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指揮についての忘備録

「指揮者は難しい」と、ほとほと思う。
今年は特に、指揮する機会や指揮の指導をいただくことが多く、やればやるほどにその難しさを痛感している。

以下、自戒のための忘備録として記しておく。

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指揮者の通る3つの段階

ブルーノ・ワルターのごく短い論文『指揮について』では、指揮を続ける者は必ず3つの段階を経ると書かれている。
うろ覚えではあるが、概略はこのような感じであった。

① 第1段階

まず初めの段階では、棒を振れば楽団がそれに合わせて音を出してくれ、音楽を変化させてくれる指揮の魅力にハマり、「指揮なんて簡単だ」、「私は生まれついての指揮者なのだ」と錯覚する。錯覚ではあるが極めて本質的な段階でもあり、この錯覚がない人は、その時点で指揮者には向かない。

② 第2段階

次に指揮の難しさやその責任の大きさ、奥深さ、自身の未熟さを徐々に認識し、自信を喪失していく。「あそこで行われている楽団員たちのひそひそ話は、おそらく私への批判や嘲笑なのだ…」などと思い始め、楽団の前に立つのが怖ろしくなる。この段階でほとんどの人は指揮をやめてしまう。

③ 第3段階

それでも自他諸々の事情により指揮を続け、勤勉や経験により知識や技術を徐々に得ていき、大変さや難しさの中にも、それ以上に楽しさややりがいを見つけながら、安定的な指揮者としての信用と地位、自信を得て、持続的に成長していく。

指揮者に必要な要素

次に、私の拙い経験から、指揮者に必要な要素を挙げてみる。

① 確かなバトンテクニック

バトンテクニックには古今東西いろいろなものがあり、一概にこれといったものはないが、名著『指揮法教程』は必ず一読、できればこれを使ったレッスンや修練をおすすめする。
美しく、見やすく、音楽的なバトンテクニックは、演奏者たちからすれば何よりも合わせやすいメトロノームである。
これはある意味皮肉だが、その役割は決して小さくない。見づらい指揮は、それだけで苦痛であるし、音楽の成立を破壊する。
指揮の世界には「まず演奏者の邪魔をしない」という言葉もあるくらいだ。自戒も含め、実際に演奏者の邪魔をしている指揮を何度も目にしたし、実際私も知らず知らずのうちにやってしまう。
「振らない方がまだマシ」、「見ない方が合う」などと陰口を叩かれないよう、気をつけたいものである…。

② 豊かな音楽理解力

指揮者の役割の大きなひとつが「音楽の交通整理」である。音楽が持つ価値をしっかりと表しつつ、よどみなく流れていくようにすることが大切だ。
そのためには、前述したバトンテクニックと同時に、音楽に対する豊かな理解力が欠かせない。
指揮者のみが、自ら音を出さずに、全体を俯瞰して鑑賞できる立場にある。そのため、音楽再現において問題となる箇所の解決法や、よりよい音楽表現のための方法を提示して、部分と全体を完成へと導かなければならない。
大きくは、
・音楽の構造への理解
・音楽表現への理解
・音楽史や様式にたいする理解
という3つの音楽理解が必要になる。
「指揮者は音楽の総合職」という言葉を、最近耳にした。まさにその通りだと思う。
そして指揮者の難しさは、それをバトンテクニックや言葉を通じて、音楽表現に結びつけることにある。ただ知っているのみならず、それを伝え、音楽に変化や発展をもたらさなければならないのだ。

③ 人間性、人間力

音楽と直接的な関係はないが、ひょっとすると一番大切な要素かもしれない。
人としての常識や礼儀はもとより、立ち居振舞いや話し方、リーダーシップ、ユーモアなど、音楽以外の人間的魅力は指揮者にとって欠かせない要素である。
ブルーノ・ワルターの次のような言葉がそれをしっかりと表している。
「オーケストラはいくつもの頭を持ったドラゴンです。特に経験の少ない指揮者は、自分より音楽的にはるかに経験があり、能力的に優れた音楽家たちを相手にすることもあるでしょう。ではそのような人たちはオーケストラを指揮することができないのでしょうか?そんなことはありません。その秘訣は実に、その指揮者の人間性によるのです。指揮者が人間性にあふれ、謙虚で礼儀正しければ、オーケストラはいつでも、その指揮者の言葉に、真摯に耳を傾けるでしょう」

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