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「自称コミュ障」だった私と改善への取り組み

はじめに

仕事にしろ友だち作りにしろ婚活にしろ、コミュニケーション能力の必要性をものすごく感じています。私は、特に「話題を提供する能力」を鍛えたいと日々感じています。

私は話を振ったり人を誘ったりするのが、他の人と比べてそれほど得意ではありません。小2まではクラスの人気者だったのですが、小3以降ずっと「喋らないタイプのコミュ障」を自称していました。わたしは小学生の頃から一貫して通信簿に「寡黙」と書かれるタイプの児童・生徒でした。

幼少期

よくネットで「小さい頃は気軽に人に話しかけることができたのに、大人になったら話しかけられなくなったって思いませんか?」みたいな質問を見かけるのですが、小さい頃も人に話しかけることができた記憶がありません。公園で同年代の子たちが遊んでいるのを見かけても、全く声をかけられませんでした。

年中〜小2までは、人気者だったので、自分から誰かに声をかける必要が全くありませんでした。

小3の頃の話

# 誰ともほぼ話さない学校生活
小3の時に転校したのですが、クラスメイトたちが話しかけてくれたのにほぼ話せず、結果的に1年ほど全然話さなくなってしまいました。たまに話しかけられても何と回答していいかわからず、早く一人になりたいなと、ひたすら時間が過ぎ去るのを祈り秒数を数えていました。休み時間や登下校の時間が苦痛で仕方ありませんでした。

小2までは友だちも多かったので、気の合う友だちが多い環境では話せるけれど、そうでない環境で話すのが苦手だったんだと思います。

この転校は、私にとって4度目の転校だったので、転校慣れしてなかったわけではなかったと思います。

# 質問に答えられない
小3の頃は、授業や勉強以外の質問に答えるのすら怖くてできませんでした。クローズドクエスチョンをされても、「はい」「いいえ」と答えることはおろか、首を縦か横に振ることもできない時がありました。授業中に当てられた時は、なんとか蚊の鳴くような声で答えることはできました。「誰かわかる人〜?」みたいな質問は、完全に無視していました。

# 言い返してはいけない?
「人を傷つけるようなことは言ってはいけない」と言われて育ったので、言い返すことができませんでした。例えば、「ばーか」と言われても、何も言わずに泣き出すタイプの小学生でした。今思えば、この反応をされた方がよっぽど傷つくと思います。当時は純粋に「どうしてそんなひどいことを言うの?」と悲しい気持ちになっていました。冗談だと頭ではわかっていても、受け止めきれなかったのです。その気持ちを言葉にして伝えればよかったのではないかと今では思うのですが、当時は言語化が苦手だったのでできませんでした。

「傷つく言葉を言われた時に、何も言ってはいけない」と思い違いをしていて、それは「傷つく言葉を言われた時に、相手を傷つける言葉を返してはいけない」とは違うということを全く理解できていませんでした。

中学生に上がった時くらいに、雑誌のモテク(モテるテクニック)コーナーかなんかを読んで、「えー、ひどーい!」「バカじゃないもーん」などと返せばいいことを学びます。それがモテるのかどうかは知りません。

# 無視、言われっぱなしの悪口
こんな性格だったので、当然のように友だちはできません。無視されたり聞こえよがしに悪口を言われたり、面と向かって悪口を言われることも多かったです。それでも、言い返すことはしませんでした。

# 状況変化
小3〜6までクラス替えがないという私にとっては地獄だったのですが、小4になってから徐々に無視されなくなり、一部の人とは会話できるようになりました。

# 友だちと話す内容のない生活
学校では勉強、家に帰ってからは宿題と習い事、習い事の練習くらいしかしていなかったので、友だちとの共通の話題が思い浮かばず、話題を振るのが苦手でした。一部のテレビ番組は見ていましたが、当時の私の記憶力はすこぶる悪く、翌日には内容はほぼ忘れてしまっていました。勉強における記憶はできたので、受験勉強に関係ないことの重要度が、私の中ではかなり低かったんだと思います。そんな私にも話しかけてくれる友だちがいたのは、本当にありがたかったです。

