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【エッセイ】好きの温度

それなりに漫画を嗜んでいる方だと自負している。
小学生の頃は学年誌、コロコロ、ちゃおと3種の雑誌を読んで育ち、週刊少年ジャンプは中高校生ぐらいから今まで読み続けている。
今までに読んだ漫画本のタイトルだけで千本は行くだろうか。パンの枚数の如く、いちいち数えるようなものでもない。

しかしどれほど多くの作品を読んできても、大好きだ、と胸を張って言える作品は数えるほどだ。
好きか嫌いかで言えば間違いなく好きであっても、その好きゾーンの範囲が広い。これは漫画に限らず言えることではある。

例えば。
最近では漫画の全話無料公開などがある。
あれで全話読破した作品が何作かあるのだが、全話無料公開で読んだきりの作品を「大好きだ」とは言いたくない。読んでる最中に大好きになったら読み返すために全巻購入するからだ。それが作家にとって収入源であることを考えると、お金をかけずにファンを名乗りたくはない。
逆に言えば好きな作品はなるべくお金をかけたいのだ。できるだけ製作側に楽しませてくれたお礼を還元して、次に繋げてほしい。

最近そうした無料公開の本を読むことが増え、ガツガツと貪り喰らうように読み耽る自分に疑問を抱いたりしたのである。もっと好きな作品を大事に読む方がいいのではないか、と。
もちろん新たな出会いを求めて開拓するのも楽しい。かと言って一つ一つをちぎっては投げ、と咀嚼せずにいるのも違う感じがする。この”ちぎっては投げ読み”をしていると、なんだか長期記憶もどんどん衰えてしまう感じさえする。

たくさんの作品に触れて平気でいられる人との違いはなんだろう。真っ先に浮かぶのはアウトプット量の違いだった。と、いうことでアウトプットを増やす目的もあってnoteを毎日書いている。漫画と文章では畑が違うが、私は言葉に依存した人間であるためこちらが性に合っている。なにかしらインプットに変化が出てきたら面白いな、と思う。


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