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なんか長い。すっごく。【浅倉透LP感想という名前のポエム】

めっちゃながくなったし感情が乗っかってすごいポエムったので読まれる際は注意してください。

表題通り浅倉透ちゃんのランディングポイント編、関係コミュ内容のネタバレを含みます。

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浅倉透、こんなところで一人で座ってたらドチャクソ“画”になる。







GRAD・おかえり、ギターから続く捕食者としての浅倉透


赤ジャージで写り込んだ画像がバズり、浅倉透は自身の意思を離れたところで評価されるようになってしまう。
その周囲から向けられる評価と、自己に対する評価のはざまで息苦しさを覚え、悩み、吹っ切ったのがGRADシナリオにおける浅倉透だった。
それを踏まえたPカード【おかえり、ギター】では被写体になること(=仕事)に対してより自覚的になった浅倉透の内面が描かれ、そのギャップを克服したように見えた。
LPはそういう前提から始まる。

「自由であってほしい」と「事故を起こさないでほしい」の境目


アイドル(芸能人)のプライベートの問題は芸能関係を扱った話題である限り不可分な話題であるように思う。
もちろん意図的にそのあたりの話を避けることはできるし、調理するにしてもいかに生臭さを減らすか、というのも注力のポイントだろう。
そんな話題を、「広告へ起用した人物の素行不良によるクライアントのイメージダウン」というもう一つ大きな問題に接続した上でテーマにしたのはすごく心臓が強い、と評価するしかない。
LPのシナリオを通して、この問題はずっとPとプレイヤーと浅倉透を二律背反の中に拘留し続ける。
元々ノクチルというアイドルグループ、あるいは浅倉透というアイドルが作品内外で耳目を集めているのはその振る舞いの自由さに拠るところが大きい。
逃げられないこの話題を改めて大きな仕事のオファーを通して提示され続けることで、ストレスは蓄積され続けていく。

カレシ。

…心配?

ズキリとした。
本当にこのシナリオを書いた人間も、それを実装する判断をした人間も、心臓が強い。無神経なだけでないことは切に祈る。
透からすれば、ストレスをかけられ続けた結果としての(幾分大人びた)試し行動ではあったろうけれど、一歩間違えればアイドル浅倉透が破綻しかねないような瞬間だったんじゃないか。
浅倉透もよく揶揄的に何も考えていないと評価されることはあるが本当に何も考えていないわけではない。
自分が引き金になって事務所に責を負わせた結果事務所が破滅する可能性に思い至れるほどには、考えることができる人間である。
それでも漏れてしまったこれは、やや伝え方が迂遠な「仕事と私どっちがが大事なの」であり、そこが浅倉透のPに向ける感情のいじらしさであるように思う。
それに対応するPが「言葉を尽くそう」とするのはWING中盤の展開を想起させて非常に良かった。
思いあうだけで伝わらないことがあるなら、伝える努力をするしかない。


「終わり」への相対


それまでずっと、透は眠ることで上映される映画の「終わり」に向き合うことを避けていた。逃避、とも呼べるものかもしれない。
誰も来ない映画館はしがらみから解放される場所になっていた。
これも、大きな仕事が来たことで風向きは変わる。同じように映画館を雨除けの軒先のように使っていた女子高生のSNS投稿がバズったことで、現実が侵食してくる。
これが一番ストレスになっていたのではないかな、とすら思う。
いつでも終わることを選択できるという安全地帯が、否応なく制限されて、終わらせなくてはいけない場所になる。
映画のセリフをどこか空虚に、しかし大声を出して「オウム返し」する様は、GRADにあった河川敷100周の息遣いの演技に感じた鬼気があり、声優を務める和久井さんの演技ってすごい…としばし感じ入ってしまった。
そんなモラトリアムを経て唐突に、夢のような場所は終わる。
女子高生二人組も、売店の女性職員も、清掃に入っていた男性職員も、スクリーンに映っていた作りものであったかのように浅倉透の眼前から姿を消す。
残酷なまでに鋭利な「終わり」だ。
誰かがまた透の前に現れ、何かしらの気付きや助言をもたらすこともなく、宙ぶらりんのまま、思い出したようにワンマンライブが始まる。

その意義


ライブを通して「捕食者浅倉透」はこの場所でこそ自らが呼吸をすることを思い出す。
そして、空腹を自覚した。
シナリオ上の大目標であるライブではっきりと何かがハマる音を感じられたのは非常に爽快だった。

浅倉透かいぶつの成長、そして


それは天塵の際に起こしたような、小さな反抗を消化して昇華すること。
「気に食わないから好きなようにふるまう」を超克して「置かれたしがらみの中から挑戦者でいる」ことに変わる。
傍目から見れば、押しつけられたルールに迎合したように見えるかもしれないけれど、我々はそうじゃないことは十分に知っている。
Pが出会いの場面を回想するまでもなく、透明だった僕たちはそれぞれ鮮烈に色づいていく。目も眩むばかりに。
海出、さざ波で「彼女たちはそんなに破天荒な子たちじゃないんですよ」というメッセージを発信したあとにこんな挑戦状をしたためてくるのは度胸が過ぎる。
もちろん総体としてのノクチルと個人としての浅倉透という立ち位置に差はあるけれど。

Pが用意する「その先」は果たして餌場か、戦場か。

爆発というテーマ

多分もう少し解釈に時間かかる。こっちに書くかもわかんない。





テロリスト天井努概念を許すな

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