# 両親と話す内容のない生活
「学校どうだった?」というありきたりな質問を毎晩されていましたが、話す内容がほぼありませんでした。するとしても、授業や宿題の進捗の話くらいでした。両親も特に話す内容のある生活はしていなかったので、会話が続かなくなる度に、「私は話題を振るのが苦手なのに、どうして両親は話題を提供してくれないのだろう?」と思っていました。私の方が充実した生活をしていたのは明らかだったので、本当に話題提供能力がないばかりか、その能力を鍛えようという意識すらなく、話が続かないのを他の人のせいにする意識の低い小学生でした。

両親と全く会話をしていなかったのかというとそうではなく、勉強は教えてもらっていました。

中高の話

# 生徒会役員会
自分から話しかけることが苦手なので、話しかけてもらえる存在になろうと思い立ちます。そこで、生徒会役員に立候補しました。本当は、「生徒会役員会の憧れの先輩と話してみたかった」「生徒会役員会は頭良い人多いイメージあるし、成績が良くなくても頭良いと思ってもらえそう」などの他の理由もありました。実際に、生徒会役員は壇上に上がる機会が多く、一度も同じクラスになったことがない人や違う学年の人からも話しかけてもらえることが増えました。話題を考えなくても、「生徒会役員会の子だよね!」で最低1つの話題の確保が保証されます。学校内での初対面の相手との話題を考えることを放棄することに成功しました。

「話しかけてもらいたいならアウトプットをする」というのはこの時期に始めたことなんだなと思っています。シャイな人は結構やっている印象です。

# 趣味を持つ大事さ
私が話せる話題は学校のことがほとんどでしたが、唯一違ったと言ってもいいかもしれないのが「読書」でした。読んだ本の感想を話したり、本をおすすめし合ったりする、まさに青春だったと思います。趣味があると他の人との会話のネタになると実感したのはこの時期です。学校で友だちと学校の話をしようと思っても、一緒に体験したことがほとんどなので、話すとしても「あの時こんなことあったね、私はこう思った!」という話くらいしかできないですが、学校外の出来事については「こんなことしたんだよ〜」という話ができます。

# 話しにくい趣味、話しやすい趣味
私は流行りの音楽やドラマ、ゲーム、芸能人はさっぱりわからなかったので、この手の話題を好む人たちとは仲良くなれませんでした。クラスの中心にいる子たちの話に聞き耳を立てて芸能人の話を知る、その子たちのモノマネによって芸人のネタを知る(芸人の顔や名前は知らないけどネタは知っている状態になる)というなんとも地味な生徒でした。
私の趣味といえば、読書と詩を書くことくらいでした。読書は読むジャンルが違うと全く話が合わない趣味です。詩を日常的に書いている友だちはいませんでした。

# 交換留学
私は英会話ができないと思っていて語学留学にいったのですが、英会話ではなく会話ができていないことに気づきます。英会話が苦手な人は「これって英語でなんていうんだろう?」ということで悩むと思っているのですが、私の場合は「話したいと思える内容が全くない!!!」ということで最初は困りました。似た環境で育った人と話すよりも、育ってきた環境が違うひとたちと話す方が大変だということを知ります。知らないものだらけだったので、質問したり日本での話をしたりすることによって、話はできるようになりました。また、洋楽や洋画に一切興味がなかったのですが、その辺りの知識を多少仕入れることによって、なんとかなりました。語学は、話すのが好きな人の方が伸びるなーと今でも思っています。

今度は日本に帰国したら、周りの子たちと会話ができなくなっていました。元々仲良かった子たちとは話せたのですが、それ以外の子たちとは話せず、「会話ってどうするものだっけ......??」と悩みました。新しいクラスにはきちんと趣味を持っている子たちが多く、単に共通の話題がなかっただけだとは思います。

大学

# 非リアパート
所属していたサークルのうちの1つで、「〇〇パート」という属性が同じ人たちが集まってグループを作る文化がありました。例えば、スイーツパートやカラオケパートなどです。なぜか「非リアパート」というのができ、ここでの非リアの定義は「いわゆる非リア(人生が充実していない、恋人がいない)」ではなく、「1年以上ほぼ誰とも会話しなかった時期がある」でした。自分以外にも、似たような経験をした人たちがこんなにいたのかと、悲しい気持ちになった一方で勇気付けられもしました。ちなみに特に何もしないまま解散しました。

