私が企画をやる理由

noteに風を吹かせたい。
「風を吹かせる」とは、固定的ではなく、流動的な繋がりからなるコミュニティを作ること。

多くの人間関係は、群れの中で閉鎖的、固定的だ。国であったり、会社であったり、派閥であっり、町内であったり、仲良しグループであったり。単位は様々だが。
群れをつくるのは、狩猟・農耕が始まった頃からの人間の習性。一人では出来ないことを、利害を一にする集団の共同作業で可能にするという良い点もあるが、同時に悪い点もある。

群れの内外に線を引くことで、内外の人間を区別する。闘争や仲間外れは、国境や派閥やグループという群れがあるから起こる。
また、群れを保全するための機能=組織が必要になる。大統領や社長や代表やガキ大将を頂点に裾野へと広がるヒエラルキー。ヒエラルキーが出来ると、その中で有利なポジションを得るための闘争がまた起こる。

国の単位までいくと自信ないが、ガキ大将グループから会社の派閥や部門にいたるまで、あらゆる群れが嫌いだ。群れ内外の分断、保全のためのヒエラルキー、内部での権力闘争と派閥化、ルールや掟、同調圧力、しがらみ、つまはじき...

だからといって、いわゆる一匹狼でありたいわけではない。必要なときに必要な人と繋がればよい。いつも同じメンツでつるむ必要はないということ。どの群れに属した人とも等距離の関係が理想。全ての出会いが一期一会の流動的な繋がり。これが風を吹かせる。

みんなの俳句大会も、そのような考えに基づいてやっている。

俳句大会は、あらゆる垣根を取り払ったボーダーレスでオープンな企画。だからこそ、経験者と入門者が、小説家と画家と音楽家が、ビジネスマンとひきこもりが、小学生と老人が、健常者と身障者が、一期一会の繋がりを作れる。

審査員、参加者、運営に上下はない。審査員もまた参加者、参加者もまた審査員である。大会ホストや運営は、権威ではなく参加者の盛り立て係である。

クローズドの内輪企画にならないよう、細心の注意を払っている。杯名や演出(画像や音楽)担当を固定的にしないのもそのため。私自身が権威化しないようにも細心の注意を払っている。

群れに属していなくても、仲間は出来る。
群れはなくとも、助け、助けられる関係作りは出来る。

こんなことを実社会で言うと、そんなユートピアみたいなこと、と笑われるのは間違いない。

しかし、noteの中くらいユートピアでもよいのではないか。




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