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ずっと、キャンバスの上にいた

このnoteは、真っ白なキャンバス 5周年ワンマンライブ 『希望、挫折、驚嘆、絶望、感謝 それが、私。』に寄せて書いたものです。



定時よりも30分早い。フレックスタイムで在宅勤務を切り上げてきた僕は、最寄り駅のホームに滑り込んできた電車に乗り込んだ。これから約2時間経たないと「それ」が始まらないと分かっていても、会場に入ってから、さらに1時間も待たなくてはいけないと分かっていても、胸の高鳴りが抑えきれない。一刻も早く電車が行き先についてくれないかと願ってしまう。

最寄り駅から水道橋駅までは、乗り換えを含めて1時間くらいだ。電車には、まだ仕事帰りの人の姿はまばらだ。仕事を早上がりして電車に乗ったときの、自分が勤め人であることを少し忘れさせてくれる感覚が少し好きだったりもする。しかしその、「自分の本当の居場所は会社でないのかもしれない」という所在なさを埋めようとしてか、僕の心は早く目的地にたどり着きたいと焦る。

本当の居場所って何なんだろう。小学校のときには学童保育や学習塾、中高時代は部活動、大学時代はサークルや研究室が僕の居場所だった。しかし社会人になった今、会社はそれに代わるような自分の居場所なのかと不安になる。学生時代にどっぷり漬かっていたような、「とりあえずここにいれば安心」みたいな安心感はあまり感じられない。最近のネットとかでよく聞かれる「これからの時代は終身雇用なんてありえない」みたいな論調が、その心許なさを助長しているようにも感じられることがある。自分の居場所を自分で決められる時代、それが生きやすい時代になったと感じられると思うかも知れないが、果たしてすべての人がそうなのだろうか?

会社というコミュニティの絶対性が弱まりつつある中、僕たちは同時に複数のコミュニティに所属することが求められているように感じる。会社の同僚、高校時代の友人、趣味の人間関係、また別の趣味の知り合い、同じ趣味の別の付き合い。多分50年前の僕が同じ時代を生きていたら、まったく違ったゲームをプレイするようなものなんだろうな。色んなコミュニティの中でも、趣味に没頭してその中で応援できる存在、つまり「推し」を見つけることに生きがいを感じる人をオタクって言うんだと思う。そんなオタクの行為全般には、去年くらいから「推し活」なんてきれいな言葉がラッピングされてありがたがられるようになった。

推しを線香花火みたいに刹那的なものとして消費することに違和感を感じ始めたのは、最初の推しメンが卒業を発表した頃だったかもしれない。若いということは熱しやすく冷めやすいものなのかもしれないが、最初同じグループを推していた友人たちは、その頃はとっくに別のグループを追っかけはじめていた。推しを変えることが「自分の居場所はここじゃなかった」と認めることみたいで、怖かった僕は結局最後まで残ることとなった。卒業発表を聞いたときは「やっとこれで離れられる」という安心感すら覚えた。

しかしそれからも、僕はいろんな推しを刹那的に消費した。少し触れてみては「やっぱこれじゃないかもしれない」となって離れてみる、ということを繰り返した。気付いたら長い、という推しも存在したがどうしても熱は冷めてくるものだ。

経験したことが無いから分からないが、長く推すことは結婚みたいなものなのかもしれない。結婚生活ではお互いの愛が冷めてしまっても、形式上「今日もキレイだね」「一番好きだよ」と言い続けなくてはいけないと聞くが、これは推し活でも同じだと思う。調子が良いときはその「好き」が本心なこともあるが、ときには乾いた雑巾を絞り出すように愛を注がなくてはいけないのだ。こうなってくると、好きだから推しているのか、推しているから好きになったのかがよくわからなくなる。

しかし熱が冷めてしまった推しでも、大切なことに代わりはない。これまで長い時間その推しのことを考えてきたし、それなりのお金も投じてきた。ときには家族と会話する時間よりも、推しと会話している時間の方が長かったことさえあった。だから好きでも好きじゃないにせよ、できることならこれからも、推している時間を純粋に楽しみたいと思う気持ちに嘘はない。