# 共通の話題づくりのためのTwitter活用
Twitter という、話しかけなくても人の生活を知ることができる、素晴らしいサービスと出会います。「この曲なつかしいよね!」「このドラマなつかしいよね!」といった話題には全くついていけなかったのですが、その場で知らないものを検索するというスキルを身につけました。また、リアルタイムで周りの人たち、主に同じサークルに所属している人たちや学科の友人たちがどんなものに興味を持っているのか知ることが新鮮でした。特に、中高は同世代の異性と関わる機会がなく、異性がどんなことを考えているのかさっぱりわからなかったので、大変ありがたかったです。大学1年生の頃は、その時に流行っていたものと、昔流行っていたもののキャッチアップを頑張りました。当時CDを貸してくれた友人たちには感謝しています。こうやって人とコミュニケーションとって仲良くなるのもいいなと感じました。高校までにできなかった青春を大学生になって取り戻しているあたりが完全に大学デビューです。同世代の人が小学校〜高校時代を思い出す曲を聴いても、私は大学1年生の頃を思い出します。サークルの人たちがアニメの話ばかりしていて、流石にアニメ見ないと共通の話題ないな......と思ってアニメを見はじめたらドハマりしたのもこの時期です。ちなみにアニメにハマったきっかけは「キルミーベイベー」です。

大学生時代にもっと勉強しておけば......という人はかなり多いですが、私にとっての大学1〜3年生は「小中高時代を取り戻す時間」だったので、この時間は必要不可欠だったと思っています。ゲームだけは、ゲーム機を持っていない上に、古いゲームはもうみんなしないので難しかったです。大学4年の途中までスマホも持っていなかったので、スマホのゲームもわかりませんでした。

流行を追いかける必要はないとずっと思っていたのですが、他人との共通の話題探しを楽にするためには、ある程度流行は抑えていないとしんどいと気づいたのはこの時期です。今の流行を追うだけではなく、昔の流行もキャッチアップしていたのですが、かなり時間を使ったため、常に周りで流行っているものを見ている方が楽だなというのを痛感しました。

この時期から、「人からオススメされたものはとりあえず試す」をやるようになりました。相手のことを知るきっかけにもなるし、自分の知見も広がって他の人と話すネタにもなります。

# 誘う人を選んで誘わなくてもいい「ゆるぼ」
Twitter で参加者をゆるく募集することを「ゆるぼ」と言います。ゆるぼどころか募集しなくても、「〇〇してみたいな〜」「〇〇行ってみたいな〜」とツイートするだけで、「一緒に行こうよ!」と参加者が続々と集まる環境は魅力的で、これに慣れすぎて、人を自ら誘うという行為の存在すら忘れてしまったほどです。思ったことをツイートするだけで、予定表は勝手に埋まっていきました。

# 電話はこわい
私は知らない人にかける電話が苦手でした。電話をかける勇気が出るまで3時間くらいかかり、その間何にも手が付かない状態でした。また、電話をかける時はたとえ相手が知り合いであっても、蚊の鳴くような声になる癖がありました。ただ、これは私だけでなく、周りにも似たような人が多かった印象があります。飲食店の予約を任されることがかなり増え、ネット予約できないお店に行きたいとお願いされることも増え、電話をかける回数が増えました。最初は3時間くらい勇気が出なかったものの、2時間、1時間と勇気が出るまでの時間は徐々に減り、最近ではすぐかけられるまでに成長しました。人によるかもしれませんが、「慣れ」は解決方法のうちの1つだと思います。慣れることができずにネット予約できるお店しか予約しない、完全に他の人に任せることにしているという友人もたくさんいますが、誰か一人はできるようにならないと困ることがあって、私はその「誰か一人」だったんだと思います。

