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明日をなんと呼べばいい

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三十二歳と呼ばれる男の、人生三十年目。 風見かおる
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2014年9月の記事一覧

夢なれど努努ならじ吾が明日に朝日の返り影は立つらむ

水平に夏の涼風渡りゆく青の鏡面秋は近しと

思っていたよりも秋の空は高く、淀川の河川敷から眺める青空のなか、営業マンの、午後は過ぎてゆくのだ。

鈴の音がゆかしく涼む淀の川手をかざし見る鱗の空を

休日の朝なのだ。
と言うか、昼なのだ。

ボサボサの髪とぐだぐだの内蔵をヒュヌリ、と引き締めてベッドの隅にとりあえず座る。

タバコを吸う元気もなく、座ってから立つまでに恐らく正午をまたぐのだ。

寂光に薄く影引く右肩は世を儚んで再び眠る

そんな土曜日の昼だ。

『明日をなんと呼べばいい』と思うのは、なにも悲し時ばかりではない。
例えば、そう。
25歳独身、もとい、32歳独身気分に駆り立てられる複雑な今日において、蜘蛛の糸ほどの希望を見てしまっている今とか、『明日を……以下略』などと浮かれていたりする。

そんな自分に言告げる。
アーメン

三十二歳と呼ばれる男の人生二十五年目、と題するからには、私は事実25歳なのである。
25歳独身、作家志望のサラリーマンの人生はいま、超絶対絶名、と書いて超絶に狂っている。
働けど働けど我が暮らし楽になるわけがないほどに、生活が苦しい。
ビンボーだ
ボンビーにビンボーだ
そして……

八百万の神は私に試錬をお与えになったわけだ。

パソコン……電源が入らねぇ。32歳と呼ばれる男は、単純にキレる20代になった。
荒れたね狂ったさ。八墓村だよ!祟りというか祟った。
白装束でらんらんるー
丑三つ時に五寸釘な事態だった!

っこほん、こほん。
失礼。取り乱したようだ。

その事実に気付いて2ヶ月あまり。
デートのお誘いもできない会社員は、日々極貧を貪り、今日も日曜が退屈なことを思い出すのである。
パソコンもない私は、つまり、こうしてつぶやき機能しか使えない、という、ネット社会での極貧すら味あっているのだ。

思い出はいつも綺麗にしまっておく物で、しかしいつも素晴らしいものとは限らない。
ただ、こんな秋の日、こんな日にいくつもの思い出が輝かしく散ってゆく。

さよならの金木犀は空高く胸を抱いて芳しく泣く