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養老先生の『死の壁』を読了した。

養老孟司著『死の壁』(新潮新書刊)

雨続きの午後、いつもの図書館分室で本書を借りてきた。
五月雨のように拾い読んでは、他の本に浮気する。また拾い読んでは本棚を物色する。
それでも、やっと読了。
興味深いところに幾つかポストイットが貼ってある。

その中のひとつ。

養老先生がまだ四歳の時にお父さんは亡くなったそうです。そのことに関連してこんな風に書いてあります。

<父が亡くなったのは夜中だったので私は寝ぼけていました。臨終の間際に親戚に「お父さんにさよならを言いなさい」と言われました。でも言えませんでした。その後、父は私に微笑んで、喀血して、そして亡くなりました。
幼い頃の私は内気な子どもだったようです。近所の人に挨拶が出来なかった。挨拶が苦手な子どもでした。・・・・
父の死については、よく思い出していました。しかし、それを本当に受け止められたのは、三十代の頃だったと思います。・・・・
ふと、地下鉄に乗っているときに、急に自分が挨拶が苦手なことと、父親の死が結びつていることに気づいた。
そのとき初めて「父親が死だ」と実感したのです。
そして急に涙があふれてきた。・・・・>

ぼくの父も母も亡くなっています。
父など今のぼくより若くして逝ってしまいましたが、母は九十歳を目前にするまで、故郷の大好きだった湖の見える家で妹と暮らしました。
最後は、妹に抱かれ、母を大好きになってしまったヘルパーさんたちに見送ってもらいました。
家人も母の傍で穏やかな涙を流していました。

ぼくは覚えていません。
父のとき、母のとき、涙を流したのだろうか?
ぼくも、養老先生のように地下鉄で涙ぐむ日が来るのだろうか・・・。

養老先生の本を読了して、ながらく放っておいたミラン・クンデラを読み始めたとき、居間のテレビを見ていた家人の声が聞こえて来ました。
7月18日の午後でした。

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