テンプレ化されたSEO記事ほどつまらないものはない
Search Engine Optimization(検索エンジン最適化)、つまりSEOについて。
この記事はSEOなんて考えたくないモードに突入したライターによる雑記です。読んだ方に何か気付きがあればなどとは微塵も思っておらず、ただ私が私のガス抜きのためだけに書いたものですので悪しからず!
SEOってなんのこと?
サイトへの主な入り口となる検索エンジンからの流入を増やす、つまり検索結果のページで目に止まりやすくする(≒上位に表示される)ための施策のこと。検索エンジンのみならず、サイトのビュー数を増やすための手段全般としても使われる言葉だ。
日本における検索エンジンの利用率はGoogleが9割を超えている(実際はGoogle検索が7割、yahoo!検索が2割だが、yahoo!もGoogleのアルゴリズムを利用している)ため、webメディアにはGoogle検索で上位へ表示されるためのテクニックが随所に散りばめられている。
要するにGoogleのアルゴリズムをハックすることがそのままSEOになるのだが、Google自身が『ユーザーファースト』を掲げているため、結果としてユーザーが使いやすいサイトが検索エンジンの上位に表示されることになる。
特にシビアなのがUX/UI領域で、ここに不足があるサイトはGoogleのアルゴリズムに引っかかることすらないという印象がある。
『SEO対策 お手本 メディア』で調べると超大手のメディアがいくつか出てくるが、こういったメディアはレイアウト、バナー、サイトの構造など非常に工夫が凝らされていて、大変参考になるなあと思いながらいつも拝見している。もちろん記事の内容も。
特にこのサイト。統一されたデザインと色使いがめっちゃ好き。おすすめです。
お前SEO大好きじゃん、何が不満なんだ
もちろんウェブメディアでの執筆は好きだ。SEOはユーザーファーストが評価される仕組みなのだからやりがいもある。
記事を読んで満足してもらえたら評価につながるってすごくない?そんな仕組みを世界規模で作っちゃうGoogle、すごくない?すごいよね?ね?
私が不満を持っているのは、”SEO対策を重視しすぎた”メディアのあり方だ。
私は過去にキュレーションメディアでの執筆をしていた経験があるのだが、キュレーションメディアはどのメディアを取っても紋切り型。
ターゲットよりもさらに狭いペルソナを設定し、読みやすいような構成を練り、ペルソナに確実に刺さるorセンセーショナルで目を惹くタイトルをつける。
そこにライターの個性が表れる場面は無い。
個性は全て雑音となり、ユーザーのストレスになるからだ。
もちろんキュレーションメディアはウェブメディアの一形態にすぎないし、全てのメディアが紋切り型の金太郎飴、粗製乱造でザクみたいな量産品と言っているわけではない。そこまで暴言を吐くつもりもない。
しかし、コンテンツの中身ではなく「いかにアルゴリズムをハックするか」で勝負するメディアに限った話なら、『テンプレートが決まっていて、テンプレートに沿った執筆と編集がされた記事』を提供しているメディアがほとんどである。それがGoogleに評価されるポイントだからだ。
テンプレートが定まっていれば、記事の執筆は容易になる。熟練ライターを雇う必要はなく、コストの安い新人ライターを使えばいい。調べる→書くのサイクルは誰にでもできることで、違いがあるとすれば執筆の速度、細かいミスの有無くらいしかない。そして細かいミスなんて編集の段階でどうにでもなる。
つまり『テンプレ化したSEO記事は誰にでも書ける』ということだ。
誰にでも書ける記事を増やして、メディアの死角を無くしていく。こうしてまた紋切り型が生まれる。
近いうちに(もしかしたら既にあるのかもしれないが)ペルソナ設定と構成だけ用意すれば、あとはAIが自動で情報を集め、執筆してくれるサービスが生まれるかもしれない。
そうなったら『誰でも書ける』を通り越して『書く必要すらない』になってしまう。AIは最早未来のテクノロジーではないのだ。
【20221108追記】
遂に生まれてしまいました……。
一般的にSEOライターを包含した”ライター”は”クリエイティブ職”と呼ばれる。