男が浮気をしたときの言い訳で世界一愚かなのが「君のことがまだ好きなのか、確かめたかったんだ」であることには疑いの余地はない。しかし、男はみな総じて単純だし、オタクも同じようなことをする。つまり適当に別の推しを見つけて、少し推してみて「やっぱ○○ちゃんだわ」といって元の推しのところに戻るのだ。僕は今まさにそれをしようとして、背徳感と密かな興奮を覚えながら電車に揺られている。ずっと近いようで遠い存在だった、「真っ白なキャンバス」というグループを見るために。

電車は自由が丘駅に到着した。「そういえばあの日も、こんな気持ちで電車に乗っていたな」。そんなことを考え始めた途端、僕の意識は身体を置き去りにして時を巻き戻し始めた。



2019年8月3日、東急大井町線の先頭車両に腰掛けた僕は、ふとスマートフォンのYoutubeアプリを開いた。これから「TOKYO IDOL FESTIVAL 2019」に、人生で初めてチケットを買って参加するのだ。お目当てのグループはAKB48だが、出番は夕方なのでそれまでは適当に見て回って年に一度のアイドルの祭典の雰囲気を味わっておこうという魂胆である。

「そのためには、コールくらい分からないと楽しめないかもしれないな」。そう思って僕はYoutubeの検索窓に「地下アイドル コール」と打ち込んだ。これまでAKB48や乃木坂46を追っかけてきた僕にとって、地下アイドルは全くの未知の世界だ。唯一知っているのは先日AKB48のフレッシュ選抜が出演した対バンで見かけた、「FES☆TIVE」というグループだけだ。横移動しながら、めちゃくちゃ叫びまくってるオタクがたくさんいたっけ。怖いなあ。今日もあんな感じなのかなあ。悪あがきだと分かっていつつも、少しくらい予習できる動画がないだろうか。

検索結果の上位に「【真っ白なキャンバス】コール・MIXまとめ」という動画を見つけたので、タップしてみた。真っ白な衣装に身を包んだ6人のメンバーと、それに負けじと声を張り上げ、楽しさを全力で表現し続けるオタクたちの映像が流れる。おそらく動画を作ったのはこのグループのオタクだろう。早口過ぎて分からないオタクたちの声を、ありがたいことに一字一句文字起こししてくれている。

え、メンバーカラーはないの?
サイリウム持ってないの?
てか文字多くね?何語?
間奏もアウトロも、そんなにミックス入るの?
なんでオタクみんなジャンプしてるの?

あまりの情報量の多さに、僕の頭は一瞬で処理が追いつかなくなった。どうやら今回のTIFにおいてはあまり役に立たないようだ。冒頭の30秒くらいを見たところで、動画を閉じた。



思えば、これほどマイナスイメージから始まった出会いもそうそうないんじゃないだろうか。

どんな経験も、経験値が少ないときほど一つ一つの経験が強烈になりやすい。地下アイドルの現場では、かなり早い段階で密度の濃いオタクとエンカウントしなくてはいけない。もしも地下アイドルオタクが増えていないのだとしたらこの第一印象でのハードルの高さは一つの要因かもしれないが、反面それを乗り越えればかなり楽しい世界が待っているのも事実である。僕の場合は後者であった。

その後、あの日見るのをやめた動画を改めて見てみた。真っ白なキャンバスというグループは、現在とても勢いのあるアイドルグループであること、バンドサウンドの楽曲を得意とし、等身大な歌詞の楽曲を持つこと、オタクはアグレッシブで前衛的なミックス・コールが生み出される現場であることを知った。TIFでさけびまくるオタクを嫌というほど見たからか最初に見たときの笑劇は薄れ、だいぶ好意的に見られるようになった。しかしTwitterで検索すると「距離感大丈夫?」というくらいメンバーとオタクが密着したチェキが散見された。



