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【映画感想】恋は花束だが、愛は花束じゃないのかもしれない。

※このnoteは、映画「花束みたいな恋をした」のネタバレを含みます。

「花束みたいな恋をした」
脚本: 坂元裕二
監督: 土井裕泰

今更ですが、「花束みたいな恋をした」を観ました。

みるまでのいきさつ

なんとなくこの映画を避けていたが、みんなが良いというものは観ておこうと思って観ました。
誰の脚本とか、誰が監督とかあまり詳しくないので主演の2人が有名ということだけが最初の印象です。
その上、普段映画を見ない人がこぞってインスタのストーリーに「泣けた」「良かった」と映画の半券と共に投稿していたので、「大衆向け恋愛映画」だと思い、なんとなく避けていました。

私は、恋愛映画のキラキラしていて非現実的で、大体どっちかが死ぬか結ばれて幸せになるかで終わるのが苦手なのであまり観ません。
タイトルから、ハッピーエンドではないことは分かりました。この映画も、どっちか死ぬか非現実的な別れ方をするのだろうと思っていました。

しかし、違いました。
宝石のようにキラキラしている人たちがロマンチックな恋愛をする話ではなかったのです。
石ころを宝石のように愛する人たちの話だったのです。

つまり、2人の恋愛は割とリアルだったのです。
その上、めんどくさい。
キラキラして爽やかでリアルな恋愛の上澄みだけを汲み取ったものではなく、ちゃんとめんどくさい恋愛映画で、多くの人が共感して「良い」という理由もわかりました。

サブカル感すごいのにみんな好きなの何で?

この映画をみて思ったのは、
サブカルっぽいのに大衆に刺さっている……
なぜだろう?

という、一つの問いでした。
2人とも、サブカル的でめんどくさい。
モノローグは、固有名詞ばかり。
いちいち詩的な表現をする。
アニメ映画の実写化を許さず、監督を知らない人たちを見下している風。
サブカル的で、文学的というのでしょうか?

哲学っぽいというか、常に世の中に疑問を抱いているというか、一言で言うなら、「めんどくさい」
「じゃんけんのパーがグーに勝てるのはおかしい、紙は石を包んでも破れる」
確かにそうだが、それはグルグル考えることではない。
そんなことをいちいち考えているめんどくさい2人が主役です。

文学的で面倒臭くて、所謂「大衆向けじゃないもの」が好き。大衆向けであっても、深さが違ってマニア的。
こんな人たちに、みんな共感している。

サブカルが人気コンテンツになったってこと?

昔は、所謂「大衆向け」のコンテンツが流行り、みんな同じものを見て好きだと言っていました。(受動的なメディアであるテレビが強すぎたということもあるでしょうが) 

それから外れた人たちを、「サブカル」「オタク」といった言葉でまとめていた。しかし、変わった。みんな違うものが好きなのが当たり前。サブカル的なものが好きな人も多い。みんな同じだった(同じように見えていた)時代から、みんな違う時代になってきているのではないかと。だからこそ、人と違うことを望み、サブカル的なものを好み、好きなことをしたい人が増えていると思います。

「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」のようなジャンプ作品も、内容はグロテスクですが、みんな好きなコンテンツです。少し前までは、そうならなかったのではないかと思います。グロテスクな作品がサブカルから、メインストリームの作品としても受け入れられるようになりました。サブカル的でオタクっぽい人たちがメインストリーム化し、サブカルが大衆になりつつあるのでは?と思います。

「サブカル」の大衆化を感じる映画でした。

最後に、タイトル回収

このnoteのタイトルとして「恋は花束だが、愛は花束じゃないのかもしれない。」と付けました。
この映画の「花束みたいな恋」というのは、お互いに良い恋をした。良い思い出になる恋をしたということではないかと思います。
良い表現が思いつかないのですが、この映画からは
「お互いを甘やかす恋愛」というイメージを持ちました。
そんな恋愛は、心地が良い。でも、現実的ではない。だから結婚はできない。
理想的で、美しい思い出
美しい思い出をお互いに与え合った。
それが、「花束みたいな恋」だと思います。

愛は花束ではなく、何なのか?

菅田将暉演じる麦は、「恋愛感情がなくても空気みたいだねと言われる夫婦になりたい」と言っていました。それは、2人で同じものを育てていくような感覚だと思います。

恋を花束と例えるなら、愛はプランターの花といったところでしょうか?一つの器に、一緒に花を育てていく。枯れかけても、水を与えて元気にする。

与えるのが恋、共に育てるのが愛だと、一応ここでは結論付けることにします。

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