見出し画像

『かぼすの軌跡』5月/過去と向き合う

充実した1ヶ月。
春やからってのもあるんかやることが多くて充実してる上新鮮な環境で日々を過ごせてる気がするし、もう5月半ばやけどまだ授業に新鮮さが残ってるってすごくない??5月はまだ忙しいけど6月なったら少し休憩出来そう…でもまだ一年の夏やからとか言わずにちゃんと就活のこと視野に入れた夏にしたいって思ってるからこそ一日一日を無駄にしたくないよなって。

いつもクラスの子らからバイトの話とか聞いてると自分がバイトしようと思ったことないのって多分お金を稼ぐために働きたいって思わんからなんやろな。もちろん好きなもん買うためにお金は欲しいけど、お金欲しい=お金稼ぐって考え方じゃないうえに、辛いこと嫌なことしてお金は稼ぎたくないって思ってて、好きなことの上に辛い嫌な仕事が付いてくるのは仕方ないと思うんやけど、その違い。

まぁ、バイトをしたくない理由はこの辺で止めといて、本題へ

▷過去と向き合う

中3の美術かなんかで「自分自身の人生の終わりまでの軸を書いてみよう」みたいな授業があって、正直もう生きたくないって思うことの方が多かったから20歳までは書いたけど今の23歳ぐらいで面白半分でなんでもいいやって「死」の感情を書いたんを覚えてるんよね。飛び込みか飛び降りか。

そのくらい生きることに幸せを感じてなくて、何かを遂げるために生きたいなんて1ミリも感じてなくて、とにかくどうすれば楽に死ぬことが出来るかだけを考えてた。

けど、今は推しの存在が8、9割を占めるけどそれだけで幸せで死ぬのがもったいないと思うぐらいに過ごせるようになってる。でもその中で大学生の時は過去を見ない、今だけを未来を見て過ごすってことに軸を置いて過ごしてたんやけど、これからは過去をちゃんと見返して、向き合って過ごすことで次に繋がるプラグになるのかなって。

やから今回は何について振り返るのか、向き合うものはなにかを書き留めていこうと思う。

→中学時代 いじめ
何回かこのブログで話した気もするようなせんような…まぁまた1からになるけどお話しましょう。


中学二年生の10月頃のお話。
中学生のクラスって必ずじゃないけどリーダー的なのがいて一陣、二陣、庶民、平民みたいなピラミッドない?ある気がするんやけど、まぁそれの一陣vs平民的な。平民以下か

休み時間に囲まれたり、陰口言われたり、遠くの方で聞こえる声で悪口受けたり

まぁ中学生らしい意地悪ですね
それに自分が慣れたからなのか、今思い返せばその程度かって思うんやけど、まぁ当時のいじめですね。

いじめって当人がいじめと感じればそれはいじめなんよ。無くならんの。相手が悪いって自覚があってもなくても“いじめ”は無くならんの
無理なんよ。
諦めてるやんって思われるかもしれんけど、諦めへんと被害者側が一方的に辛い思いするだけなんよ。やから時には諦めも必要ってわけ。


慣れも必要やけど、諦めも必要

中学時代に受けたいじめから自分が成長した部分は、人を見ること。そしてこれからも必要な向き合い方は、人を見極めること。
人を見るっていうのは仕事仲間とかその時、それっきりの関係性の人と過ごすにあたって「この人はどういう人なんだろう?」と調べること、そして知り合いの関係性を築くこと。
逆に、人を見極めるっていうのは「この人の意見は正しい、正しくない」「自分に合っている、いない」を自分自身知ること。

前回インターン行った時はこの見極めが出来なかったがため、めちゃくちゃ自分を苦しめることになったから自分の首を絞めないためにも人を見極める力は必要なのかなと。

→高校時代 仲間はずれ
これは後の大学時代の話にも繋がるんやけど「友達って何?」ってこと。
私自身話しかけてくれた子はみんな「友達」って認識なんよ、やから自分を絞めやすく、殺しやすい。「友達」じゃなくて「仲間」「チーム」って思うことが大事なポイント

