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世界が変わったのか、自分が変わったのか

コロナ禍になり、マスクをしていない人や咳をする人がやけに気になるようになった。
マスクをしていない人を見ても何も思わなかったし、咳をしている人がいたらちょっと心配していたくらいだ。

コロナ禍になってから、咳をしている人を見ると「コロナか?」と疑うようになった。
風邪か体調不良、季節によっては花粉症かと心配するはずなのに、敵かもしれないと疑ってしまう。

コロナウイルスがもっと未知のウイルスで、まだ世間が混乱していた頃、ふと『東京喰種』を思い出した。

何でこうも僕の周りに“喰種”が現れるんだろう…
ーいや…違う…
ー僕が気づいていなかっただけで
彼らは最初からそこに居たんだ…
ー“喰種”の世界に迷い込んでしまったのは
僕の方なんだ……
石田スイ 東京喰種 1巻

私は、東京喰種を初めて読んだ時この言葉に心打たれた。
・最初からあった世界に気づかなかった、それに気づくようになった。
・見る世界が広まった。
・自分が見ていない世界はたくさんある。
・考え方が遠い人は、自分が見ている世界から遠い世界にいる。という風に考えるようになった。

「普通」なんて元々存在していなくて、常識はあくまでもそのコミュニティの中でしか通用しないもの。
「郷に入っては郷に従う」けれど、従えない人を排除対象だとか、矯正させようとは思わない。
あぁ、違うコミュニティの人なんだなぁ、
従った方が楽なのになぁと思うだけだ。

そんな風に考えていると、
周囲から変化しているのか、自分から変化しているのかわからなくなる。
周囲が変わったから、自分の価値観が変えられているのか
それとも
自分の価値観が変わったから、周囲が変わったように感じているのか
(主人公の金木研は、自分が変わったから周囲が変わったように感じた)
コロナウイルスが出てきてからあきらかに世界は変わった。
それは、ウイルスが有るか無いかだ。
周囲が変化したのは確かだ。
周囲が変わったから、自分も変わった。

それでも、こんな風には変わりたくなかったと思うところがある。
それは、咳をした人をウイルス保有者と疑って、その人よりも自分の心配をするようになってしまったことだ。

見る世界が広まれば、自分が変わる。
自分が変われば、見る世界も広がる。
自分が知らない世界を新しく知っても、それは最初からあったもの。
新しくできたものじゃない。
気づいただけ。
何も偉くない。
自分にとっての新しい世界を受け入れるとともに、
新しい自分も受け入れなければならない。
それが、ポジティブなものでもネガティブなものでも。

そう教えてくれたのは、東京喰種のあの一節だ。

最後に布教、
東京喰種で、私が見ている世界も変わった。
価値観を変えられる作品なので、ぜひ。

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