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『泉』ギュスターヴ・クールベ 1862年

今日はクールベの泉を見てみようと思います。
クールベも泉という絵を描いているんですね。

ところで、クールベと聞くとみなさん何を連想しますか?
変わった人とか変革者とも言われていますね。。

ギュスターヴ・クールベ

19世紀のフランスで活躍したギュスターヴ・クールベ(1819-1877)は、伝統的な美術や旧来の政治体制に反発した前衛的な画家として知られています。

人物や物を理想化して描いたり、天使など想像上の存在を描いたりするのではなく、自らの目で見た「あるがまま」の現実の姿を絵に描きとめたレアリスム(写実主義)の画家として、時に政治批判を含む作品やスキャンダラスな内容の作品を発表し、人々の注目を集めました。

彼が残した言葉で有名なのが「天使は見たことがないから描かない」です。彼が当時のフランス美術界に対して「喧嘩を売った」言葉として知られています。

『黒い犬を連れた自画像』1842年
彼のサロンデビュー作でもあります。


さてクールベは1849年のサロンで「オルナンの食休み」で金メダルを獲得し、この作品が国家買い上げとなりました。

『オルナンの食休み』1849年
一番左にいるのが彼の父と言われています。


このオルナンの食休みはドミニク・アングル、ドラクロワの二人に評価され、それがもとで国家が買い上げることになったと言われています。
いや、この二人に認められるなんて、画家としてはじめから成功の道にのっていたはずだったのです。

『泉』1862年

今回の一枚はクールベの泉です。
この絵はクールベがアングルに向けた回答と言われています。
後ろを向かせたというのがいかにも彼らしい。

アングルは泉で彼の理想的な女性像を描いています。要するにモデルはいますが、絵画の約束事に則り描いています。
その結果大絶賛を受けるわけです。

そこで、クールベが自分ならこう描くな〜と描いたのが今回の絵だと言われています。アングルの泉もおさらいで見てみてくださいね!



今回のこの絵は、理想的な人体表現と写実的な人体表現など、アングルとクールベの絵画に対する姿勢の違いとともに、資質の違いも表れています。

ところでクールベはもう一枚泉という作品をアングルの死後に描いています。

『泉』1868年

こちらの作品は裸婦の描き方が上の一枚よりずっと写実的になっています。
例えばウエスト部分を見るとコルセットを日常的にしている女性ということになります。
でも顔を描かないのは、やはりアングルへの敬意というかなんというか…。

アングルは1867年に亡くなっています。その後に描かれた2枚目の絵画は、よりクールベらしさを全面に出した作品だと思います。
ある意味アングルへのオマージュというかなんというか…。

何故なら一枚めの泉の絵はめちゃくちゃアングルに影響を受けているからです。
肌質が青白く見えるのはアングルの弟子たちがよくそういう評価を受けていたと記録にあります。(シャセリオーも言われてましたね)
クールベもそれをわかっていてもう一枚似たような構図で描いたのかもしれません。

足元とか肌の質感とか…。


この時代は写真が出てきた時代です。アングルは写真ではない絵画の良さを模索しながら絵を描いていきます。有名なのはグランドオダリスクとか…。

でもクールベは写実的に、見たものを描いていき、それを曲げない。。

ありのままを等身大で描くクールベの作品は保守的な批評家やサロンから大不評を買いました。その結果生前はあまり評価を受けませんでした。
国家買取りの絵画を描いていたのに関わらずです。


しかし、それまでの様々な常識を打ち破ったクールベの姿勢と作品は、後の芸術家たちの道を大きく開き、ここから印象派、マネたちが出てくるわけです。

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