かぼす

バンプオブチキンが好きです。

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最近の記事

他人を喜ばせたいは内発的?外発的?

人に親切をすることは気持ちがいいことだ。 けれど人に親切にするあまり苦しくなることもある。 親切心は気持ちがいいものなのか?苦しいものなのか? それは内発的か外発的かで変わる 内発的なときは2択の選択肢がある したいという気持ち 外発的なときは命令なのでひとつしか道はない しなければという気持ち ひとつの方法に縛られている

    • 人に優しくなる方法

      人に優しくするにはまず自分が満たされていないといけない。 そのために、人からもらった優しさに気付いていく方法がいいと思う。 満たされるために多くもらうのではなくて、もらっていて当たり前だと思っていることに気付くことだ。 何もないと思う人は気付けていない人だ。街がきれいなのもコンビニでご飯がすぐに買えるのもあなたが生きているということも全て優しさでもある。 生きるのが楽しくないから感謝できないのではなく、感謝しないから生きる喜びが感じられないのではないだろうか。

      • 他律的に生きる病んでいる人

        人生は自分次第で変わっていく。 これを知らないのってすごく悲しいことに思える。 運命に振り回されて耐えたり崩れたり自分が嫌いになってしまったり。 運命を変えるためには踏ん張らないといけないときもある。けれど理由もなく踏ん張るのと、良くしていこうと思って踏ん張るのでは苦しみを感じる量が全く違うと思う。 周りに押し付けられた価値観を守って、心療内科で出された診断名で分類されて、いつの間にかカテゴライズされて大枠に収まってどこまでが自分という人間なのかわからなくなって、しかも

        • 恋愛遍歴①

          いつもいつも頭の中で繰り返し人に話しをしている妄想をしてしまう。 カウンセラーさんに聞いてもらうのがいいのかもしれないけど、もうだいぶ傷は癒えてきたのでこのブログにしたためることにした。 私の恋愛話はメンヘラの類に入るだろう。 今日、頭の中で繰り返していたのは私が大学を卒業してフリーターをしていた頃の話だった。 正社員として就職しようと思っていたが、卒業までに決まらず、友達の紹介で蕎麦屋でバイトを始めた。就職するまでの繋ぎくらいの気持ちで働いていた。 付き合った相手は2

        他人を喜ばせたいは内発的?外発的?

          他人から解ってもらいたい

          誰からも理解されなくて悲しい思いをした。 こんなに人のために頑張っているのに、 我慢して尽くしているのに、 頑張っている努力を認めてくれない、 誰も私のこと分かってくれない。 孤独で惨めで悲しい気持ちで 世界にひとりぼっちのような感覚だ。 その気持ちを感じているのは誰ですか? 自分です。 ネガティブな気持ちを感じているのは自分自身ですよね。他人から分けてもらった気持ちではないのです。自分が他人との摩擦で生み出した気持ちなのです。 でも孤独を感じる反面、分かち合う気

          他人から解ってもらいたい

          【解決】子供の頃、お父さんが怖かった

          お父さんと私の問題を振り返り、 問題は「昔傷付いた私はお父さんを責めたいが、現実に私の責めたいお父さんはいなくなり、許すこともできず感情が宙ぶらりんになってしまった」 少し掘り下げると 「子供が間違ったことは、怖い目(怒鳴る)をさせてまで辞めさせることではないはずだ」 という気持ちが出てきた。 大人のほうが大人だ。 善悪の価値観がなく、悪気もなかった行動をきつく叱るのは間違ってるのではないかとなぜそれを理解してくれなかったのかという思いがあった。 しかし私はここで間違ってい

          【解決】子供の頃、お父さんが怖かった

          子供の頃、お父さんが怖かった

          子供の時、お父さんは怖い存在だった。 親の喧嘩はたまに見ていた。 5歳くらいの頃に寝ている寝室から両親の言い合いの声が聞こえて目が覚めたことを覚えている。 お父さんは声が低く怒鳴ると雷が落ちたみたいなインパクトがあった。 テレビのリモコンがなくなったとき、風船に水性ペンで落書きしたとき、夜に兄と大声で笑った時、本当に雷が落ちたみたいにいきなり怒鳴られるのが、幼い私にはショックがあった。 おばあちゃんの家にお父さんの運転で兄と二人で向かっている時に私が途中で車に酔い、気持ち

          子供の頃、お父さんが怖かった

          無気力

          私は精神世界に憧れがある。 空想や幻覚の世界をリアルだと錯覚してしまうほどの体験ができたら、と思う。 現実世界では相手の内面が見えない。 見た目や言動で相手を判断してしまう。 私もそうしてしまう。 怖そうな人には緊張してしまうし、物腰柔らかそうな人には積極的に話しかける。きれいな絵に感服する。汚い場所は避けて通る。男性から優しくされると下心があるのではないかと疑心暗鬼になる。 心の中が見えればそんなことはなくなっていつでも本質を見れるようになるのに。 見た目も人を測る物差

