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日記

これから、積極的に無価値な日記を書き、軽やかに生産(アップロード)し、(消したくなったら)さわやかに記事を消していこうと思う。それが真に生産的であるということだと思うから。

インターネット時代の「思い出アルバム」

最近、私には思い出が少ないと思った。インターネットに片足どころか腹まで浸かっているわけだが、私はネットにすら友達がいない。出来そうになっても、切る事がすごく多かった。自分から途絶えさせるのだ。何故だかよく分からないが。

そして飽き性であるため、同じコミュニティに一年以上いるという事がまずない。だから、インターネットに友達がいない。現実の友達は3人だけで、あとは殆ど音信不通だ。

そうなってくると、私を証明するもの、私についての記録というもの、特に交友関係を示すようなものが殆どない。私は一体何をしてきて、何を感じてきて、誰と交流し、誰と別れてきたのか。自分自身あいまいだ。

恐らくこの問題は、私だけではないと思う。恐らく少なくないであろう人々が、特に今の30代が(自殺のボリュームゾーンたる)50代に差し掛かる時、それなりの問題になる気がする。知らんけど。

まあ、思い出なんてなくても良いかな、という気がする。私は常々、ネット上でも現実でも私がいなくなった後は私を知る人が一人もいないそういう状態にしておきたいと思っていた。私がいたとされる場所には、最初から何もなかった。そういうことがもし存在したとするなら、しかもそれが時間経過などという世俗的なものでなく、私が死んだ直後、或いは姿を消した直後から発生するのなら、どれほど良いことか。淋しくて、少し悲しくて、でもどれほどすっきりとすることだろうと、何となく考えていた。そう、確かに淋しい。だけれども、何となく、すっきりすることでもあるのだ。

哲学に詳しいギャル

今、デリダの入門書を読んでいるのだが、もう、ほあ~~~~www となるくらい難しい。入門書ですらこれなのだから、自分の哲学への絶望的な感度・理解力の低さにびっくりする。しかも私、元哲科なんでねえ……。

そして最近私は、哲学に詳しいギャルいねえかな、と思っている。Chat GPTに細かく注文を付けて生成してもらおうとしたが、思ったようなギャルが錬成出来なかったので、萎えている。(おーい、デリダって聞いたことある? あのフランスの哲学者、めっちゃキてるんだよ! 超深い考え方してるんだ、という冒頭しか評価できるところがなかった)

軸を持つ

この前春から入る院の公開セミナーに参加した。その時の先生方の発表や、その後の院生同士(私から見れば先輩になる訳だが)の座談会などに参加して、思ったことが一つある。それは、軸について常に考えなければならないということだった。

考えるだけでなく実践していかなければmeaninglessになる訳だが、少なくとも何の考えも無しに実践することは私には出来ない。考えることと実践することは私にとって分かちがたく存在する。

自分の春から多分指導教員になっていただけるはずの先生の発表を聞いた時に、偉そうかも分からんが、私は、「この方は研究がまだ途上にあるのだ」と思った。つまり、素人目に見てもその方にはかなりの実績があるのだが(天才だと思う)、それは単なる通過点でありその先生はまだ道半ば、というよりも、これからもっとこの先生は大きな事をなしていくんだろうなと、そんなことを考えた。私は、そう思うのが適切かは分からないが、すごくシンプルに、尊敬するがゆえに、迷惑をかけたくないなと、そう思ってしまったw

また院生の方々も、え、、???? 天才では???? という方もいれば、私とはバックグラウンドが180度違う中で真摯に学ばれている方もいて、更に言うと、めちゃくちゃ偉そうで本当に恥ずかしいが、あんまり優秀そうじゃなさそうな人もいた。優秀そうじゃないというか、心理士になったきっかけと修士論文と進路が全て一致しない上に、発表時間を唯一10分近くオーバーして喋っていた人がいた。院生生活において、学生同士で切磋琢磨する、と言っても、中高・学部生のような切磋琢磨とは違う種類のそれがあるように私は感じた。軸が無ければ埋もれてしまう。

私が院生活を送るにあたり、この二年間で何をしたいと思うのか。研究においても実践においても、それを常に考え、かつ実践し、更新し、更に向き合っていかないといけないんじゃないかなと、そんなことを考えた。PDCAと言いますかね、OODA? まあ何でも良いんですけど、、、

それではまた次の記事でお会いしましょう。