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オープン・ザ・ドア その前に。

こんにちは。
前回の記事が初投稿でしたが、いいね、フォローまでしてくださった方々、ご関心ありがとうございます!

前回の引き続きですが、前回は”価値はやってくる”というテーマの話をしました。これはもう少し記事にそぐわせて言い換えるのなら、オープン ザ ドア とも言い換えられると思います。では、自分が情報提供をする側に回っても良いかなと思えた、心境の変化がどこからやってきたのか、これを
『オープン・ザ・ドア その前。』に という表現に変えさせてもらっています。

私は、良い情報があればそれがより良質なものであるのなら、それを独占しておいた方が良いのじゃないか という考え方が、どういうわけか こびりついていたと前回の記事にあげました(この こびりついた理由も、この記事の中でスポットが当たると思います)。

析(さ)いて考えてみると、私の心境の変化に大きな影響を与えたと思うのは、私が触れる情報でした。以前までは情報に対して(自分の研究分野は除く)、あまり関心を持っていなかったのですが、昨年に自分が摂取する情報についてを見直す機会がありました。一般的な新聞やTVニュース、携帯ニュースなど手軽なニュースで満足していた自分が、意識的にちゃんとした情報を入手しようとしたのです。そのとき初めて研究で使っていたリサーチ力を活かした情報取得を研究分野外で用いるようになったわけです。ネット・SNSの情報発信者たちは実に玉石混交といったあり用で、だいぶ苦労しました汗(このときの話は、また別の記事にお話できたらと思います)

苦労しながらも、私の中で(頭で考えて)”ちゃんとした”情報を集められるようになりつつある中で、非常に良質な情報を発信する方達の情報に触れられるようになっていました。良質な情報を発信する方達は、さまざまなメディアにいらっしゃいますよね。ブログ・Youtube・ twitter(X)など さまざまなところで。本当に有益な情報を丁寧に発信していらっしゃいました。フリーで提供する方達も非常に多かったです(有料だからどうだ、無料だからどうだという差別のつもりはありません汗)。そうやって、良質な情報をフリーで提供してくださる方々の情報に触れる中で、自分自身も、良いものを提供しようとする姿勢に感化されたようです。自然と、自分が情報を自分が握り締めるよりも、発信する側に回っても良いかなと思えたんです…! 
これって不思議なことだなと思いまして。自分に対する無理がなかったのです。良いものは良いから、それを提供したくなる。よくたとえで、美味しい食べ物を人にも教えたくなるという話がありますが、正しくそういう状態。

ここから、私が思えたことは、自分の周りをどれだけ良い情報に囲ませるかが重要ということでした。自分を良質な”モノ”(人・情報・コミュニティーなど)に置くことができるかで、その”モノ”を提供したくなる姿勢が育まれていくのではないか。しかし、その逆も然りです。自分の周りが杜撰な”モノ”で覆われてしまうと、情報を握り締めるようになってしまう。さらには、杜撰な”モノ”に囲まれていると、クレクレ君に変化するんじゃないかと推察するようになりました。私が冒頭で書きましたが、良質な情報は握りしめていたくなっていたのは、自分が良質な情報に囲まれていなかったことだと思いますし、もっと言うのなら自分が思っていた情報が良質な情報ではなかったということだとも言い換えられそうです。オープン・ザ・ドアも大事ですが、その前の過程も大事なので記しておきました。


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