それぞれの幸せのかたちを干渉せず拍手し合えたらよい
ここいちにねん、マジで100%善意で言われたことなんだけど、なんとなくモヤモヤが消えないことがあった。
会話の節々で、悪気なんてひとつもなかった。
だからこそ、まっすぐ受け取れない自分がモヤっともする。
でも、私も忘れてはいけないことと思うので残しておく。自分も取り巻く環境が変わったら、伝えてしまうかもしれないからね。
その言葉を受け取ってから、考えたこと。下記。
幸せになりたい、幸せでありたいとは思っている。
それはずっと。
でも、「私が誰かといること」は幸せのゴールなのか。
四季の変化を感じることができて、
仕事をしてお金を稼いで自分の力で暮らしていて、
好きな音楽を聴けて、友達がいて、好きな人たちがいて。
私の幸せは私にしか決められない。
20数年生きた人生の中で、今の私はかなり幸せ度が高い方にいると思う。
資格も職場も、住んでいる場所も、毎日食べるものも、服も、たくさんのCDも本も、
私が私のために頑張って頑張って手に入れたもの。
自分で考えて選んできた大切なもの。
今暮らしている生活は毎日が奇跡のようで、
ずっと大切に抱きしめていたいと思っている。
それが、1人で暮らしていることで
「不幸せ」と決められてしまう未来が来るかもしれないなんて、
あまりにも怖すぎる。
「きっと結婚できるから大丈夫だよ」って。
今の暮らしが続くことは「大丈夫」じゃないのか。
1人であるということ、それだけで私を語らないでほしいんだよ。かごめちゃん、そうだよな。
母親になりたい、という夢はある。
しかし、その願いを口にしてしまうと、
叶わなかった時に「叶わなかった人」と
見られることが、怖いと思ってしまう自分がいる。
だからといってしきりに「今が幸せ」というのは
暗示をかけたり、無理に言い聞かせているわけではない。
私は確かに日々の暮らしに幸せを感じて生きている。
母親になれない私もきっと幸せであると思う。そこに関しては、自信がある。
行かなかった旅行も思い出になるんだ。
どうか、いらない憐れみを注ぐのはやめて。
わたしは自分で幸せを選んで、生きている。
悲しみや諦めや葛藤や悔しさは
うまくいかなかったいろいろは
自分で折り合いをつけて
どうにかするから、
どうにかならなければ助けてっていうから。
生きることの応援だけしていてくれたら、嬉しい。
自虐を盾に生きてきたことが多かったけど、
これからは私の幸せをどうか語らせて欲しいと、思っている。
今日の一曲
わたしのしあわせ/ヒグチアイ
わたしのしあわせは
だれにもはかれない
わたしのしあわせは
だれのものでもない
どうかあなただけに
知っていてほしいの
ここにいれるだけで
大丈夫 しあわせ
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