2020.03.24 バンプ②

みなさんこんばんは。
ぼく、かんのです。今日もNotお母さん立ち会いのもと作文しています。

このNoteはぼく、かんのがバンプの特に好きな歌詞をただただ羅列するだけのNoteです。

それでは早速、いってみよ〜

(ホゥ!フォンフォンフォンフォンフォフォンフォン)




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夢の飼い主

夢をペットとして飼う女性の話。夢側の視点で語られている。

夢を持つと人はエネルギッシュで活動的になるが、行く末は、公言し称賛を得ることが叶えることよりも大事になってしまう人、縛られて息が苦しくなってしまう人、生きるために夢を忘れることにする人と、人それぞれだ。歌の中で飼い主も夢を叶えようと試行錯誤したり、夢を持っている優越感に甘んじたりしながら、本物を見失っていく。
そんな飼い主たちに藤原基央は「ただ名前を呼んでくれるだけでいいんだよ / それだけ忘れないで」と歌っている。ここで言う名前を呼ぶとは、元々持っていた夢がなんだったのかはっきり言えることだと思う。夢の名前を呼び続けることで、愛情の対象が夢を持っている自分ではなくて夢そのものであり続けるのではないだろうか。

お達し。

この歌の好きな歌詞は「首輪や紐じゃないんだよ、君に身を寄せるのは全て僕の意志だ」のところ。
しょうがないから一緒にいるんじゃなくて、自分がここにいるのは自分の意志だよって、そういう、責任を逃れようとしない姿勢・強さが性に合っていてかなり好きだ。
三ツ星カルテットの「繋いだ手は離せるよ、会いたいわけでもないよ、約束なんかいらないよ、それでもなくさないよ」も同じ理由で好き。数年前話題になったゼクシィのCM「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、わたしは、あなたと結婚したいのです」ももちろん好き。

何千年後とかに「基央曰く」で各章が始まる書物が爆売れしたりするんじゃなかろうか。



Ever  lasting  lie

男が恋人のため、石油を掘ろうと奮闘するうちその理由(つまりは恋人のことを)忘れてしまうというお話。初期はこういう、グングニル・Kとか歌詞が物語になっているものが多かったように思う。最近あんまりなくてかなしい。

女の人が身売りされる経緯は描かれていないため想像するしかないのだが、こればっかりは藤くんと同じように感じたいと思ってしまう。男の人が作った借金で女の人が身売りされるのかそうじゃないかで、聞き方が結構変わってくるから。わたしは女の人側に借金があって迷惑をかけないように別れたのを、取り返そうとしてるじゃないかなと思っている。当時のJAPANとかで公式発表があったりしたのだろうか。
信じられる要素なんてどこにあるの、が、信じられるよ嘘なんてどこにあるの、でもあると気づいた時の衝撃をいまだに覚えている。

途中挟まる間奏は2分以上あって飛ばしたくなってしまうが、2人はこんなもんじゃない時間はなればなれでいたのだから飛ばさないで聞くのが筋ってもんだ。
たまに飛ばして、ごめんね。



Beautiful Glider

「羽のない生き物が飛べたのは羽がなかったから」ではじまるこの曲は、怖がりながらも前に進もうと藻掻く人の弱さを、強く肯定してくれている。
この曲の空を飛んでる感は異常だ。あえて残したのであろうギターのかすれ?や必要最低限できもちいいリズムを保つドラム。適度に雲のある空をスーッと飛んでいくグライダーが見えてくる。
「いつだってそうやって頑張って考えて探してきたじゃないか」
ここでのキーワードは、“て”。語尾を“て”で縛り、音もそこだけあげることで、風にあおられ右往左往しながら進んでいくグライダーを思い浮かべることができる。
「憧れた景色とはいつでも会える 思い出せば」
ここの倒置法も効果的に使われている、気がする。だ・せばで区切られて音も下に落ちていくのが気持ちいい。思い出せばね、って皮肉の効いてるようにも思えるけど、どちらかといえばとっておきの秘密をわたしだけに教えてくれたみたいな、ほんとうは言いたくなかったみたいな、伏し目で切ない印象を受ける。

余談だけど、「手を振ったあなたの無事が今でも気にかかる夜明け前」を聞くと、朝電車に乗ってるとき代々木駅ホームで携帯をいじるOLのカバンからハンカチが落ちるのを見てしまい、一日中気にかかり、帰りの代々木駅で落ちていないことを確かめてやっと安心した日のことを思い出す。
診断されてないだけで病気だろうな。