# 一人でお店に行くのはこわい
一人でどこにも行けない人でした。高校生までは、一人でコンビニにも入ったことがありませんでした。必ず家族か友だちと一緒でした。特に、行ったことがないタイプのお店に行くのはとても勇気が必要でした。私は観光地以外の場所でラーメン屋さんに入ったことがなかったのですが、独特のルールがあるイメージがあって(スープは飲み干すべきか、食券をどうするのか、食べ終わったら器をカウンターに上げるか上げないか、食べる作法は?など)、本当に怖かったです。初回はサークルの友人たちと行ったのですが、ラーメンとつけ麺の違いもわかっていなくて、「初めてラーメン屋さんに来た!」と言ったら友だちに「つけ麺屋だよ」と突っ込まれました。今では一人でラーメン屋さんにも入れます。一人で朝カフェ巡りをできるまでに成長しました。混んでいる時間帯の飲食店に一人で行くのは、今でも少しストレスを感じます。

社会人

# 会社の技術職の同期と友だちになれる気がしなかった
今では笑い話なんですが、同期で仲良くなれそうだと思った人はあまりいませんでした。今では一緒に旅行に行ったくらい仲良しです。

私はいわゆる「陽キャ」の男性に苦手意識を持っていました。ちなみに会社の技術職の同期でいわゆる「陽キャ」はおそらくあまりいないのですが、私にとっては、普段話したことのない世界の人たちばかりに見えました。自分に似ているタイプの人たち以外には親近感を持つことができなかったのです。特に男性に関しては、自分と似たタイプ以外の人と話す機会は学生時代はほぼありませんでした。学生時代、女性はタイプ問わずわりと仲良くしてたので、単に話したことのないタイプの人たちを先入観で怖いと思っていただけである可能性があります。

# 知らない人に質問するのはこわい
ここでいう質問とは、「道を尋ねる」「自分が正しいことをしているか聞く」「知りたい情報を質問する」などです。本当に苦手だったし、今でもこれらを苦手だという友人は私の周りには少なくないです。

インフォメーションセンターが目の前にあっても、検索するタイプの人でした。当然といえば当然ですが、インフォメーションセンターの人は、インフォメーションを与えてくれるためにお仕事をしています。その人たちに質問しないのはもったいないです。お店の人や係の人以外に質問するのはまだ苦手です。

方向音痴なため、地図アプリを見ていても、現在地から目的地まで5分くらいのところに行くのに40分かかったことがあり、コミュニケーションコストを払ってでも聞いた方が時間を節約できるなと思い、道は聞くようになりました。

「質問する際にすり減る精神的ダメージ」は今でもあります。精神的ダメージを減らそうと頑張っていた時期もありますが、減るものは減るので、朝起きた時点での精神的余裕を最大化する方向で努力することにしています。

# 「ランチに誘う」が苦行でない世界の人々
本当にこれをできる人たちは自分とは別世界の人間なんじゃないかと思っていた時期がありました。
仕事を一緒にする人たちと仲良くなるためには、積極的にランチに誘いましょうというのはよくアドバイスとして言われますし、ビジネス本にもよく書かれています。ただ、この声をかける行為がどうしてもできませんでした。誘う前には、相手のことを下調べして3つほどはトピックを事前に考えていきますが、トピックを思いつく前に断念したこともあります。トピックを3つ考えられなかったけどまあいいかと思って勇気を出して誘ってみたけれど沈黙になってしまい、気まずい思いをさせてしまったこともあります。

一時期義務のように「誘わなきゃ......。」と思っていた時期があって、毎朝始業前に会社で戻していました。当時はしばらく原因がわからなかったのですが、考えるのをやめたら戻さなくなりました。

いきなり仕事でお世話になる方々をランチに誘うということにプレッシャーを感じてしまったので、まずは職場の同期をランチに誘うことから始めることにしました。ただ、同期を誘うのにもかなり勇気がいって、悩んで3日〜1週間くらい誘えないこともざらでした。今でも苦手なので、まだ解決していません。

# 話しかけてもらえない環境
学生時代までは何もしなくても、誘われたものに応じていたら、人生なんとかなってきました。誘われたものに行くだけで予定表は勝手にうまるし、なんなら多少断ってちょうどいいくらいでした。「予約の取れないレストラン」と呼ばれていたほどでした。

会社員になってからは、自分から話しかけにいかないと、話しかけてもらえなくなりました。このまま声をかけないと孤立してしまう......という自覚はありつつも、行動できずにいました。危機感があっても行動に移すのは難しいですね。

