富の再配分の必要性

富の再配分が自主的に行われれば理想。しかし現実は

人間には共感力がある。鳥が一斉に飛び立つように生き物は共感する力をもともと持っている。だから困っている人を助けるなど相手に喜んでもらえれば自分も嬉しい。自分でお金を独り占めするよりも困っている人のために使うほうがお互いに幸せになれる。ところが現実にはどうだろう。格差は拡大し、貧困の問題は深刻だ。つまり、自主性だけに任せていては問題は解決しない。

持続的発展のために再配分は必要

再配分の必要性について、すでに国際的なコンセンサスができていると思われるが、なぜかそこを曖昧にするかのような議論が出てくるので簡単にまとめる。

世界人権宣言にあるように、すべての人は健康で文化的な生活をする権利を生まれながらに有しているのであって、貧困によってそれを脅かされてはならない。

また、「貧困をなくそう」が国連のSDGsの最初に来ているように、経済的な発展も含め、社会の持続的発展のために貧困は大きな問題となっている。貧困は犯罪、病気、都市環境、紛争など様々な問題の温床となり、しかも教育格差などにより世代連鎖する。貧困層は市場に参加できないので、経済発展に寄与できない。しかし、再配分により自立を支援されることで市場に復帰できる。再配分は個人だけでなく、社会全体が恩恵を受ける。

再配分の担い手である政府やNGOが中間搾取をしているのではないかという話もあるが、これと再配分の必要性とは全く関係のない話だ。適正に再配分される仕組みを作れば良いし、不正が起きれば個別に対処すべきだ。

労働者と搾取という言葉

歴史的に見て悲惨な労働環境で労働を強いられ、不当な賃金で働かされてきた労働者がいることは周知の事実で、そのために労働法規が整備されてきた。労働者と資本家には力の格差が大きくあり、対等ではない契約が結ばれるためだ。このことを社会主義で搾取と呼んだ。今でもブラック企業と言われる会社もあり、過労死や働いている貧困層もあり、労働問題は単に過去の問題ではない。

では、企業と雇用契約を結んでいる人が皆搾取されているのか?企業の収益は全額労働者に配分されないと搾取になるのか?搾取があるから再配分が必要なのか?

社会主義は労働者と資本家を対立する関係と捉えた。闘争する相手に対して攻撃するために搾取という被害感情を含んだ言葉を選んだのだと思う。しかし、階級闘争論を支持しない人にとって、この言葉と富の再配分は関連しない。

非難ではなく対話と提案を

再配分が必要なのは人権の尊重と社会の持続的発展のためです。日本にも再配分の仕組みはありますが不十分で、国内でも国際的にも再配分の仕組みを発展させ、貧困を終わらせる必要があります。その中でお互いを非難し合うのではなく、より自発的な取り組みになるように対話と提案の中で新しい仕組みにしていければ、お互いが笑顔になれる関係を築けるでしょう。


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