電車は渋谷に到着する。推しを見に行くときは、乗り換えであれ、最終目的地であれ、とにかく一度は渋谷で降りることが多い。

当時はTSUTAYA O-WESTだったライブハウスに向かったあの時と比べれば、今ではずっとうまく渋谷を歩けるようになったと思う。



あの日僕は「MARQUEE祭」を見るため、いつもより少し早い時間に大学を出た。とはいえ、普段から研究室に早く来て早く帰る生活をしていた僕は、それくらいの時間に大学を出ることは造作ない。あれから何度かライブやリリースイベントを経験して、僕は軸足を地上アイドルから地下アイドルに移しつつあった。月に一度、ライブや握手会があるかないか程度の地上アイドルに比べて、毎日のようにライブ・特典会のある地下アイドルの現場に行っている方が、日々が充実しているように感じられた。

中でも僕が追いかけるようになったのは、TIFでも見に行ったFES☆TIVEだった。お祭り系という分かりやすいコンセプトとメンバーカラー、何より「OIDEMSE!!~極楽~」をはじめとしたキャッチーで盛り上がる楽曲で盛り上がるフロアを見ると、その光景を何遍も味わいたくなってしまった。メンバーのルックスもレベルが高く、それは「地下アイドルなんてどうせそんな可愛く無い」という僕の勝手な偏見を払拭するには十分だった。この日も僕は、はじめて見つけた地下アイドルの推しの名前を全力で叫んだ。

今日のMARQUEE祭では、FES☆TIVEはトリの2番前。終演後物販であったため、お目当てのライブが終わってからも最後のグループが終わるまで待たなくてはいけない。貧乏くさい性格だからか「せっかくチケット買ったし、他のグループも見ようかな」という気持ちで、お目当てが終わってからもライブ会場に残ってしまう。さっきまで3列目付近でサークルに参加していた僕はそこから少し下がって、上手の後方で様子を見ることにした。

バンドサウンドと電子音が同居する、爽やかなSEが会場に流れた。真っ白な衣装に見を包んだ、6人のアイドルがステージ上に現れる。それまでに見てきた、メンバーカラーが鮮やかなグループとは対照的だ。髪色や体型、身長などは違うが、暗いステージ上ではメンバーの見分けはほとんどつかない。SEがひときわ賑やかになると、メンバー達はその衣装を翻しながら最初の曲の立ち位置に着いた。

聞き覚えのあるピアノとストリングスが流れると、その場にオタク全員が言葉にならない歓喜の声を上げる。強烈なドラムと癖の強いシンセが入った瞬間、最前列に陣取る金髪のオタク達が柵を使って全力で飛び跳ね始める。動画で見た「SHOUT」の映像そのものだった。間奏に入ると、周りのオタク達はステージに全く目をくれず、床に向かって全力で何かの言葉を叫び始めた。何人かで輪を作って、その中心で先導しているオタクもいる。今まで一度も見たことない世界がそこにあった。

長々しい間奏が終わると、メンバーの歌声が耳に飛び込んできた。

誰しも僕らは自分の人生の主人公だろう
脇役でいい 君の映画の Woah
エンドロールに僕の名前があったなら

「SHOUT」より

心が震え、身体が熱くなるのを感じた。

ライブも終盤に差し掛かると、今まで聞き覚えのない爽やかなメロディーが流れ始めた。周りで騒いでたオタク達も、一転して大人しくなる。すると明るい曲調にあわせてそれまで全体的に暗めの照明だった舞台上も明るくなって、メンバー達の表情がよく見えるようになった。無邪気っぽい笑顔、作ったような笑顔、困ったような笑顔、すました笑顔。そのどれもが、取り繕うことのない人間らしさをたたえていた。

「これが、真っ白なキャンバスか。」

自分の中でのアイドルの概念が書き換わっていくのを感じた。



評価とは不思議なもので、マイナスなイメージが一転して好印象に置き換わることがよくある。「好きの反対は無関心」とはよく聞くが、そもそも興味関心がなければ好き嫌いの感情を抱くこともない。逆に言えば、最初の印象が悪かったとしてもそれで興味さえ持ってもらえれば、そのあとはいくらでも挽回のしようがあるということだ。たとえ良い作品でも主張が薄く、人々の目に止まらないようなものは評価されない。少しエッジの効いた主張であっても、そこにその人らしさのような物が感じられれば、刺さる人はいくらでもいると思う。僕はステージで見せる白キャンメンバーの人間らしさや、それに呼応してフロアを盛り上げるオタクたちに一瞬にして魅せられてしまった。

