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東映京都撮影所の思い出

朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の後半には、三代目ヒロインひなたの勤め先として、条映京都映画村が登場した。

この映画村の元ネタでありロケ地でもあるのが、東映京都映画村および東映京都撮影所である。

私は東映京都映画村には行ったことがないが、TV-CM制作会社に勤務していた頃、東映京都撮影所は何度も行った。その頃の思い出話を少し書いてみる。

太秦

東映京都撮影所は京都の太秦にある。
太秦はかつて日本のハリウッドと呼ばれたこともある映画の町だ。

東映以外に大映、松竹(京都映画)などの撮影所もあった。

ただし私がTV-CM制作会社に入社した頃には、全盛期とは比べものにならないくらい衰退していた。

往時には大映撮影所が一番大きかったと聞くが、私の記憶にある姿はだだっ広い敷地に、大きなスタジオが2棟だけ残されている風景だ。大きいほうのスタジオに入ると、でっかい大魔神がそびえ立っていた。

松竹系の京都映画撮影所はその頃、TVで必殺シリーズというレギュラー番組が入っていたため、もう少し稼働していたと思う。

中でも東映京都撮影所は、一番賑わっていた。
早い時期にオープンセット部分を東映京都映画村としてテーマパーク化したおかげもあるだろう。
またTVで時代劇がレギュラー放送されていた頃は、ここで撮影が頻繁に行われていたということもある。
たとえば「水戸黄門」や「江戸を斬る」などの月曜時代劇はここで撮影されていた。

大阪のTV-CM制作会社が、これら京都の撮影所を、撮影スタジオとして利用するようになったのは、TV時代劇が下火になったせいだ。仕事の少なくなった撮影所が積極的に大阪の制作会社に営業をかけるようになったからだと思う。

そういう時代に私は大阪のTV-CM制作会社に所属し、制作進行(プロダクションマネージャー)をつとめていた。

東映京都撮影所

東映京都撮影所は映画村と隣接し、一般の見学者は入れない。
撮影所の正門は映画村とは全然違った場所にあった。

ただしテーマパーク化された映画村と違って、昭和の活動写真時代の姿をそのままに残していた。

「ステージ」と呼ばれる撮影スタジオが十数棟も立ち並ぶ大規模な撮影所である。撮影の入っているスタジオでは撮影スタッフやキャストが行き来していた。

敷地はとても広いのでバイクなどで走り回る者もいる。スーパーカブに乗ったジャージ姿の男が通り過ぎて行ったと思ったら、頭には武士の髷が乗っていたというようなこともあった。

撮影所の入り口近くにはスタッフやキャストが利用する食堂があった。携帯電話のない時代のこと、食堂の前には公衆電話が置いてあった。

私が食堂の前を通りかかったら、ジーンズを履いた中年の男性が公衆電話で通話をしていた。その姿に見覚えがあったので、知り合いのスタッフかなと思って近づいていったら、高橋英樹だった。

不審者

ある時、私が制作進行を担当しているCMの撮影を東映京都撮影所で行った。

この時のテーマは槍投げで、東京から招聘した外国人モデルが槍を投げるシーンを撮影した。槍投げの動きに説得力をつけるため、槍投げの競技協会に依頼して経験者の監修もつけた。

CMの撮影にはたくさんのスタッフが参加する。広告代理店やクライアント企業からも立ち合いに来る。

制作進行である私は、スタッフは把握しているが、代理店やクライアントが何人来るかまでは把握し切れない。
クライアントが、自分の親しい人物を連れてくることもある。

この撮影の時も30人以上の人間が撮影現場にいた。
その中に不審な男が混じっていた。

私たち制作会社側はクライアントが連れてきた人物かと思っていた。クライアントは制作スタッフの一員だと思っていたようだ。

その男は初めは静かに見学していたが、そのうち動き回り始めた。代理店のスチールカメラマンに話しかけたり、何か指示のようなものを与えたりし始めた。

カメラマンが「あれはどなたですか」と困惑して私に話しかけてきた。「クライアントのご友人ですかね」

そのうち男はステージに上がり、モデルの槍投げフォームに注文をつけ始めた。槍投げの監修者も眉をひそめる。

事ここに至って、スタジオのあちこちで「あれは誰だ?」という声が上がり始めた。

そこで男に話しかけてみると、支離滅裂な話を始める。
「俺は東映の岡田社長(当時)を知ってるんダゾ」というようなことを言ったりもした。

どうやら頭のおかしい男らしい、とわかって、退去してもらうよう説得したが言うことを聞かない。結局、撮影所の警備員に来てもらって実力で排除することになった。

変だと思ったのは、この男がスチールカメラマンにはちょっかいをかけるのに、ムービー(CM)の撮影スタッフには一切興味を示さなかったことだ。元印刷物の仕事でもしていたのだろうか?

撮影所はスター俳優が撮影を行なっていることもある。映画村と違って出入りの管理は厳重なはずだ。しかし、実際にはけっこう緩かったということになる。

菊花荘

京都の撮影所で撮影を行う時は、東京の出演者や撮影スタッフを呼ぶことも多かった。

タレントやモデルを東京から呼ぶ時は、だいたいJR京都駅前のホテルを予約しておいて、そこに前泊してもらい、撮影当日の朝に車でピックアップしに行くことが多かった。

しかし撮影スタッフや京都での撮影に慣れている俳優の場合には、定宿があった。

東映京都撮影所の正門から徒歩1分のところにある菊花荘という旅館である。ここは一見さんお断りの宿で、俳優や撮影スタッフ専門でやっていた。

私は京都での撮影の時は大阪の自宅から通うことが多かったが、一度連日の撮影で遅くなったので菊花荘に泊まったことがある。

朝食の時に、食堂で見かけたのは、高橋悦史となべおさみだった。

撮影所の思い出

実際には、京都の撮影所でよく撮影をしていたのはせいぜい3〜4年間くらいだろう。

その後、京都へ行くことも少なくなってしまった。

大映の撮影所はなくなってしまい、跡地はマンション群になっているという。東映京都撮影所はまだ稼働しているが、TVのレギュラー時代劇がほぼなくなった今では苦しいだろう。

「カムカムエヴリバディ」ではひなたがベテラン大部屋俳優の伴虚無蔵から時代劇の再興を託されるシーンがある。

子どもの頃からTV時代劇を見て育った世代としては、TVにもレギュラーの時代劇が復活してほしいと思っている。

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