# 社会人になってからの友だち作りの難しさ
社会人1年目は、前半は定時帰りしていたのに、疲れ切って毎日爆睡していました。後半は平日は残業ばかりしていて、勉強会にも参加していなかったし、早く家に帰って翌日に備えないとという気持ちでいっぱいでした。土日は疲れてほぼ一日中ゴロゴロ寝てるか、必要な勉強を少しするくらいでした。出会いが全くありませんでした。

社会人3年目、会社の人たちと家族以外とほとんどコミュニケーションをとっていないことに気づき、焦ります。少し余裕が出てきたので、久しぶりに外部の勉強会でも行ってみるかと行くのを再開しました。また、技術ブログを始め、Twitterでも同業者とつながり始めました。

# 雑談
コロナ禍で、リモートワークになった人も多く、「雑談がないのが辛い」という意見をかなり多く見聞きしました。私自身は、世の人々は自分が思っていた以上に雑談をしていたのだなということに衝撃を受け、また、雑談がないのが辛いと感じられなかった自分にショックを受けました。元々そんなに雑談をしていなかった私にとっては、全然変わらなかったのです。

このことによって、意識的に話しかけるようにしないとという気持ちが芽生えました。1日の会話の大半がTwitterのリプライだけという生活は、コロナ禍前からしていたのですが、どうやらそれが普通ではないらしいということに、その時に気づきました。

# 自称コミュ障の気持ちを共感してもらえない環境
私は今、生まれた頃からコミュニケーションで苦労したことがそれほどなさそうだなという人々に囲まれています。程度の差こそあれ、誰もがコミュニケーションについて悩んだことはあると思うのですが、電話をかけるのに3時間何も手がつかなかったことは無さそうなタイプ、くらいの意味です。自分の経験を私が話すまでは、このような思考をする人間がこの世に存在するということさえ把握していなかった人が今の私の周りには多そうだと思います(読者には私と似たタイプの人が多いかもしれないと予想しています)。話せば理解しようとしてくださる方々ばかりなので、甘えていないでできることを増やしていかないととは常々思っております。

# 「自分から連絡する」怖さ
Twitter でつながっていない人には「ゆるぼ」は使えません。自分から連絡するしかありません。

また、自分から連絡することを苦手にしている人と仲良くするためには、自分から連絡するしかありません。

私は過去に、私と同じように自分から連絡することを苦手としている人たちと仲良くなれずに後悔したことがたくさんあります。複数人で話したときに気が合って盛り上がっても、どちらも誘わないので、少なくとも二人で会うことにはなりません。

チャンスをドブに捨てないために、もう後悔しないために、「自分から連絡する」ことができるようになりたいと思い、やっとできるようになりました。私の場合、必要だったのは勇気と慣れでした。「自分から誘う時の精神のすり減り具合」と「誘えなかった後悔」を天秤にかけた時に、やっと後者が上回るようになったんだと思います。

昨年まで、Twitterを初めて9年くらい、一度も自分から最初の個別DMを送ったことがありませんでした。昨年、5月にDMしようと思ったひとに10月にDMを送りました。最初は勇気が出るまで何ヶ月かかってしまってもいいと思います。行動に移すまでの期間が伸びるとチャンスを逃してしまう可能性がありますが、誘わなければチャンスはゼロです。周りの人に背中を押してもらうのでもいいと思います。最近は1日あければ送れるようになったので、圧倒的成長だと思っています。

改善への取り組みまとめ

- 話しかけてもらいたいならアウトプットをする
- 話しやすい趣味を持つ
- ある程度流行は抑える
- 人からオススメされたものはとりあえず試す
- 慣れる
- 精神的余裕を最大化する
- Twitterのゆるぼなどを活用して、誘わずに人と話せる機会を作る

おわりに

私と似た性格で、変わりたいけど変われないと思っている人に、少しでも勇気を与えることができればいいなと思います。また、私自身は少しずつできることを増やして変わりたいと思っていますが、そもそも変わりたいと思っていない人もいると思うので、私と似たタイプの人に出会ったら、温かく接していただければと思います。

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