しかし、私はこう思わずにはいられない。
AIによって代用可能な職を、本当に”クリエイティブ”と呼ぶことができるのだろうか。
そして。
誰にでも書ける記事を提供するメディアに、果たして価値はあるのだろうか。
タイトルだけで全てを説明しなければならない風潮
広義のSEO、つまり検索エンジンに限らずSNSなども含めたサイトへの流入を増やすための手段として非常に重要なのが「タイトル設定」である。上項でも少し触れたけど。
この記事はテキトーなタイトルだが、アクセス増を狙うなら『SEOの5つの限界と、クリエイターが考えなければならない創作の本質』みたいな感じにする。もちろん5秒で考えたので要検討ではある。5つの限界てなんやねん、5つも考えてねえわ。誰だよこんなの作ったの。俺か。
SEO的には文中に5秒と5つで半角と全角の表記揺れがあるのもよろしくない点。でも訂正すんのめんどくさかった。
ちなみに以下5秒で考えたタイトルの説明。中身は空っぽなので飛ばしてもらって構いません。
あだしごとはさておき(一度使ってみたかった言葉)、タイトルの話である。
流入を増やしたければ『思わずクリックしたくなるようなタイトル』をつければ良い。
つければ良いとはいうもののこれが非常に難しく、流入を得るためだけに過激な言葉を入れたり、あらぬことを書き連ねたところでメディアへの定着にはつながらない。
むしろ記事の内容との乖離からユーザーのストレスを生み、Googleさんに怒られるだけ。行き過ぎた結果がフェイクニュースだ。
ユーザー全員が記事をしっかり読んで主張を把握してくれるわけではないことは常に意識しておかなければならない。
上記を踏まえ、思わずクリックしたくなるようなタイトルを考えるにはどうすれば良いのか。
『コンテンツの内容に基づき、出来得る限り、怒られるスレスレの過激な言葉を入れたタイトルを付ける』のだ。
涙ぐましい努力である。
掲示板のまとめサイト、広告系やアフィリエイトは大体これ。YouTubeの動画タイトルやサムネなんかも。
加えてSEOの鉄板が『タイトルで記事の内容を説明する』やつ。
『インスタで超話題!韓国発コスメ○○について徹底解説!価格帯は?どこで買えるの?』みたいな。
こちらは尖ったタイトルではなく分かりやすさを重視したタイトル。
ユーザーにできる限りストレスを与えないために、目的の情報が確実に手に入りますよということをアピールするための手段だ。
先述の通りキュレーションメディアなら記事の内容はほぼテンプレ化しているので、他サイトとの差別化を図るためにはコンテンツの内容をニッチな需要まで埋めていくしかない。
コスメを中心に扱うサイトなら、日本や韓国、アメリカ、ヨーロッパのものだけでなくアゼルバイジャンの記事も作るとか。アゼルバイジャンに有名コスメブランドがあるのか知らんけど。
細かくニッチな情報まで抑えたメディアは信頼性が増し、”コスメならこのサイト!”といったブランドイメージを得られる。
これに加えてメタディスクリプションも本文と同じくらい重要な要素になるのだが、そちらは割愛。
タイトル設定にまつわるこの傾向はGoogleがウェブサイトに求めるユーザーファーストを追求しすぎた弊害というより、もっと大きなネット中心社会そのものの弊害だ。詳細は続きの項で。
タイトルはサイトの入り口で、製作者のクリエイティビティが最も試される場所であると私は思っている。
そんなタイトルが過激で過剰な煽り文句と紋切り型の記事の要約で埋め尽くされるのは、クリエイティブを殺すことと同義と言っても過言では無いと常々思う。
余談だが、この記事は元々『量産されたテンプレSEO記事ほどクソな文章はねえ』というタイトルだった。
言ってることとやってること全然ちゃうやんけ……育ちの悪さよ……
SEOにとどまらない、クリエイティビティが存在し得ない環境
私が『ネット中心社会そのものの弊害』と言うのは、この傾向がウェブサイトのタイトルにとどまらないからだ。
アマゾンで売られている商品なんかもそう。
タイトルだけで商品に関してより多くの情報が得られるようになっている。なんでタブレットのページなのかというと私が新しいタブレットが欲しくて調べていたから。どうでもいいですね。
ライトノベルもそうだ。
