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vol.126 林芙美子「風琴と魚の町」を読んで

ひどく貧乏で、泥のような暮らしだけど、そこにいる親子の風景は愛情にあふれていた。微笑ましい描写がたくさんあった。爽やかな気持ちになった。

1916年、13歳の林芙美子は、広島県尾道市に降り立った。そこで過ごした6年間の体験をもとに描かれた短編。

内容

行商を営む両親に連れられ、極貧の放浪生活をしていた。父は風琴(アコーディオン)を鳴らしながら、少し、いかがわしい薬や化粧水をどこかで仕入れて売り歩いていた。母は荷物を背負って、父について歩いていた。「私」は学校にまともに通えず、いつもお腹をすかしていた。行商の途中、汽車の窓から見えた日の丸の旗に誘われ、海辺の町、尾道に降り立った・・・。(内容おわり)

読みながら、著者が体験した風景を想像する。

尾道は、潮の香りと魚の生臭さが生活に溶け込んでいた。貧しさに耐えながら生きている人々の記憶。

美味しいものを食べているだろう「富限者」の子どもたちへの嫌な感情。

父親が受けた警察からの理不尽。「馬鹿たれ馬鹿たれ」と野生的に走り出すしかなかったあの頃の「私」。

どれもくやしい風景だけど、親子間のあったかい関係が、全てを救っているように感じた。

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「私は、蓮根の穴の中に辛子をうんと詰めて揚げた天麩羅をひとつ買った。そうして私は、母とその島を見ながら、一つの天麩羅を分けあって食べた」

「私達三人は、・・うどんを食べた。私の丼の中には三角の油揚げが入っていた。『どうしてお父さんのも、おっ母さんのも、狐が入っとらんと?』・・私は一片の油揚を父の丼の中へ投げ入れてニヤッと笑った。父は甘美そうにそれを食った。」

なんのわだかまりのない親と子の愛情が伝わる。じわっと心があったかくなる。

林芙美子、解説に「貧乏を愛した作家」とあった。「物心ついてからずっと苦労して育ってきた林芙美子にとって、貧乏は、いわばもっとも身近で親しいものだった」らしい。

作品から伝わる、親のユーモラスさと子の可愛らしさは、自然と身についた仕草なのかもしれない。

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大切なのは、貧乏はしていても、心は自由という明るさなのだろう。

「貧しくても、心豊かに暮らせば、幸せに生きられる」

朝ドラ「ちむどんどん」にも、そんなセリフがあった。

おわり

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