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日本史のミカタ 井上章一・本郷和人著 祥伝社新書(2018年9月発行)

京都の学者さんが「京都ぎらい」という著書を出したと話題になり、つい読んでしまったのが井上さんとの出会いでした。最初はどうせ京都礼賛の文章を話題となっていた「京都的表現」で綴っているのだろうと思っていましたがさにあらず、生まれ育ち愛着の深い自分の“まち”を俯瞰的・客観的に眺めたらどうなるかという社会学的示唆に富んだ本でした(一冊でお腹いっぱいだったので続編は読んでないけど)。

一方の本郷さんは自分にとって、様々に難くせをつけながら、つい著書を手に取ってしまう、という不思議な学者さんです。この二人が出会ったら何が起こるのか。期待をこめて読み始めました。

本書は対談形式で進められます。東西対決的な煽りが随所で見られますが、そんな雰囲気を持ちながら、どちらかといえば社会学vs歴史学のように感じました。内容は古代から明治まで、主に社会体制・権力構造についてお互いの論をぶつけ合います。予定調和的な雰囲気はなく、時に相手の論を認め、時に一歩も引かない、というところが、口調はともかく白熱した対談だったのだなあと思わせてくれます。

あわせて、内容が深い。本郷さんは今までの著書でかなりセーブしていたのか、と驚かされました。あまりに深いので全体の印象のみまとめてみます。

ざっくり言えば、自由自在に大空を飛び始める井上さんの足にしがみついて地におろそうとする本郷さん、という感じでした。時には井上さんが飛べずに地に足をつけ、ときには本郷さんもろとも大空へ舞い上がります。

また、日頃から自分が感じていた本郷さんの著述に対する矛盾点などについても井上さんは本書の中で指摘しています。なるほど、みんなそう思ってたんだね。

内容で特に興味深かったのが中世における寺の役割、武家に対する朝廷の影響力、江戸時代から明治にかけての経済への取り組みとその扱われ方。

対談中にも話題になってましたが、だれか研究してまとめてくれないかなぁ。ちなみに本書では各種の論を展開したり研究している人々をフルネームかつ所属機関で紹介し(故人の場合はその注釈つき)、著書も正式タイトルで紹介されています。手に入るようなら読んでみたいですね。

久しぶりに知的好奇心を刺激してくれた面白い対談でした。

これを読了して思ったのですが、歴史学者の方々は研究されている内容が本当に狭くて深い。それに異をとなえて歴史を幅広く捉えようとしている本稿さんにあっても、井上さんの発言と比較するとその思考がとても狭く感じます。

日本史を理解する上で、中国などの大陸の動きは大切でしょうけれども、ローマ帝国に端を発するヨーロッパ史と日本史とを対比させることも、相対化による新たな発見があると思えてなりません。

ただ、本郷さんを始め日本史を研究される方は、膨大な史料の中から、当時の社会構造を読み解くことに必死のようで、別の観点から日本の歴史を捉え直すところに至っていないのだと感じました。

そうなると歴史学者っていうのは、いわば自分で多少の解釈を付け加えられるデータベースのようだよな、と考えていて思いつきました。

いっそのこと、社会学者と民俗学者と言語学者と経済学者と心理学者とその他いろんな分野の人を集めて、ある特定の時代の社会を机上で復元してみてはどうでしょう。各者が研究している内容に基づいて論を展開させ、横に控えたデータベース的役割を持った歴史学者が、「それはこの史料と反する」とか「明確な証拠がない」とか逐一ダメ出しをしていって、ダメ出しされたら必ず別の論に切り替えないといけない、などのルールが有れば、けっこう面白くなりそうな・・・ならないか。誰もみないよね。その結果としての対談集みたいなのがあれば読んでみたいけど。

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