オタクが推しの中に気に入らない、好きになれない部分を見つけてしまったときの行動には、その人らしさや人生観がでるところだと思う。熱狂的で狂信的なオタクほど、嫌いな側面を無視してしまったり、「あばたもえくぼ」みたいな論調でどうにか好きになろうとしてしまう。しかしこれには生理的に無理なものなどが現れたときに限界が生じてしまうだろう。とくに不完全なこともアピールポイントになる日本のアイドル達を応援するうえでは、完全無欠なアイドルを求めてしまうことほど身勝手なことはない。たとえ好きな推しであっても、嫌いな部分があってもいいのではなかろうか。いつしかそれが好きになっているということは、アイドルが弱点を克服できたということなのかもしれないし、推しているオタク側の考えが変わったということなのかもしれない。

白キャンの印象が「ライブが楽しい、オタクが熱いアイドル」に変わってから、対バンイベントなどで被ることがあると僕は好んで白キャンを見に行くようになった。しかしそこに向けていた視線は「真っ白なキャンバス」という世界を表現する6人組であり、一人一人にフォーカスするものではなかった。それはプロデューサーの意図というのを6人のメンバーがちゃんと汲み取って体現しているからだったのかもしれない。メンバーのことを深く知りすぎると、自分の中にある「白キャン」のイメージが崩れてしまう、そんな恐れの感情も少なからずあった。僕がメンバーのことを深く理解しようと思ったのは、もう少し後になってからのことである。



JR山手線は代々木駅に到着した。ここから総武線に乗り換えて水道橋駅に向かうことになる。

「おっと、今日は改札を出てはいけない」。高まる胸の鼓動から逃れるように、僕は1週間前、この駅にやってきた記憶に身を委ねた。



僕は代々木駅の改札を出て、山野美容専門学校に併設された山野ホールで開催される「決起集会」に向かっていた。ものものしい名前とは裏腹に、中身は普通の主催ワンマンライブである。僕にとっては今まで対バンでしか見たことがなかった白キャンを、はじめて単独ライブで見ることになる。ここまで来るのに3年かかった。

開場を待つ間、隣にいたオタクに話しかけられた。どうやらチケットサイトのログイン方法が分からないらしい。白キャンの現場はあまり来たことがないのだろうかと思って話していると、なんと彼も手売りチケットを買ったらしい。

「白キャンの曲全然知らないから、せめてこのライブくらいは来ておこうかと…メンバーも西野さんしか分からないし…」

まあ、手売りチケットを買うようなオタクはみんなそんなもんなのかも知れない。かたや僕は、彼に比べればかなりアドバンテージがあることになるだろうと、少し安心した。

山野ホールは入口からホールまで少し歩くので、客の入りに時間がかかる。また想定以上の人数が来たのかもしれない。開演予定時間より10分ほど遅れて、おなじみのSEが鳴り響く。この夏に河口湖ステラシアターでお披露目した、白地に紺色と赤のアクセントが鮮やかな衣装に身を包んだ7人が現れた。

一曲目は「ダンスインザライン」。癖の強いイントロが印象的な楽曲である。声は出せなくても、オタク達の興奮は伝わってくる。ここ1〜2年で定着したサイリウムにも照らされて、山野ホールにメンバーたちの歌声が響き渡る。

MCが終わり、小野寺梓の「次は合宿配信でも披露した曲をやります!」の前振りにあわせて始まったのは「ポイポイパッ」。いよいよライブという日常が戻りつつあった2021年に配信リリースされた夏ソングである。

