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複雑に見える現象を単純化する能力

システム設計をする機会が多いからか、物事を誰にでも理解しうるほど細かく砕き実行に移すことがどうやら得意らしい。
ある程度の教育を受けてきたものなら誰にでもできることだと思っていたが、そうでもないらしい。

専らコーディングが好きなんだけれどもその理由として、よー分からんかったことをある程度理解して思った通りに動かせたときの脳汁ブシャーが癖になってるからってのがある。

ほんで、ある程度理解して思った通りにうごかすっちゅーことは自分がどう動かしたいのか、どうすればイメージ通りに動かせるのか、そのために何を理解していないのかを理解する。みたいな複数のステップを踏むんだけど、そのステップの踏み方が日々洗練されているなとは感じていた。
これを日常生活の随所でできるかできないかってのが意外と大事らしい。
感情に任せて行動したいときはこんな事いらないんだろうけど、理性を持って行動したいときは大事だよね。

何かを始めるとき、何かに挑戦するとき、何かを学ぶとき、全部この
「目標を捉え、段階を考え、自分の位置づけを認識する」
ってステップを踏んで、あとはこなすだけ。(割ける時間が∞ならば。)
教育課程で間接的に教わってきたことだし最低限みんなできるんだけども複雑性が増した瞬間に一気にできなくなる。
脳のキャパオーバーって感じ。

例えば、火星人の言語で書かれた文書を理解するとしたら、「段階を考え」ってステップで思考放棄。
そりゃちょっと考えるだけでもえげつないほどの仕事量が待ってることなんて容易く想像つくから。
本気で目標を達成したかったらそこで停止することはないんだろうけど。

ん、待てよ、気づいてしまったかもしれない。
結局は本気度なのかもしれない。

思考放棄するくらいならそこまで熱量もないのか。
諦められるくらいならさっさとやめちまえ、だもんな。

そんなもんか..

子供のためとか親のためとか、なんかしらのためだと何でも成し遂げられちゃう、みたいなのもあるし、結局本気度か。な~んだ。

でも本気度が十分でもどうしてもできないっていう知的な問題を抱えるパターンもあるだろうからその解決にどうアプローチできるか。
テクノロジーの発展でその最低ラインはかなり下がっているのだろうけどまだ下げられると信じて学びを続けるのであった。




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