私の定義やねんけど、「友達」って、何でも話せて、ばかしあえて、どうでもいいこと話し合って、無の時間あっても苦じゃなくて、「こいつやだな〜」って思っても本気でそうは思ってなくて、たまーに喧嘩するけど許せて、みたいな人やと思うんよ。それの付き合いが長くなればなるほど「親友」になれる。

やけど、私はいつからかそれの大勘違いを起こし始めて自分が一方的になってしまって、気付けばひたすら自分が話して、無の時間が苦で、その場にいるのが嫌いで1人を好むようになった。友達がいないと嫉妬するけど友達の定義が強すぎる人。って感じ、あと束縛もあるんだろうなぁ…

高校の時は一年の時友達から始まって三年の終わりには友達だった人から嫌われる存在になった。もう縁も切って私は「知っている」関係になった。
正直友達だった「と思ってた」周りの人が音を立てずに消えると不思議に感じるし、理由が知りたくなる。けど相手は無で去りたい人が殆どって言うのが当たり前らしくて、これに限っては今もこれからも諦めが必要ってこと。

だから成長はしてないし、寧ろまだ今の学校の仲間も友達だと思ってる節があるから友達じゃなくて共に2年間を過ごす仲間なんだって思わないとって綴ってて改めて感じた。向き合い方としては、まずは視野を広げて世界を広く見ること、そして、仲間を増やしてその中から本当に気が合う友達を見つけること。

→大学時代 人間関係
これも友達に関連付くんやけど、友達だったがゆえ頼りすぎたっていう。
だから自分が楽しちゃうから友達って作らない方が楽だなって思ったこともあるんよ、やけどいないと嫉妬する。めんどいやろ?

この人間関係は大学時代に書いたやつ見てもらった方が早いと思うからリンク貼っとくけど、

成長したことは人間関係を正して次に進んだことかな。今までは放ったらかしにしたから過去に向き合いたくなくて目をそらすばっかりやってんけど、大学は卒業するまでもしくは、3/31〆で関係に「。」を付けるようにした。
でも、これがあるから今こうやって過去に向き合おうって自分自身なれてるからやって正解やってんなって。
で、これから向き合うために必要なことは、過去から学んで次に繋げることかな。
前回は言えば悪い方向に進んだわけやから教科書があれば、知識があればもう1回同じ道を通るなんてことはないと思うんよ。冒険心があればね、

ただ、冒険心がないから、積極性がないから、自分から行こうのタイプじゃないから、また同じ道を、知ってる道を歩きたくなるかもしれんけど遠回りになってもいいから一回冒険してみようと思う。やから向き合うのに必要なことは積極性を持つこと。

▷まとめ

約10年前から今現在まで通して一人の人間として成長した部分は
・人を見ること
・人間関係を正したこと

これから必要なことは
・人を見極めること
・視野を広げて世界を広く視ること
・仲間を増やして本当の友達を見つけること
・積極性をもつこと

慣れも必要やけど、諦めも必要ということ。

改めて向き合ったら自分の知らんことを今一度知れた気がして、このタイトルにして良かったなって思えた。

来月は来月でまたその時感じたテーマについて書くよ。やっぱり大学卒業してからタイトルの雰囲気も変わったけど、難しいこと話そうって言うより言葉数が少しだけやけど増えたんかな。喋ってる内容は差ほど変わらんからな笑

来月もお楽しみに👋🏻‪

▷【宣伝】

私が大学生の頃に行ったインターンの映画がもうすぐ公開されます!!
インターンって立場やからエンドロールに名前は乗らんだろって思っとるけどどんな風になったんか気になるから私も劇場に足を運ぶ予定です☺️
普段見ん時代劇やから寝そうやけどストーリーは頭の中に入ってるはずやから多分大丈夫やと思う!!集客も気になるなぁ。

2024.05.17 公開(予定) 『碁盤斬り』もし良ければチェックしてください🙏🏻

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?