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女子校ノリにウッと来る

どうも、脳震盪ウサギエリカコチャンです。

ちょっと強いタイトルになってしまいましたが女子校出身者が嫌いとかではありません。
自分の中でモヤモヤしていたこと、それを掘り下げることで見えた自分の価値観を言語化してみた次第です。

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大学生になると様々な人と出会う。茨城の共学中高一貫校にいた私は大学生になって初めて女子校出身者という属性に出会った。その中で全員が全員ではないが女子校出身が見せる「女子校ノリ」みたいなものが私は好きではないとわかった。

・言葉による激しい仲の良いアピール
・キツい物言いで指摘
・女友達間で「お前」と言うことも
・仲直り後に過剰な仲の良いアピール


女性らしさを捨てるほうが生きやすい。仲の良さを確認し合うかのような友情。男性的な要素がある方がウケがいいみたいな同調圧力を感じ見ているだけで息苦しく思っていた。

ただその価値観やその環境を否定する気はまったくなく人それぞれだと理解はしているのだが何だか自分は息苦しい。他人の価値観なのに何故私がここまで息苦しさを感じるのか。

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これまでずっと自分は女子校ノリが苦手なのだと思い込んでいたが女子校ノリが苦手なのではなく、思春期に固定された同性だけの集団の中で人間関係を紡ぐのに必要だった、キツい物言いをしても自分たちの仲は崩れないことを確かめ合う試し行為、仲がいいと言葉にしていくことで脆い仲をより強固なものにしていく言霊効果に頼った人間関係の紡ぎ方を思春期が開けた今でも展開されることにウッと来るだけだった。

思春期で誰もが人間関係に頭を悩ませた中高生時代を思い出すと何となく腑に落ちる。しかしもうそんな年齢ではない。女友達間の境界線が薄いほど仲が良い証だと今は思わない。
もうそんな仲の紡ぎ方をしなくても私は大丈夫だよ信じてよという悲鳴が息苦しさの正体だった。

その上難しいところがその「女子校ノリ」を目の前で展開されると同じ形で返さなくては誤解を受ける。仲が良くないのかと受け取られてしまう。キツい物言いにより心にトゲが刺さっても、過剰に言葉にしなきゃいけない関係なのかと悲しくなっても笑顔で同じ切り返しをしなくてはならない。

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お互いを尊敬し合い、相手の受け取りやすい心地よい言葉を掛けて高め合い、ひとりでは崩れてしまいそうな時にはしっかり助ける。
これが健康的な人間関係だと思う。

「女子校ノリ」などと括ってしまったが年齢に合った健康的な人間関係の紡ぎ方をしたいだけだ。

試し行動や言霊のような不自然なパワーを使わず尊敬から生まれる人間関係の積み上げ方だけをしていきたい。

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