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【エッセイ】勘のムダ遣い

勘が冴えている方だと思う。
「なんとなくこっち」で選んだものがいい結果になったり、「嫌な予感がする」と思えばその通りになったり。
たぶん認知バイアスもあるだろうけど、勘が冴えていると思った方が気分がいいのでそう思うことにしている。

ただ、勘というのは、経験に裏打ちされた能力だとも思っている。これまでの人生経験や、無意識のうちに得た情報が、勘という形に昇華される。言語化しきれない、自分の中で積み重ねられた何かこそ勘の根拠なのだ。


しかし、そうした経験とは切り離された状況で勘が働くこともある。
例えば私はいくつかのソシャゲを遊んでいる。ガチャを引くときに、何故か「絶対レアリティの高いこのキャラが出る」と思い、実際に引けたことが何度もある。これで引けなかった試しがない。(年に一回あるかないかぐらいだが) 最近だとポケマスで22年キバナさんが一発で出た。

勘が冴えているのはいいことだが、あまりに役に立たなさ過ぎる。せいぜいオーブやダイヤの消費が抑えられるぐらいである。ガチャ課金は基本しない方針なので節約にもならない。能力バトル漫画だったら一コマで紹介が終わるモブであろう。
もう少しカッコいい状況で、勘が役に立てば自慢できるのになあ。



(追記)
これを書いている途中で、家を出る時間を一時間勘違いしていたことに気がつきました。
どこに行った、勘。


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