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今のところ、絶望しか感じないゴジラ-1.0

山崎監督による新しいゴジラの情報が解禁されました。第二次大戦直後の日本にゴジラが来襲する設定のようですが、それを最初に聞いて思わず首を捻りました。
「誰が戦うんだ?」
現実問題として考えると、日本は占領下にあるわけですからまず米軍が戦わなければならないでしょう。しかし当時の武器でゴジラに敵うわけもなく、当然の結論として「原爆の投下」となるはずです。現代では核の使用に対してはとても慎重であり、シン・ゴジラでも描かれていましたが、当時は原爆は大戦を終了させた「希望の兵器」のように扱われていました(今でも同様の主張をする人はいます)。だからこそ(多分)躊躇わずに使用するでしょう。

それが成功しても失敗に終わっても結果として残るのは「日本に第三の原爆が落とされた」という事実です。
これではゴジラどころの騒ぎではありません。映画のテーマも変わってしまうことは明らかです。

物語の可能性としてはもう一つ考えられます。通常兵器で敵わないことを悟った米軍が日本から撤収して本国に帰るパターンです。
考えてみたら米国兵士を犠牲にして日本国民を守らなければならない、という必要はないわけで、今でこそ「人道的支援」という意識が高まっているものの、当時の米国民がリアルタイムでゴジラ来襲の報に接することができるはずもなく、またあの大きさ、体型、手足の状況からゴジラが太平洋を横断できると考えるはずもありませんから、撤収を実行することは十分にありうるでしょう。
そして、もしかしたら「ヤンチャ」だった日本の国力を削る良い機会だとばかりに静観を決め込むかもしれません。
そうなると映画はゴジラが日本国民をただ虐殺する、という意味のないスプラッタになります。

いずれにしても映画としてみたいとは思えません。

じゃあこの映画はどうなるのか。
現時点では無謀ではありますが映画の内容を妄想、いや考察してみましょう。

ポイントは「タイトル」です。わざわざマイナス1.0という言葉を使い、キャッチコピーでも「無(ゼロ)から負(マイナス)」とうたっています。
自分はこれに数学的、時空間的ニュアンスを感じました。
もしかして時間移動か?
でもそれは平成ゴジラでさんざんやられてどれも散々な物語となっています。ティガ外伝みたいに古代に飛んで超文明を使う、なんて言ったらトンデモ物語の仲間入りです。

他に考えられないでしょうか。
マイナスを言葉通りに受け取ってみると、例えばゴジラとして完成するには何らかの要素が一つ不足している「ゴジラ亜科」みたいなものが登場して、自らがゴジラになるために、先に上陸したゴジラを喰おうとする。つまりゴジラvsゴジラ、なんてのはどうでしょう。
そして勝利を収めたゴジラ亜科が無事にゴジラへと成長し、満足して帰って行く。

うーん、面白いとは思えないなぁ。

シン・ゴジラで「現代日本vsゴジラ」を徹底的に描いてしまったので、何らかのSF要素は入ると思いますが、トンチンカンにならないようにしていただきたいものです。

続報に期待しましょう。

なお、冒頭の写真は本文とは無関係です。

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