          【考察】車輪の唄

          男女の旅立ちのラブソングとして捉えることも可能だが、今回は個人的な解釈を書き留めようと思う。 「車輪の唄」というタイトルだが、車輪という単語がのちに発表される曲にも出てくる。「You were here」という曲でツアー中に藤原氏がライブでの想いを書き上げたものだ。この曲を聴くと、車輪とは時間の流れを表していることがわかる。 そして、車輪の唄の歌詞を読んでいて気付いたことがひとつある。 自転車を漕ぐ見送る人と電車に乗る見送られる人が登場するが、見送る人は見送られる人の顔を

          【考察】車輪の唄

          神様は自分の中にいる

          むかしむかし、合法な幻覚が見れるお茶を飲んで、私は心に残る幻覚体験をした。 意識体になった世界の中で(目は瞑っているけど景色が見える)私はパステルピンク色の雲の上のようなだだっ広い場所にたどり着いた。 一緒に幻覚茶を飲んで囲っていた人たちの意識体がもやもやとしていて、隣の人と横並びに繋がってひとつになってたのを見た。 このとき、私はここは自分の中の神の部分だという確信があった。 それがとても心に残って、あとあと調べると、心理学用語で呼ばれる集合的無意識という部分だったんじ

          神様は自分の中にいる

          【考察】ダイヤモンド

          この曲は「何のために生まれてきたのか」を旅を続ける人に問う物語だと思う。 何回転んだっていいさ 擦り剥いた傷をちゃんと見るんだ 真紅の血が輝いて 「君は生きてる」と教えてる 主人公はいきなり傷を負っている。 しかし傷付くか傷付かないかではなく、傷を見つめろと曲は問いている。 傷を見ることで、生きているという実感が湧く。この実感が、まさに生きている理由なのだろう。 固いアスファルトの上に 雫になって落ちて 今までどこをどうやって 歩いてきたのかを  教えてる

          【考察】ダイヤモンド

          人に優しくするのが苦しくなった時に手放さないといけないもの

          優しい人、しっかりした人、真面目な人になりたいと思いながら生きていても、それらが自分を苦しめ生きることが辛くなってしまう時がある。 生きることは困難だ。それは前提だ。 その困難を乗り越えていかなければならない。それは苦痛や悲痛な経験になるかもしれない。 けれど困難に立ち向かうのではなく耐えて自分を押し殺して生きることは、苦痛や悲痛を永遠に続けることになってしまう。 乗り越えるのにはどうしたらいいのか。 その一つは当たり前を手放さなすこと。 当たり前とは自分が作ってきた固定

          人に優しくするのが苦しくなった時に手放さないといけないもの

          【考察】同じドアをくぐれたら

          ユグドラシルに収録されている楽曲。インタビューでは藤原氏は「これはメンバーには言ってないんですけど、ちょっと手向ける気持ちはありました」と話している。 メンバーに向けてBUMP OF CHICKENというバンドに覚悟を決めるための歌のようだが、聴いている人にも「人生は自己責任」というメッセージを与えてくれる曲だと思う。 もう 気付いたろう 目の前のドアの鍵を 受け取れるのは 手の中がカラの時だけ 自分の前に人生を開くドアがある。 しかし自分の人生を歩けるのは自分だけ。 そ

          【考察】同じドアをくぐれたら

          人を本当に愛するのに必要なこと

          私はメンヘラとよく付き合っていた。 というより私がメンヘラ製造機だったのかもしれない、と今は思う。 大学生のときに、初めて私がうつ病を持っていたと打ち明けられた彼氏ができた。彼は自暴自棄気味な私を見抜き、告白されて付き合うことになった。彼も現にうつ病で睡眠薬に依存している人だった。その話を聞いて助けたいと思ってしまった。 LINEで喧嘩をすると彼は睡眠薬をODし、お前のせいだからと捨て台詞を吐いて眠りに入ってしまい、真夜中に家を飛び出して彼が起きるのを3時間外で待ったりもし

          人を本当に愛するのに必要なこと

          会社員をやめた

          フリーランスになった 4年働いた会社をやめた その前はフリーターだった さらにその前はうつ病引きこもりだった 一年後はまた会社員に戻ってるかもしれないし、生活保護かホームレスになってるかもしれない それでも今はフリーランスだ 今、眠れずベッドの上で書いているこのnoteだが、10年前の今日も多分ベッドの上で寝ていた うつ病真っ只中で絶望していた頃だった 絶望しているので救いも求めていなかった 毎日朝になるのが嫌で消えたくて頭の中でずっと自己否定をしていた 外側には苦しみし

          会社員をやめた

          自分を信じるということ

          何かを信じるには信用がいる、気がする。数年付き合っている思いやりのある誠実な恋人は信じられたりネットの口コミはサクラが書いてそうで信じられなかったり。時間をかけて積み重ねた実績が信用になるのだろう。 でも誠実な恋人が実は借金なり浮気なりをしていたとしても、それは新たな一面が現れただけなんじゃないだろうか。その人はずっとその人だった。裏切られたと感じるのは自分が理想を描いて期待していただけなのだ。 そうなると自分の目を通してみたものには全て理想や期待を持ってしまうだろうから

          自分を信じるということ