あきなこう

とある文学部の学生が、ただひたすらに感傷的だなと思った世界観や人間観を独りよがりに綴る…

あきなこう

とある文学部の学生が、ただひたすらに感傷的だなと思った世界観や人間観を独りよがりに綴るブログ。

最近の記事

若葉の季節に故郷を偲んで

 新緑鮮やかな5月の上旬、匂い立つ薫風を肌で感じると、つい偲んでしまうものがある。私の故郷、練馬のことだ。生まれてから高校卒業までの18年間、常に私の心の中で確かなふるさととしてあり続けたかの緑豊かな街は、今年も本格的な夏に向けて、青々しい若葉をたくさん茂らせているだろうか。今回はそんな私の故郷、練馬について、望郷の想いを交えながら綴ろうと思う。  東京都練馬区とは、東京特別区の中では最も北西に位置する区である。練馬大根が全国的に有名(だと私は思っている)なように、古くから

    • 「孤独」からは逃げられない

      はじめに 孤独とは一体何だろうか? 物理的に一人でいることか? それとも、他者との交流が満足に為し得ていないことか? 新型ウイルスが流行し始めてから、私達はより一層この感情を身近に覚えるようになった。辛く、苦しく、何より寂しい時間。これだけ苦しいものなのであれば、その空虚さの果てに何かがあるのかと思ったこともあったが、希望に満ちた光明のようなものは、ついぞ見たことがない。  結局のところ、私達は堂々巡りのように、孤独に苛まれ続けているだけなのだ。  でもそれでも、このまま

      • 非合理性に溢れた人間が好きだという話

        はじめに 非合理的な行為にこそ人間らしさがある。そう思い始めたのはいつ頃だっただろうか? 中学高校、そして大学へと上がるにつれて増大していく自意識と共に、人文学領域に足を突っ込み始めた私だが、この一種の本質じみたものは今もなお私の中で揺らぐことなく明確な答えとして自身の心に息づいたままだ。  人間の本質という、数多の答えがあり得る命題に何かしらの答えを断定してしまうことはひどく無作法なのはわかっているつもりだが、せっかくの機会なのだ。私の根幹に関わるような考え方を文章にして

        • 私の私による私のための「note」

          「何故人は文章を書くのか?」という命題があったとしよう。あくまで一般論としての話だ。「記録を付けるため」なのか、「コミュニケーションのため」なのか、はたまた「気持ちを整理するため」なのか。考えうる限りの答えは恐らくこの辺りだろう。だがしかし、殊私に限って言えば、私はこの命題に対して明確な答えを持ち併せてはいない。というのも私は自身のあらゆる文章を、良くも悪くも目的をもって書いたことがないからだ。 では一体私は何ゆえにブログを始めたのだろうか。 別に哲学的な何かを語りたいわ

        若葉の季節に故郷を偲んで