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同窓会始まる

秋月聡子との邂逅で僕は心ここにあらず、と言う状態に陥った。でも、僕が誘った以上陽子ちゃんとの会話を打ち切るわけには行かなかった。「そうねえ、あなたの知っている私が一番輝いていた私かもしれないわね。背丈だけじゃないのよ。中学校から高校と成績もだんだんと下がりっぱなしで、今ではどこにでもいるおばさんよ」と話し続ける陽子ちゃんの告白に全神経を集中して耳を傾けた。
「でもねえ、私今が一番幸せなの。子育ても終わり自分の時間が持てるようになったでしょう。去年からボランティアとして働き始めたのよ。家の近くの福祉施設を管理する団体なの。図書館に何の本を買うか相談したり、周りの公園の木を植え替えたりするの。私の意見が取り入れられることもあり、そりゃあ楽しいのよ。やっとこの歳になって人生を楽しめるようになったのね。今は毎日が充実して生きることが楽しくてならないのよ」と締め括る。
確かに背は小さくなったが、ピンク色のブラウスを着たその姿は生き生きとして若々しかった。本卦還りして僕の知っている元気な陽子ちゃんに戻っていると言えなくもなかった。聡子さんの話は今以て推測が付かない。たとえよい話でなくとも、幼馴染みの陽子ちゃんが幸せな晩年を送っていると分かっただけでもはるばる同窓会に出向いてきた甲斐があった。僕がそんな感慨に浸っていると壇上に司会者が姿を現した。
歓談の時間は終わり会が正式に始まった。恒例なのだろう、まず最初に過去一年間に死亡した同級生の報告があり、その人達の冥福を祈って黙禱が捧げられた。一番遠い関東エリアから参加した僕が、しかも初めての参加とあって乾杯の音頭を取るよう申し付かった。予測はしていたが実際に指名されると喋る言葉が思い浮かばなかった。形通りの儀礼的な祝辞を述べただけだった。乾杯が終わって少し素っ気なかったと反省した。
最初の三人がどうやら同窓会の常連らしく驚くほどスピーチが長かった。知事だ市長だ所長だとやたらお偉方の名前を口にしていかに自分が大人物であるかを見せびらかそうとする。同窓会を一年に一度巡りくる自己宣伝の場と心得ているらしい。僕のような遠くに住む者がそんな田舎者と張り合っても仕方ない。先ほどの素っ気なかったとの反省も忘れ僕の自己紹介はごく簡単な現状報告にとどめた。勿論歌は歌はなかった。
「私の学力は高校、大学と進むにつれ段々と低下した」何だか先ほど陽子ちゃんから聞いたのと同じような言葉で秋月聡子の自己紹介が始まった。「でも、一番好きな科目だった数学だけは最後まで必死になって勉強し数学教師の免許を取得した。数学教師として定年まで勤めあげ引退した後は地元のコーラス・グループに入り二番目に好きだった歌を歌いながら充実した余生を送っている」まるで自分の来し方を総括するようなスピーチだった。
名前が山田聡子に代わっていた。スピーチの前に司会者から山田聡子さんは今回が初めての参加であるとの紹介があった。それなら初参加者は聡子さんと僕の二人ということになる。しかも、他県からやってきたのもこの二人だけだった。卒業して50年、二人が申し合たように同窓会への出席を決心した。そして顔を合わすや聡子さんが僕に話すことがあるという。何だか見えざる力に支配されているようで厳粛な気分だった。
式次第は順調に進行し、陽子ちゃんの席に来た聡子さんが開口一番「私あなたにお詫びしなければならないことがあるの。それはね、私が口にした一言で、あなたに随分と嫌な思いをさせたのではないかということなの。そのことがずっと気になっていて何時かあなたに会ってお詫びしなければと思い続けていたの」と言い出した。今から50年前の中学校の校内での大騒動が頭の中に甦った。
「お前のこと聡子が好きだって」「もう手を握ったのかい」「麦畑でチュッチュしたんだろ」あの嫌と言うほど僕に浴びせられた嘲笑は聡子さんが本当に僕を好きと言ったことに対するやっかみだったのか。そう推測が付いてもまだ信じることが出来なかった。別々の学校から進学し一言も言葉を交わしてない僕に聡明な聡子さんが関心を示すはずがなかった。僕は居住まいを正して聡子さんと向き合った。

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