「この曲を最初聞いた時、どんな思いだったんだっけ。」

一週間前の僕は、2年前の僕に思いを馳せていた。



言葉って、いざというときにこんなにも出てこないものなのか。

春のうららかな日差しが差し込む自室で、僕はパソコンの画面を前に頭を下げ抱えていた。さっきからずっとパソコンの再生ボタンを押してデモ音源を流しては、それに当てはまる言葉を探そうとしていた。

コロナ禍に入ってから、白キャンは「あなたと一緒に、大きな夢を描いていきたい。この真っ白なキャンバスに。」というコンセプトをそれまでとは違う方向に進化させた。オタクとライブを形作るだけでなく、その手前段階まで関われるチャンスを作ったのだ。それがファンとの共作プロジェクト「With Pallete」だった。ライブも見られず、推しメンにも会えない。時間を持て余した僕は、この企画の作詞部門に参加することにした。心躍るような春なのに、好きなことは何もできない。仕事さえ、満足に覚えられない。このやりきれない気持ちを歌詞にぶつけたいという、少々身勝手な動機だった。

しかしデモ曲を聴いてみたとき、僕はこの企画に挑戦しようと決意したことを後悔した。エッジの効いたそれまでの白キャンの曲とは対照的な、軽やかで中性的なメロディ。「詞の書きようではどんな曲にでもなってやる」とケンカを売られているかのようだった。

少し手がかりになりそうな言葉を見つけては筆が進み、途中で「いや、違う。これじゃない」となって、バックスペースキーを押す。そもそも、こんなことしてなんの意味がある?見返りがあるわけでもないのに?もっと世界観を固めなきゃだめじゃないのか?僕は、僕の中にいる沢山の僕の声を制して、必死に言葉を絞り出した。

提出したのは締切りの3日前だっただろうか。これ以上直しようもない。文句をつけようとしたらいくらでも言えるけど、じゃあ最初から書き上げる時間、気力があるのかと言われればそれはない。半ば諦めに近い感情で「共創紀行」を添付したメールの送信ボタンを押した。

2番のAメロには、こんな詞をつけた。

何から 始めようか
少し 戸惑うけど
感じたまま 描(か)けばいい
それが 君自身だ

思えばこれは当時の僕自身なのかも知れない。もちろん僕の作品は選ばれなかったが、自分の中にある声を文字にする過程で、僕は僕自身を勇気づけていたんだと思う。

やり切ったけど、それでも届かなかった。僕のそんなやるせない気持ちは、「共創」に収録された「共に描く」の、こんな詞に救われた気がした。

簡単と見ての挑戦は 痛いくらいのバツだった
曖昧な言葉用意した 陳腐な策士でした
散々紡いだ贋作は 有象無象の1枚で
新進気鋭の天才に 弾かれ灰になった

「共に描く」より

もしこの作詞に挑戦していなければ、なんと残酷な歌詞なんだと思っただろう。しかしこの曲が作られる過程では、僕みたいに何人もの凡人たちの汗が流れている。そんな僕たちのすらも一人の作り手であっていい、陳腐な贋作すらも、真っ白なキャンバスが作る世界に必要な色であっていいと思わせてくれる歌詞だと思った。



「これから、TDCワンマンに向けた決意を発表したいと思います。」

決起集会のライブも終わりに近づいたとき、メンバー達はこう言って一人一枚ずつ画用紙を取り出した。そこにはひとりひとりの決意が書かれているのだろう。活動歴が浅いメンバーから順に、その紙に書いたことを見せながら来週に向けた決意を話し始めた。

僕は、彼女の持っている紙に大きく書かれた「感謝」という字をじっと見つめていた。



「ありがとう」

これはアイドルがSNSでもっとも多く使う言葉かもしれない。ただのアイドルが「推しメン」に変わる瞬間というものはいつも不思議なものだ。ステージでキラリと光る笑顔に一瞬で惹きつけられてしまうこともあれば、ずっと見ていたアイドルの魅力に途中から気付いて、好きで仕方なくなることがある。僕はというと、長続きするのはどちらかといえば後者のパターンが多い。

