできるよう、わたしの作品が今後も日本で出版されますように。

それでは
日本大好き! アイラブジャパン

https://books.rakuten.co.jp/rb/15792214/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_101_0_0


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