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読書③ ハッカーと画家

起業家は美術館に行く的な話を何かで聞いたような気がします。

起業する前から美術館に行っていた私はきっと起業家になるべき人材だったんだと思いました。

一応、私の親友に、「起業家が美術館に行く傾向あるって聞くけど、確からしいデータあるの?」って聞いてみました。

起業家やビジネスリーダーが美術館を訪れる傾向があるというアイデアは、実際に何度か提案されてきました。特に、美術館や芸術を通じてクリエイティブな視点や新しいインスピレーションを得ることが、ビジネスの世界においても有益であるという議論があります。
しかし、これに関する確たる統計データや科学的な研究結果は限られています。一部のビジネスリーダーや起業家は、美術館を訪れることで新たな視点やアイデアを得ることを好むかもしれませんが、これが一般的な傾向として成り立つかどうかについては、統一されたデータが不足しています。
一部の専門家やビジネスコミュニティでは、芸術や美術館での経験が創造性や問題解決能力にプラスの影響を与える可能性があると主張しています。しかし、これが起業家やビジネスリーダー全体に一般化されるかどうかは、具体的な研究やデータが必要です。

Chat GPT

なるほど。
まあその通りだなあと。クリエイティビティが目的で、それを得るための手段の一つとして、芸術が選ばれることがあるという話でしょう。

とはいえクリエイティビティを得るという目的の達成を助けてくれる、良質な手段だったこの名作を今回は取り上げます。

ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち


デザインが大事

プログラミングを勉強したからといって、金持ちになれるわけではない。

「エンジニアに転職して年収UP」という広告を見て思いました。

本書で説かれているのは「何をプログラミングするのかが本質である」という旨です。

「何をプログラミングするのか」とは、すなわち「デザイン」を意味します。

ソフトウェアがプロダクトマネージャーたちの委員会(*委員会とは「出力のばらつきを抑える機能」と本書で定義されている)で設計されるような大企業とデザインで勝負する方法を見つければ、彼らは絶対あなたに勝てない。
でもそういう機会を見つけるのは簡単ではない。

大企業をデザインでの勝負の土俵に引っ張り出すのは、城の中にいる相手に一対一の勝負に応じさせるのと同じくらい難しい。デザインで勝負に打って出る場所は、誰も要塞を築いていない新しいマーケットである。

そこで、自分でベンチャー企業を作るということが、それを叶える方法となるのです。

同一人物がデザインと実装を受け持つことで、大きく勝つことができる。ということが提案されます。
「デザイン」はイラストを描くことだけではなく、「実装」はプログラミングをすることだけではありません。「デザイン」とは解きたい課題や描く未来を実現するアイデアで、「実装」とはそのアイデアを実現する行動そのものです。

つまり、デザインと実装は、「何を成し遂げたいか」考え、「手段を用いて実現する」という行為からなる、人生における向き合いそのものなのです。解像度が高いものほど、具体的な形になって世に送り出され、「サービス」としてお金が払われるものになるのです。

人がお金を払うものは変わる

webブラウザ上で動くものにお金を払うことが考えられなかった時代がありました。SaaS全盛期の現代ではそれが逆に考えられません。

本書内では、おそらく当時の最先端の考えとして以下が記されています。

やがてユーザーはハードウェアよりインターネットのサービスにお金を払うようになるだろう。今、電話がそうであるように。

日本語で出版されたのが2005年なので原著がもう何年か前と考えても、10年でその考えが標準になったのです。それくらいすぐ変わるのです。

支払う対象とは常に「つながり」であり、従来はインストールされたソフトウェアがそれだと思われていました。実際はソフトウェアが提供している機能の部分がつながりだったのです。

そのため、デスクトップなのかブラウザなのかは、実際は大事な問題ではなかったのです。むしろ、ブラウザ上にあることで機能拡充が速やかに行われ、「機能」という大事な問題での提供価値が上がり、ブラウザが勝利したと言えます。

別の話ですが、作家のウラジミール・ナポコフは、「天才とはほかの人に見えないものが見える人、というか、物と物のあいだの見えないつながりが見える人かな」と書きました。

物と物、あるいは人と物、人と人の間の、既に存在しているが見つかっていなかった繋がりを再発見することが「デザイン」のはじめとも言えます。

私もそんなつながりが見える天才でありたい。

ちなみにこのナポコフは現代では広く浸透した趣味嗜好の「ロリコン」市場を作品を通じて創り出しました。『ロリータ』という彼の作品が語源のようです。そのようなニーズを抱えた潜在顧客(読者)は存在したと想定され、彼自身がその顧客とニーズを満たす作品のつながりが見えた天才であったと言えます。

現在いる場所に未来もいるわけじゃない

現在成功している大人で、中学高校でnerd(近い日本語は"オタク")じゃなかったと言い切れる人は滅多にいない。
実際に私が出会った優秀な方はオタクだったりします。

賢いこととnerdであることに間には極めて強い相関があり、nerdであることと人気者であることにはもっと強い負の相関があります。

学校内で人気の度合いでランチテーブルを区分けすると一番人気のテーブルにはフットボールの選手とチアリーダー(日本だとテニスサークルの男女?)、そして一番人気のないテーブルが私たちnerd。

自分が賢かったとは言わないが、人気がなかった(今もない)という意味ではnerdだと思います。

nerdが学校であったり、あるいは人気の度合いでテーブルが分けられる場所にいると、空虚さを感じるはずである。

しかし、
「nardは負け組じゃない。単に違うゲームをやっているだけなんだ。それも、実社会により近いゲームを。」
と本書では鼓舞をしています。

大人になれば、昔nerdだった人の方が何かを成し遂げていたりします。
既に「大人」でも、これを「未来」と読みかえても共感できるはずです。

自分たちの今いる状況を理解するだけでも苦痛を和らげることができるが、「何かを成し遂げる」機会を待つだけではなく、自ら行動することも本書のメッセージを通して促されます。

読んでくださったイケている人も、nerdな人も、今いる場所とは違った未来の場所を、一緒に創りましょう。

※一応、そんな未来を創る企業"株本事務所"のリンクを貼っておきます。
https://kabu-moto.com/

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