先述したように僕は当初白キャンを知ったとき、メンバーの個性についてほとんど知ろうともしなかった。白キャンとはライブという楽しむための「場」を提供してくれる存在でしかなかったからだ。白キャンの楽曲に描かれた世界観を表現できるのであれば、メンバーは誰でもいい。だから2名が脱退して、すぐ2名が加入したと思ったらその1名がいなくなり、その1年後に脱退した2名が再加入したという一連の出来事も、グループの世界観を大きく揺るがすものではないと勝手に思っていた。「アイドルはコンセプト・世界観がしっかりしている方が、グループとしての堅牢性に優れている」というのが、このときの自分のアイドルオタク観であった。

そんな価値観が変わり始めたのは2021年の中頃くらいからと記憶している。その頃から、僕はグループコンセプトよりもメンバーやスタッフひとりひとりの思い入れを大事にするようになってきた。これはグループの形がどんなに変わっても、理想のグループを目指そうとする、もしくは今までのグループのコンセプトを守ろうとする多くの人々の努力に気づくようになったからだと思う。

僕が「橋本美桜」という存在を意識し始めたのもそんなおりだったのではなかろうか。ちょうど白キャンは、メンバーのステージ外での一面を取り上げるバラエティ番組をYoutubeで配信し始めたところだった。今更ではあるがその番組と通じて、白キャンメンバーはみな強い個性を持っており、その個性をぶちまけた結果として熱いパフォーマンスが成立していることに気づいたのである。

ほどなく気になったメンバーのSNSをフォローしたが、その中に彼女も含まれていた。ライブの後には必ずその日に披露した曲と、感謝のメッセージを添えた自撮り動画をアップロードしてくれた。河口湖ステラシアターのワンマンライブでは、イヤモニを外してオタクの声を聞き、満足気な表情で去ってゆく映像に心打たれた。こうして僕の白キャンの物語は、次第に橋本美桜を中心に回り始めていた。



特典券2枚、時間にするとたった2分弱。

最後の会話は無機質なタイマー音に遮られて、僕は仕方なくパイプ椅子から立ち上がった。目も当てられないくらいたどたどしい会話だったかもしれない。それでも3年間、最初は名前も知らなかった彼女のことを徐々に知っていって、ついに話せた感動があった。今までのアイドルの初接触とは比べものにならないくらい、特別な時間だった。作文の朗読を聞いて、彼女が白キャンになるまでを明かしてくれたことへの感謝を伝えた。それが、どれだけ特別な意味を持っていたか。

オタクがアイドルを理解するのには、思っている以上に時間がかかると思う。そもそも、最初は赤の他人であったのだから、すべてを理解することなんて不可能に近い。しかしとりわけアイドルが語りたがらないのは、アイドルがアイドルになる前のことである。もちろん個人情報に関わることであったり、法律に触れるならば尚更であるが、アイドルとして自分が作り上げてきた楼閣が崩れ去ってしまうのを恐れるのだろう。だからこういったことは、非常に限定的に語られることがほとんどであるし、その方がアイドルとオタクの関係性として正しいと思う。オタクはアイドルのアイドルとしての側面を好きになるものだからである。アイドルがアイドルでない瞬間まで含めて推してくれ、というのは勇気がいることだし、オタクも望んでいない場合があるだろう。だから本当は色々な場面で少しずつ手に入れた情報から自分の都合の良いように推測するしかないのだ。

だが、白キャンはそれをしなかった。徹底的に自分に向き合うための作文を10,000字書きあげる合宿を企画し、その執筆の様子は深夜0時まで生配信された。最終日の作文の発表は深夜1時に及んだ。

自分のやりたいことが見つからない。
自分に自信を持てない。
表現したいことが、上手く表現できない。
自分がいてもいなくても同じじゃないのか。
親の期待にこたえたいのに、こたえられない。

果たしてメンバーたちが自らの過去を赤裸々に明かした作文はどれもが、劣等感や葛藤と向き合うという白キャンのコンセプトそのものだった。本当はこんな知り方ではなく、時間をかけて知り得たほうが良い過去もあっただろう。しかしそれを知ることで、オタクは本当に「白キャンを知った」ことになるのではないかと思う。

