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人が好きだ

なんでだろう、人といるとほっとする。
人であれば誰でも良いわけではない。では誰か、と聞かれたときに言葉にすることはいまだに上手くできていないが、喜怒哀楽を表現し言葉の掛け合いができ笑いあえる人が私にとって一緒にいたい良い人である。

人は自分以外他人だ。だからこそ言葉にして伝えなければ伝わらないことが多い。
言葉にしなくても伝わる関係まで築ければいいが、そんな関係なっている人は少数だ。だからこそコミュニケーションの根幹でもある言葉を重要視したいと思っているのだ。

今まで、好きな人であったり、どういう人がいいのかと聞かれた際に言葉につまり困ってしまっていた。こういう人が良いなという像があったものの、それはとても抽象的で的を得た答えではなかった。

ちょうど今から一年前に私は転職した。
業界/職種も変えた転職によって不安ばかりが募っていた私は、まずはミスをしないように着実に業務を推進していけるように努めていたが、結果ミスをしてしまった。

OJTで教えてもらっていた先輩はそれっきり私に話しかけることや教えてもらう機会、会話がなくなった。挨拶さえも。

間違ったことはすぐにわかったがもう後悔先に立たずの状況だったのだ。
言葉にされないことはこんなにも苦しく悲しいことなのだと知った。
ボロクソに怒鳴られたほうが私にとっては良かったのだ。

相手がどう思っているのか、機嫌が悪そうか良さそうか、話しかけて良いのか悪いのか、毎日顔色を伺い続けている内にいかいおうになっていた。

この時に、前述したような人物像に行き着いた。

気持ちを表に表すことが全てではない。言葉ではなく行動で表す方法もある。
だけど、関わらないという方法はとりたくない。

それがどれだけ人の気持ちをぐちゃぐちゃにする行動だと知っているから。

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