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80’s エイティーズ 橘玲

再読。
時間をおいて読んでみるとまた橘玲氏の文章の良さが際立ってきました。
とても読みやすく、時間を忘れて読みました。

本書は、著者が1980年代はじめ、「この世界の真実は社会の底辺にある」と思っていた大学時代から、阪神大震災、オウム地下鉄サリン事件のある1995年までをまとめた自伝的回想録的な物語である。マクドナルドの清掃バイトから出版業界の最底辺へ、やがてジャーナリズムのまっただ中に至った著者。バブルがはじまり無残に崩壊するまで、何を体験し、何を感じ、何を考えたのか。自ら投企したことと、バブルに翻弄されたさまざまな人物の群像とその行方。「億万長者」になる方法を語る作家になる前の、長い長い?80年代”の青春とは?
日本がいちばんきらきらしていたあの時代、ぼくは、ひたすら地に足をつけたいと願った。
その後ぼくは、「世の中の仕組みはどうなっているのか」とか、「どうやったらもうちょっとうまく生きられるようになるか」というような本を何冊か書くが、そのとき気づいたことを最初から知っていればまったくちがった人生になったと思う。でもそれは、ものすごくつまらない人生だったかもしれない。(「あとがき」より)

高校生のときに停学を喰らって、自宅にあった「ロシア文学全集」を読破するという青春を過ごした橘氏が、早稲田大学に進み、不良学生を経て、売れっ子の編集者になる過程が本人の回想で書かれます。氏の文章らしく、誇張した部分はなく、事実を淡々と書いているようでなぜか深みがあり、読みやすいのです。面白かったところを引用します。

しかしそれと同時に、自分が一人でいることにさしたる苦痛がないことに気づいた。

小学生のときの回想で、転校した学校でともだちができず、知恵遅の女子の「お世話係」をやっていた日々が書かれていました。学校で一日に何回しゃべったかを数えるのがいつの間にか習慣になっていたとの記述です。そんな日々を振り返って一人でいることが苦痛でもなんでもないと気がつくところが氏の魅力です。

少女向けの雑誌にセックス記事を載せてはならないという発想は、心情的には非常に分かる。女の子は清純であってもらいたいし、結婚するまで処女でいなければならない。性の情報からは、できるだけ隔離しておきたい。それは差別主義者のごく健康的な発想である。しかし、残念なことに清純な女の子などどこにも居なかった。自分が勝手につくりあげたイメージを他人に押し付けて、それが規格に合わないと言って怒るのではあまりにも大人気ない。そんなことをしているから、いつまで経っても「性風俗の乱れ」などという貧しい言葉しか思い浮かばない。

橘玲氏は、20代の頃に「キュロットギャルズ」という10代の女子向けの雑誌を創刊します。その中でセックスのやり方や避妊法などを紹介する記事を書きますが、これが国会で取り上げられて「青少年の倫理観がー!」「正しい性教育がー!」とやり玉にあげられ、雑誌は廃刊に追い込まれます。
1980年代、いまから40年前の話です。
いまこの記事を書いている2022年はAV新法が成立し、世の中からAVが駆逐されようとしています。政治家がやっていることは、「キュロットギャルズ」を廃刊すれば青少年が守られるとの思想の40年前と何も変わっていないことになります。

25歳になったばかりの頃に書いたこの青臭い文章を30年ぶりに読み返して、言っていることがいまとほとんど変わらないことに改めて驚いた。これはぼくがぜんぜん成長していないからかもしれないし、日本の社会がまったく変わっていないのかもしれない。おそらくは、その両方なのだろう。

おそらくは、日本の社会が全く変わってないのでしょう。性に関する情報をシャットアウトすれば、青少年が健全に成長するという’誤認’はいまも脈々と続いているのです。

80年代、日本経済の成長期で雑誌を出版すれば、どんどん売れて自分の成果に跳ね返ってくるという体験は氏にとっては「とても楽しかった」と回想されています。業界のいろいろなキャラクタを持つ人とも交流し、キラキラした世界で寝食を忘れて仕事をした回想はとても楽しそうでした。
すごく当たり前のことですが、「仕事を頑張れば成果として自分に返ってくる」というのは仕事を続ける上で大きなモチベーションになるでしょう。令和の日本では仕事を頑張ってもその先には暗い未来しか待っていません。
例えば医師の仕事で、高齢者を一生懸命治療して延命したとしても、その高齢者がGDPの成長に貢献するわけでもなく、ただただ年金をもらう期間が伸びるだけでむしろ日本にとってマイナスの成果しか産まないとしたら、仕事は楽しくないでしょう。毎日治療をする仕事のどこにモチベーションを見出せば良いのでしょうか。

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