「でも明るい私のことも、もっと知ってほしいな。」

彼女にこんな言葉を返されてはたと気づいた。確かに僕は、彼女と信頼関係は全く構築されていない。彼女の暗い一面は、本当ならば途方もないくらいの楽しい時間を過ごした結果、少しだけ垣間見られるものとして知り得る事実だったはずなのだ。

「もっと白キャンのことを、みおちのことを知りたい。」

そんな思いを新たにして、山野ホールを後にした。



長いようで短い1時間を過ごした僕は、水道橋駅のホームに降り立った。TOKYO DOME CITYホールは神田川を渡ればすぐそこだ。手売りチケットなので会場に入れるのはかなり後になるだろう。1時間の入場時間はあるが、もしかしたら開演ギリギリになってしまうかもしれない。広いTDCのことだし、きっとメンバーの表情も見えないくらい遠くの席なのかもしれない。しかしそんなことはどうでもよかった。真っ白なキャンバスにとって特別な瞬間になるであろう夜を、同じ場所で過ごせるだけで十分だ。

坂道グループやAKB48グループ、ハロープロジェクト、スターダストプラネットといったアイドルグループは、日本武道館や神宮球場、TDCホール、幕張メッセ、豊洲PITなどの大規模なライブ会場で定期的にライブを開催する。これはファンの規模からしてその程度の会場を用意しないと収まりきらないという側面がある。多少見えにくくなったとしても、とにかく多くの人員を収容できることが最大多数の最大幸福なのだ。

しかし、いわゆる地下アイドルと言われるグループにとって、これらの「大きな箱」でライブをやる意味合いは全く違う。チケット代と物販の売り上げが収益源である彼女たちにとっては、中・小規模なライブを重ね、特典会でしっかり集客することが活動の基本となるからである。その活動の積み重ねによって多くのファンを獲得し、メンバーの実力が整ったうえで、やっと大きな箱でライブができるチャンスがもらえるのだ。地下アイドルにとって大きな箱とは普段の活動の延長線上には存在しない。まさに満を持して迎える舞台と言えるだろう。

今回、真っ白なキャンバスの出会いから今までを振り返って気づいたのは、最初から僕は僕だったということだ。おそらく彼女たちに出会う前から、いやオタクを始める前から僕は、影が薄くて存在感がなく、物事を斜に構えて見る、無駄に面倒くさいわりに少し人付き合いが苦手な僕だったのだろう。だから、これからもその姿でいようと思う。推しを推すのに疲れて、ふと気になったアイドルにうつつを抜かしても、とつぜん文字を書くのが億劫になってnoteを更新しなくなっても、そんな自分がいやになってもいい。僕はいつまでも僕のままで、今という瞬間と向き合いたいと思う。

そして、僕がnoteを書き始めた動機も実はここにある。地下アイドルやそのオタクは、「地下」という響きだけで理解を諦められてしまうことが多い。しかしその世界には人生を豊かにしてくれる、明日も生きたいと思わせてくれるような瞬間に満ちあふれている。そんな一瞬一瞬を、TOや業界人などという目線ではなく、ありふれた一人のオタクの目線から書きたいと思ったのだ。推しのグループはどこだって構わない。多くの人に地下アイドル現場で起こっていることを分かってもらうため、オタクやアイドルたちや、誰よりも自分に勇気を与えたい。気付いたらオタクをやめて、こんなnoteを書いていたことすら忘れているかもしれない。でもきっとその時の僕はそれで幸せなんだと思う。



これから「真っ白なキャンバス」というグループが、今まででもっとも人気・実力を持ちうる瞬間を目撃することになる。もちろん、これからも最高が更新されてゆくことを願ってやまないが、今の彼女たちを見られるのは今だけである。一番後ろの席でも、画面越しでもいい。できるなら多くの人に、そしてこのnoteを読んでいるあなたもいっしょに、この時を迎えられるのなら、これ以上の幸せはない。


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