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HYDEの歌に一夜の甘い夢を見た(正確にはふた晩見た)

HYDEというアーティストが今もこれ程精力的に活動していることを、ファン以外の人は知っているんだろうか?

少なくとも私は8年ほど前に曲を聴き始めるまで、ソロ活動をしている事も知らなかった。

ひたすら悶々を綴る

活発に動くことがあまり良しとされないようなこのご時世に、去年後半だけでオンラインフェスやテレビ局のフェス出演、ゴリゴリにハードなシングルを立て続けにリリース、更にZeppでの有観客ライブ5日間開催と、大御所と言っていい立ち位置だし守りに入っていいだろうに歩を緩めないHYDEのことがたまに怖くなる。最近は「今は終活のようなもの」と終わりを見据えた発言も多いけど、終活という言葉から連想する静けさは全くHYDEからは感じられないし、ある日突然消えてなくなってしまうのではと不安になるくらい常に全力だ。

さらに年を跨ぎ全国7都市を回るツアー開催が発表になった時は、前回のライブ開催時のように素直に喜べなかった。ソロ20周年とはいえもう先へ進むのかと驚いたし、置いていかれた、と思った。

限界だった。息子の通う学校や夫の職場での感染者発生、好きな旅行にも行けず遠方の友達と会う約束もいつ果たせるかわからないまま宙ぶらりんだ。その一方職場には連日県外から客が訪れてくる矛盾。今思えば、そんな恨み辛み全てをHYDEのライブに行けない、という悔しさにすり替えていたような気がする。

自分はこの状況に順応できていると思っていた。でも、秋頃から常に呼吸が浅いような胸苦しさがなくならず、それをやり過ごす為のため息が癖になっている。

配信ではもうだめだ。内臓に響くリズム隊の低音や空気を震わせて身体に届くHYDEの伸びやかな声、hicoの本領発揮であろうジャジーなキーボードの音の粒が触れることができそうなくらいはっきりとHYDEの声のまわりを舞うのを、現地で見たいと渇望してしまうだけだ。

国際フォーラムのライブを両日配信すると知ってチケットは購入したけれど、行けない悔しさが消化できない。

フォーラムでHYDEのアコースティックライブをいつか観られたらと思っていた、それがどうして今なのか。こんな状況でなければ生まれなかったライブ形態だからどのみち自分には縁のない場所だったのだ、配信で観られるだけありがたいと思いたいのに割りきれない。日常では吐き出せず離れたはずのTwitterに見苦しい呟きを垂れ流しているうちに、ライブ前日のHYDEの誕生日になった。

毎年恒例の、1月29日になったとたんにTwitterに溢れる愛に満ちた祝福のメッセージやイラスト、さまざまな作品を眺めていたら、少し心がほぐれたような気がした。どのみち夕食時だし見逃し配信の期限も短いからじっくり鑑賞することも叶わない、ながら見をすれば悔しさを感じるほど気持ちも入らないだろうか。

KISS OF DEATHが景色を変えた

結局リアルタイム配信は、初日は前半パソコン後半プロジェクター、2日目は息子がドラえもんの主題歌を口笛で高らかに奏でたりしているそばで途中までプロジェクターで観た後、夕食の用意をしながら音だけ聴いた。まさか国際フォーラムでたった今演奏している儚いevergreenをパスタを茹でながら聴く日が来るとは思わなかった。息子がスクリーンの前に座る私に小さな声で「母ちゃん最前列で見てるね」と言ってきた時は少し泣けた。

こんな達観したようなことを呟いたけれど、実際は客席が映れば胸が痛む。天井の高い会場はどんな風に音が広がっていたんだろう。大好きな新曲DEFEATの気だるさと凶暴な色気をはらんだアレンジに興奮しつつ同時に沸き上がる苦い感情。よくここまで辿り着いたね、というHYDEの言葉に疎外感を感じる自分にはいいかげん嫌気がさしてやっぱり観るのを止めようかと思った。

それでも観た。

(両日の感想が入り乱れてます)

MISSIONの厚みのある音とゴスペルみたいなコーラス。途絶えそうな鼓動を思わせるドラムとキーボードのみの伴奏の中でのウィスパーボイスが新鮮なevergreen。その他の曲も技術に裏付けされた遊び心に満ちていて眩しかった。そして、KISS OF DEATH。