『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』を皮切りに、やたら長いタイトルが付けられた作品が多く世に出回っている。皆さんも聞き覚えがあるのではないだろうか。
現在アニメ放送中の『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』という作品は、もともとこの名前でウェブ連載され、それを『眷属たちの物語-ファミリア・ミィス-』と改題して賞を受賞、そして名前を元に戻して出版という経緯をたどっている(はずだけど記憶に自信はないので気になった方はご自身で調べてみてください……)。
作品の世界観を表すならば『ファミリア・ミィス』の方がふさわしいが、前者の『ダンまち』で世に出回り、映画化もされるほどのヒット作となった。俺も好き。めっちゃ面白いよ。
なぜこんな傾向があるのかというと、『コンテンツ過多の現状で一人でも多くの人の気を惹くため』である。普通のタイトルじゃ手に取ってすらもらえないのだ。
ライトノベルなんてまさにその典型例である。さらにコンテンツに溢れたネット小説ともなれば…もう酷いものだ。
要するにSEOと全く同じ状況である。可処分時間の奪い合いというエンタメコンテンツの観点からすると、SEOよりも酷い状況と言っても過言ではない。
だからこれはSEOに限った話ではなく、コンテンツ過多を促進しているネット社会によって生み出された弊害なのである。
あくまでこれは”弊害”でしかなく、ネット社会が我々にもたらす恩恵の方がはるかに大きい。なので今更私が「ネット社会はこういうところが悪だ」と声高に叫んだところで、この傾向が覆ることはないだろう。
文句ばっかりだなお前は、じゃあどうしたいんだよ
どうしたいかなんて簡単だ。テンプレ化したSEOではなく、本当に良い文章が正当に評価される仕組みを作りたい。
もちろんテンプレ化されたSEOがダメだと言っているわけではない。得たい情報を正確に載せたメディアは貴重だし、テンプレもより正しく、より伝わりやすくを追求した形なのだから、こちらもメディアを作り上げた労力やライターの持つ知見に比例した正当な評価を受けるべきだ。
特に専門企業が提供するオウンドメディアは知識に溢れている。普通に生きていたら一生触れる機会のなかった知識をタダで得られるのだ、こんなに素晴らしいことはない。
そんなことはSEOライティングをやっていた私自身が一番よく分かっている。
ただ一方でテンプレで溢れ返った現状はクリエイティブの芽を潰している側面がある。そこだけを変えたいのだ。
もちろん、ネット社会を作り出した『クリエイティブの体現者』であるGoogleが現状を手をこまねいて見ているだけであるはずがない。検索のアルゴリズムは時々変わるので、より『良い記事』が評価されるアルゴリズムを作り出すはずだ。そうだと信じてる。
でもそれは今私が現状を変えるために何ができるかを考えることを止める理由にはならないし、Googleに甘え続けるわけにもいかない。
だから色々考えているのだが、まあ何もプランが浮かばない。そりゃそうだ。私よりもっと頭いい人たちが私より先に考え続けてることなんだから。
私程度で思いつくのはせいぜいがマイナーチェンジでしかなく、フルモデルチェンジにはなり得ない。ユーザーの認識を変えてしまうという方向でも考えたが、楽をするために努力をするのは人間の習性だ。今更どうこうできるもんじゃない。
メインストリームに逆らう、いわゆる逆張りを成功させたいならば、誰よりもメインストリームに詳しくなければならない。作家の傍らでSEOライティングをやっていた私ではこの程度が限界だ。まあ考え続けることだけはやめないんですけど。もっと勉強が必要です。
私は井上織姫ではないから5回とも同じ人を好きにはならないが、たぶん5回とも同じことを考えて深夜にパソコンをカタカタしているだろう。
要するにこのnoteで何が言いたいかというと。
テンプレ化されたSEOはクリエイティブじゃないから嫌い!
現状を変えるためにしなければならないことは、全く分からない!
この二行だ。
5000字使ってそれだけか!
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