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宮崎駿さんは「風の谷のナウシカ」の頃から、いつも、こう問うていたのか、"君たちはどう生きるのか?”。

急かされるように映画館へ向かった。

宮崎さんの「君たちはどう生きるか」の中に、この頃、ぼくが知りたいと熱望する何かが隠されているような気がして。

座席は七割くらいかな。
平日の午後四時ころの上映にしては、なかなかの善戦であると身びいきに答えたい。
老人も、若い人たちも行儀よく座っている。

長い前置きの後、暗転、「君たちはどう生きるか」が始まった。

十年ぶり。
宮崎さん、十年の間、何を考えてたのかなぁ…

小説も、絵画も、映画も、作品がクリエーターの手を離れたら、後は受け手の問題になる。
十年前の「風立ちぬ」を受け取った人の中には「戦争賛美」だと声を上げた人もいた。
そういう風に受け取る人もいるんだなぁと、ぼくはポカーンとして沈黙してしまった。
作品は、手を離れてもクリエーターたちの”生きた証し”。
宮崎さんは、どんな風に感じていたんだろう。

上映が始まってしばらくすると、ひとり、ふたり… 荷物を持ってそっと席を離れて行った。
シルエットは、若い女のひとのものだった。
彼女らが待ち望んでいた宮崎アニメではなかったのかもしれない。
これも野に放たれた作品への評価だと考えるべきなのだろうなぁ。

この作品は、アオサギのイラスト以外事前情報にほとんど触れることの出来ない広告・宣伝方式がとられていた。

意外なことに、いや、ぼくが不勉強なだけなんだけど、興行四日目で、すでに21億円超えの売上だそうだ。
好調な売上の要因のひとつにこの広告・宣伝方式が挙げられたりしているが、もう少し日が経たないと本当のところは判らないのだろう。
ぼくはと言えば、もう一回観にいかねば!とカレンダーをにらんでいる。

「風の谷のナウシカ」が封切られたのは1984年。
もう、四十年も前になるんだ。
ジブリの鈴木プロデューサーは、まだ徳間書店のアニメ専門誌「アニメージュ」(ナウシカ連載)の副編集長で、書店側の利益代表としてステークホルダー各社と丁々発止。
そんな事とはつゆ知らず、ぼくはと言えば「アニメージュ」編集部の上のフロアで、のんびり新刊のネタを探していて、日本のアニメ動画界の一大事をまったく知らずに、毎夜深酒三昧の日々だった。
情けないことです。

「風の谷のナウシカ」に登場する生き物を腐らせてしまう”腐海”、「火の七日間」と呼ばれる最終戦争で地球を壊滅させた”巨神兵”…まるで救いの無い物語に敢然と立ち向かう”姫ねえさん”。
宮崎さんは、どんなエンドロールを用意しているんだろう、とハラハラした。
映画を観られた方ならお分かりだろう。ご覧になっていない方には教えない。

「風の谷のナウシカ」
「天空の城ラピュタ」
「紅の豚」
「もののけ姫」
「千と千尋の神隠し」
「コクリコ坂から」
「風立ちぬ」
ポンコツになり果てた記憶をたよりに思い出してみる。

すると宮崎映画は、ほとんどの場合、ぼくらへの”救い”が用意されている。
「となりのトトロ」だって、迷子のメイを助けてくれる、これぞマジック!猫バスがいた。

こうして思い出してみると、宮崎さんは、どの作品にも深く、切実な問題への問いを忍び込ませている。

腐海の広がりは、もう待ったなしだし、世界のいたるところで「火の七日間戦争」への導火線に火がつけられようとしている。

映画館を出てくる。
何か重いものをしょい込んだ気分。
とにかく、のどとお腹を落ち着かせようと六本木に向かった。

三十数年の付き合いのビストロ「旬采」。
開店と同時に飛び込んだ。

一番乗り。

ウォッカ・ソーダとシーザース・サラダ、それにハムの盛り合わせ。

シーザース・サラダは好物だけど、今、これをオーダーする?
分厚いステーキとか、ピッツァ三枚とかさぁ…
レイモンド・カーヴァ―の「でぶ」(村上春樹さんの訳だからね)という短編に出てくるとてつもないでぶが、ダイナ―で取り敢えず注文するのもシーザース・サラダだった。

飲み物がテキーラ・ソーダに変わる頃、ふと頭に浮かんできた。

十年ぶりの映画。
宮崎さんは、もう一度聞いてくれたのだ。
君たちは、これからどう生きてゆくのか、と。
もう、あまり時間が無いよって。







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