ダーリン運命が血管を走るよ

恋に落ちる瞬間をこんなにも鮮やかに瑞々しく綴るのか、とHYDEの歌詞に改めて衝撃を受けた曲。

それが、EPOやナイアガラレーベルばりの80年代サウンドにアレンジされてシュワシュワと弾けるような音で耳に届く驚き!それでもHYDEのHYDEたる所以のブレス強めの一語一音を力むように絞るように発声する歌い方と幾重にも重なっているように聴こえるオリジナルな声が乗ると、80年代ポップスが不思議な歪み方をして平衡感覚がなくなりふわりと異空間に迷い込む。

これはHYDEが見せてくれる夢だと思えばいい。会場でリアルに音を浴びるでもなく、お茶の間で音楽番組のように楽しむのでもなく、今このひとときだけは通常のライブではありえないHYDEのレアなパフォーマンスに溺れていればいい、夢なんだからこんなシュールな状況も仕方ない。そう思ったら見える世界が色を変えた。

続くVAMPSの代表曲のひとつ、DEVIL SIDEに更に深く高く夢に墜ちた。どの時代ともどの国とも知れない、その店に行けばいつも彼が歌っている、そんな空間の扉を開いたような。濃く甘い、でも毒を含んだ液体のように絡みつくジャジーな歌とアレンジがたまらなく心地よく、背後からのショットではあったけど2日目の花びらをハラリと放つような投げキスには柄にもなく悲鳴を上げた。人によっては失笑モノのそんな仕草が様になるHYDEの二次元的なキャラクター性に改めて気づかされる。

VAMPSのライブではいつもフロアに歌わせていたサビの最後を「…Your devil side」とこれ以上ないくらい甘く歌うHYDEは、短髪でモッズコートを着た少年のような姿なのにまるで禁断の果実を差し出して誘う美女の姿をした悪魔みたいだ。

今の私には、いつかまた前のようなライブができると信じてこのコロナ禍を生き延びようと先頭切って走るHYDEは強すぎて受け止めきれなかった。だから、この2曲に酔いしれる、それで充分だ。そこに甘えるのが精一杯だったけれど、やっぱりこの人の歌が好きだと思った。

夜、息子が寝た後にもう一度観た。視聴期限23時59分と番組情報に記載されていたから全編は観られないかと思ったら、その時間までに視聴開始すれば時間を過ぎても最後まで観られたようで、両日落ち着いて見直すことができた。

深く刻まれた目元や額の皺がはっきりと見える高画質は、表情がよくわかる。短く切りすぎた髪の為に小ささが際立つ顔の輪郭にアンバランスなほど大きすぎる目がくるくる表情を変えるのが全て見え、前回のライブの光に溶けそうな美しさはすっかり消えていた。そして、ブルージーというか泥臭いフォークロックみたいなZIPANGは好みではなかったけれど、52歳の中年男というまるでHYDEになかった要素を感じて驚いた。総じて感じたのは「年齢不詳の妖しく美しいHYDE」ではなく楽しませてやるという自信に満ちた「年相応の魅力に溢れたロックミュージシャンHYDE」だった(それでも可愛らしさが同居する不思議)。

ソロ初期のストレートでキャッチーな曲、HELLOを崩壊寸前までふざけて演っているのを苦笑いで眺めていたら

信じていて

あともう少しでそばへゆける

君の

とカメラに向かって手を差し伸べて笑顔で歌われて、気づいたら涙が溢れていた。無理だよ、と思う。今は無理だけれどHYDEがそう歌っていたと胸にしまってしばらくやってみるよ、と思う。

ずっと第一線で作品を生み出して、こんな世の中でもペースを落とさず活動し続けているHYDEに狂気じみたものさえ感じる。まだ見たい景色がある、まだ見せたい景色があると貪欲に求め、手に入れるまできっと歩みを止めないんだろう。…こんな世の中だからこそ、か。

今は足場を守ることに必死で、こんなにステキなライブを素直に受け入れることができない自分が不甲斐ない。

けれど、彼はきっとこうやって歌い続けている。常に眩しく光って先を照らしてくれている。

それだけは信じられるから。でもそれは永遠ではないから。

いつかまた、会いに行きたい。


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