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『聖母と天使』ウィリアム・アドルフ・ブグロー 、1900年

 今回は2024年初めての投稿なので、アングルでない画家の絵を見ていこうと思います。(でもアングル系統ではありますし、まあ時代は重なっています)
この『聖母と天使』の絵は実はクリスマスに掲載を考えていたのですが、年末忙しくなかなかこの絵と向き合えず・・・。

『聖母と天使』の絵はクリスマスに掲載を考えたほど聖なるかな、に合う絵ではありますが、2024年初の絵として今回はブグローの『聖母と天使』を見ていきたいと思います。

ウィリアム・アドルフ・ブグロー

 ブグローは1825年、フランス生まれです。1846年、パリへ出てフランソワ=エドゥアール・ピコの門下生となり、エコール・デ・ボザール(今もある国立美術学校)に入学し絵を学びます。

『アモルとプシュケ』フランソワ=エドゥアール・ピコ


このピコの絵は以前チラッと1819年のサロンの記事に出しましたが、ピコの代表作です。ジェリコーのメデューズ号と一緒の年のサロンに出品したんでしたね。

このピコの弟子として有名な一人にアレクサンドル・カバネルがいます。カバネルは1823年生まれなのでブグローと年も近いですね。
カバネルの有名な『ヴィーナス誕生』はヴィーナスのサロンで記事にしましたが、この時代の売れっ子画家の一人です。

『ヴィーナス誕生』1863年、アレクサンドル・カバネル
カバネルはナポレオン3世のお気に入りの画家でした。カバネルといえばこの絵が有名ですが他にも素敵な絵がたくさんあります。いつか記事に…

 さて、ブグローは1850年にはローマ賞を得てイタリアに留学し、4年間滞在しています。(余談ですがカバネルは1845年にローマ賞とってます)
1856年、ブグローはモデルであったマリ=ネリー・モンシャブロと結婚しています。1857年、32歳でサロンに『トレビスの帰還』を出品し名誉賞を獲得しています。

『トレビスの帰還』1857年、ウィリアム・アドルフ・ブグロー
旅から戻ったトレビスは失明した父を治します。この絵は目が治った!と家族で喜んでいるところです。黄色い服をきている人物は、トレビスと一緒に旅をしていた人ですが実は大天使ラファエルでした!!というオチつきです。旧約聖書の外伝みたいなお話です。このモチーフの絵が描かれたのはブグローよりも前の時代で、ブグローが古典によく通じていたことがわかる作品です。

 賞を取ったことでブグローの名が売れ始めます。また第一子となる娘が生まれたのもこの頃です。1868年にはアトリエ付きの家を購入しています。画家としては毎年サロンに出品し、作品は高く評価され国家買取となる絵もあり順調に名声を得ていきます。

『聖家族』1863年
 この絵はナポレオン3世によって買い上げされています。この1863年はあのヴィーナスのサロンの年でナポレオンはあのカバネルのヴィーナスの絵も買い上げましたが、この絵も気に入ったのですね。ナポレオンはこの絵を妻であるウジェニー皇后へプレゼントしています。いやはや、ブグローがラファエロ好きだったのがわかる絵ですね!

 ブグローには5人子供がいましたがそのうち3人も夭折し、1877年には妻であるネリーにも先立たれています。そのためか、聖母子を扱った作品を多く描いています。今回の絵もそのうちの1つです。

聖母と天使

さて、では今回の絵を見てみましょう。

『天使と聖母』1900年
この絵はブグローの晩年の絵になります。まさに聖なるかな、とため息が出る絵ですよね。この絵はパリの美術館にあります。285 × 185 cmと大きな絵となります。

もともとブグローは肖像画を得意とした画家でありますが、画面の天使全員を描き分けているのはさすがです。ブグローは1905年に79歳でなくなっているので、まさに最晩年の絵であるのにこの完成度。1年前にこれと似た構図の絵を描いています。

『百合の聖母』1899年
これは少し小さいサイズの絵になります。
27 × 18.5 cm
百合を天使にしたのですね。

聖母自体は同じ構図なのでこれを大きく描いたのが今回の天使と聖母の絵になります。

 ところで、ブグローはカバネル同様この時代とても人気であった画家ですが今では少し忘れられた画家とされています。
その一つにこの時代台頭してきた印象派によるものが大きいのですが、じつはブグローはカバネルと共にサロンの審査委員に選ばれ、マネなどの印象派の絵画のサロンでの展示を拒否しています。
これで印象派の画家たちに思いっきり嫌われてます。この展示を拒否したサロンが1863年のヴィーナスのサロンで、時の皇帝ナポレオン3世は落選展を開催することになります。。

 ブグローの描く絵は写実的で、敬愛する画家はアングルと同じくラファエロでした。磁器のような白い肌はアングルの影響もありますよね。まあ、ピコの弟子でありますし、新古典派の画家なのでアングルの影響はモロにあると思いますが。
 そのためか彼は印象派の絵画に対して否定的だったようです。(その辺もドラクロアを否定していたアングルに似ていますね)

 ブグローは1888年にエコール・デ・ボザール(フランスで一番有名な美術学校)の教授に就任しています。教え子はたくさんいるのですが、その中に黒田清輝の師であるラファエロ・コランがいます。ブグローから黒田清輝につながると思うと興味深いです。
↓黒田の記事にコランの絵を載せましたが、なるほど師はブグローなのかと思います。

では、最後に今回の絵をもう一度。

写実的で緻密な絵です。圧倒的な存在感。私の好きな絵の一つです。

この絵が描かれた1900年にブグローは長男を亡くし、5人中4人の子供に先立たれています。もちろんこの絵はイエスの誕生で祝福を表し天使が描かれていますが、同時に餞も感じます。マリアの足元の天使が降り香炉を持っているせいかもしれません…。




実はブグローの絵、迷った一枚があったのです。今回その絵にするかどうするか悩んだのですが、やはりこちらの『聖母と天使』にしました。2024年最初の絵であったので12月の絵として書こうとしていたブグローの中でも私の好きな絵にしました。
迷ったその絵は凄惨な絵でもあるので、いつか記事にできたらいいなと思います。またブグローの2番目の画家である奥さんについても書きたかった。。ちょっと私の力不足で時間もかかってしまい1月の掲載にもできず反省の記事となりました。(月初めの日本画にしようかとも悩んだのも遅れた原因です。)
 ブグローは生涯800点以上の絵を描いたと言われています。これからも記事にできたらいいなと思う画家の一人です。

 すでに2月ではありますが、2024年もよろしくお願いします。

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