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休み明けは仕事に行きたくない

9時、アラームに起こされる。
頭が覚醒するにつれて絶望が胸を満たしていく。
うわ、今日から仕事じゃん……

どうしても現実を受け入れられず、布団の中で「仕事 行きたくない」とツイッター検索し、同じ気持ちの人を見つけて自分を慰める。
指に任せて、延々とスクロール。
「仕事 行きたくない」
「仕事 行きたくない」
「仕事 死にたい」

9:30になり、そろそろ準備しなきゃと、布団から身を剥がすようにして起きる。
朝、自分の身体を動かすのはやる気ではなく、遅刻するかもしれないという焦りだ。
感情よりも理性が優先してしまう現代人の悲しさ。

ただ、仕事の準備をするうちに「仕事に行きたくない」という気持ちが徐々に薄れていく。
動いてることで気が紛れるというのもあるが、さっきのツイッター検索で気持ちが底まで落ちたというのが案外重要な気がする。
私は落ち込んだときはとことん落ち込み、底まで行ってから徐々に浮上するタイプである。
「底まで落ちる」というのが苦しいけど重要で、そうまでしないと不完全燃焼になってしまい、気持ちをうまく処理できない。

ある休み明け、試しに朝のツイッター検索をせずに出勤したことがある。
そのときは「仕事に行きたくない」という気持ちが胸に残ってしまい、出勤の電車に乗っても気持ちが切り替わらなかった。
おかげでその日の仕事はストレスを感じることが多く、終わる頃にはへとへとだった。

休み明けに「仕事に行きたくない」と思うのは、自然なことでかつ大事なことなのではないか。
休日という自由な時間を過ごした後に、仕事という強制的な場に行くのはやはり負担がかかる。
そして、「仕事に行きたくない」と思えるのは、休日に電源をオフにして心身を休めた、という証なのではないか。

というわけで私は休み明けの朝、「仕事 死にたい」とツイッターで検索する。
気持ちを底まで落とすことで、逆説的に仕事に行けるようになる。
理屈では説明できないほどに、気持ちが切り替わる。
それはまるで、小さな死のようだと思う。

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