はい。



66号線

バンプで好きな曲を聞かれた時に真っ先にあげる。
ガラス細工みたいな曲。
「僕の知らない記憶に襲われて泣いちゃった大切な人、近くにいられて嬉しかった」バンプの中で一番好きな歌詞だ。これなんだよ、と思う。
目の前で人が泣いた時に近くにいられて嬉しかったと思えるのか、過去を想像してあげられるのか、それを一緒に持ってあげたいと思えるのか、逆に一緒に持ってほしいと思えるのか。寝ると泣くは気を許した人の前でしかできないと思っているので、そういう姿を見せてくれた喜びみたいなところもあるのかもしれないなとか。
「できるだけ離れないでいたいと願うのは、出会う前の君に僕は絶対出会えないから(宇宙飛行士への手紙)」だからこそ、今そんな風に思い合える人がいたら、幸せで幸せでたまらないだろうなと思う。だって想像するだけで、こんなにも幸せになれるから。別れを意識せずとも相手を思いやれることの方がずっといいのかもしれないけど。

聞いていると、サビの「声をなくしたら僕じゃなくなる、それでも好きだと言ってくれますか」に自分ならどう返事をするか考えてしまう。藤原基央が声をなくしたらなんて、なるべくなら考えたくはない。でも。なくしたとしても歌っていた過去が消えるわけではないから、答えはYesやっぱり好きだ。では、藤原基央が今の声で生まれていなかったら。今よりも巡り合う可能性がぐんと減ると思うので、藤くんが藤くんで生まれてきてくれてよかったなあ。って思う。この世界線でよかった。浅いなあ、いや、でもほんとに。

将来の”もしも”で不安になって今をおろそかにしてしまうの、よくやるのだけど、藤くんにもそんなことがあるのやなあとちょっと安心したりもした。




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他にも、
宇宙飛行士への手紙「そしていつか星になってまたひとりになるから」HAPPY「悲しみは消えるというなら喜びだってそういうものだろう」プレゼント「勇気も元気も生きる上ではなくて困るものじゃない」流星群「誰も気に止めない / 僕らがこのまま消えたとしても」然り 言わないままでも終われることをちゃんと言ってくれるところだったり、supernovaや虹を待つ人などの歌詞にない叫びのところ、”バ”が全部”ヴァ”に聞こえるところなど、藤原基央だいすきポイントはたくさんある。

書ききれないし、伝えられる文章力もない。

藤原基央に恋焦がれていた中学時代と比べれば、熱も落ち着いたように思う。当時のわたしは缶の筆箱に彼の写真を貼り、担任の先生との連絡帳にその日響いたバンプの歌詞を書くという痛い学生だった。彼の言うことを毒見せず丸のみして生きていた。
DVDを見返すと、GOLD GLIDER TOURの頃のバンプって砂ぼこりみたいな色をしていて、それが結構好きだったことを思い出す。WILLPOLISあたりから色を得て、今の形に向けた助走が始まり、グッズやMVもいい感じになっていった。

駆け抜けていた愛も徐々に正常なファンの域に収まり、fireflyを(も)1回聞いただけでだいすきになったわたしは、何度も何度も聞くうちに、うっすらとした違和感に気づく。
黄金の覚悟。
藤くんってこんなこと言うかな?歌詞カードを見返す。Stage of the groundで自由を使いたくなくて那由多ってワード出してきた人がこんなことする?
その後発売されたrayの「生きるのは最高だ」で目を丸にした。ちょっとショックだった。一緒に聞いていた兄とこれはなんだ、と騒いだ。多くのファンが通る”変わってしまった“の道、今まで散々背中を押してもらっておきながら、ひどい話である。自分は「一生分食べた、もう食べない」と言い切った次の日にはもう食べているというのに。最高ひとつで何をと思う人もいるだろうが、今までの藤原基央のワードチョイスセンスからすると、ほんとうにそれくらい衝撃的なことだった。
しかし我々は単純なので、初音ミクコラボの歓喜でそんなことはすぐにどうでもよくなる。その後発表されたbutterflyもaurora arcも発売をカウントダウンするほど楽しみにし、“変わってしまった”とされた彼らも充分愛すことができた。違和感も何回も聞いていくうちにだんだん馴染んでいく気がした。藤原基央は進化しても藤原基央のままだった。正直未だにrayを聞くと○×△のところで多少身構えはするのだが、大元はなにも変わらず、猫の歌声を「リンリン」と表現していたあの頃と同じ、だから聞く度好きになっていくのかなと思う。これが、一種の洗脳だという自覚はある。


藤原基央よ。
我々はあなたが思っている以上にあなたのことが好きなので、大丈夫だから安心してそのまま突き進んでね。なんて、知ってるだろうけど。

よ、じゃないです、様、です、すいませんでした。








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