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vol.128 向田邦子「父の詫び状」を読んで

「そう言えばこんなこともあった」「確かこんな話もしたっけ」と、少女時代の思い出をつづった、TVドラマの脚本家でもある向田邦子さんのエッセイ。

内容
父が夜更けにほろ酔い機嫌で客を連れて帰ってきた時のこと。玄関で客の靴を揃えていた時の父との会話。客の吐瀉物としゃぶつを子どもの自分が掃除していた時の父の態度。転勤先の仙台から「此の度は格別の御働き」という一行が父からの手紙に書いてあったことなど。(内容おわり)

昭和20年前後の家族の風景が断片的に描かれていた。昭和の生あたたかい体温が伝わってきた。

著者が描く父親像は、いつでも偉そうで、ぶっきらぼうで、笑わないし、怒っていた。家族の喜怒哀楽は、決まって義理人情で完結していた。そんなブラウン管の「お茶の間」に、自分の日常を重ねて安心感を得ていた。

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実際に、当時、そんな父親たちはあちこちにいたように思う。

僕の父はどうだっただろう。

時々仕事の仲間らしき友人を自宅に呼び、飲み会らしきものをしていた。母は当然のようにせっせと、ビールを運んでいた。三人の姉は関心がないようにテレビを見ていた。僕は、皆が帰った後のご馳走の残りを楽しみにしていた。普段は物静かで優しい父だったが、タバコの煙の中で陽気に話している父が好きだった。

とかく当時の父親像は、不可解で謎に満ちた存在だったようにも思う。社会が、働く父親の厳格さを家族の中に作り出していたのかもしれない。

一方、妻である母親も母親の役割として、そんな父を立て、子どもたちに父への尊敬を促し、テキパキとあかぎれをこしらえながら家事をこなすイメージがある。

そんな昭和のテンプレートが僕の中にもあった。今からすると、ずいぶんとひどい性別役割分担意識だ。

あれからずいぶんと時間が経った。

今では共働きが当たり前。家事・育児も分担。性別のあるべき姿なんかはNGワード。それぞれの環境に合わせて生きていく。結婚してもしなくても、子どもを持っても持たなくても、実家を出ようと居座ろうと、なにを選択するかは、その時々の環境しだい。どう生きるかの選択肢が増える中で、家庭での父親の立ち位置も変わってきているのだろう。

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向田邦子さんが描いた昭和のホームドラマはもちろんエンタメだけど、描かれた父親像は、今ではもう完全に「アウト」なのだ。

そういえばもうすぐ「父の日」。

ずっと会っていない鹿児島にいる昭和の父に会いに行こうか。

おわり

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