土屋和真

ただのエンジニアです。

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最近の記事

複雑に見える現象を単純化する能力

システム設計をする機会が多いからか、物事を誰にでも理解しうるほど細かく砕き実行に移すことがどうやら得意らしい。 ある程度の教育を受けてきたものなら誰にでもできることだと思っていたが、そうでもないらしい。 専らコーディングが好きなんだけれどもその理由として、よー分からんかったことをある程度理解して思った通りに動かせたときの脳汁ブシャーが癖になってるからってのがある。 ほんで、ある程度理解して思った通りにうごかすっちゅーことは自分がどう動かしたいのか、どうすればイメージ通りに

    • 現実空間と仮想空間を使いこなす

      今後は現実, 仮想空間を織り交ぜた4つの空間を仕事, 趣味, 恋愛に使いこなせる人ほど幸福度が高い人生を歩めるのではないだろうか。※趣味には勉学, スポーツ, 文化的活動を含める。 4つの空間とはR, VR, AR, MRを指す。 Reality(現実)みんなが馴染み深いこれまで生きてきたフィジカルな空間。 VRに比べてはるかに情報量が勝り, 現段階では味覚と触覚, 嗅覚において圧倒的優位性がある。インターネット利用によりサイバー空間も使いこなしている。宇宙空間の利用もま

      • ストレスがかかる状況でスイッチオン!

        何らかの作業をするにあたって家に居る時はやる気が出ないのに電車に乗っている時にはやる気が出る。 なんて事ありません? 例えば、スマホで調べ物をする、読書をする、英語学習をする、etc… 今回はこのストレスがかかる状況においてやる気が出る作用を上手く使いこなしましょう!ってお話です。 やる気と作業のマッチやる気が無くても出来る作業、やる気が多少無ければ出来ない作業、やる気MAXじゃないと出来ない作業。 得意不得意のように、人によって分けられるかと思います。 得意でもや

        • アイデアが生まれるタイミング

          今回は自分なりにアイデアが生まれるタイミングに関して綴っていきたい。 タイミングの羅列で終わってしまう危険性が秘めているテーマだが、関する事をつらつらと書きたい。 僕がよくアイデアが浮かぶと感じるタイミングは3つある。 ①浴室にいるタイミングシャワーを浴びている、身体を洗浄している、湯船に浸かっている。 これら浴室にいるタイミングでふと閃く事がよくある。 リラックスしている上に軽く刺激がかかり深く考えてはいないからか、パッとアイデアが出てくる事があり、次々と思い浮かん

        複雑に見える現象を単純化する能力

          飲料水としての水道水

          集中力や気分転換の為に数分に一度は水分を取りたい上に健康にも良いという研究をよく目にするので一日たくさんの水を飲みたい僕なのですが、一日2L以上の水を飲んでいたら、ゴミは出るわ、運ぶのはめんどいわ、置き場所でスペースを取るわで嫌な事が多くて、、 なんてなってたわけでどうしようかと思っていた時期がありました。 同じような経験をした方、今そんな状況の方、どーでも良くなった方、いらっしゃいますかね。 そんなとき本屋をぶらぶらしていたらたまたま勝間和代さんの本が目に入り、気にな

          飲料水としての水道水

          盛り上げ役の苦悩 ~ムードメーカーの真価~

          今回は組織内の盛り上げ役の苦悩について語りたい。 自分が組織内で盛り上げ役に回る事が幸いにも多いのでふとこのテーマが思い付いた。 人間誰しもバイオリズム的に気が乗らない時があるはず。 だからこそ大事な場面でチームのパフォーマンスを最大限に持ってくる役目である盛り上げ役は大事。 しかし!あなたが自分自身を盛り上げ役ではないと考えていたら想像してみて欲しい! 自分の気が乗らない時に自分以外の複数人のテンションを上げるなんて苦行やってのけますか? 自らが落ち込んでいる時に自

          盛り上げ役の苦悩 ~ムードメーカーの真価~

          『今回だけは特別に』という魔法の言葉

          『今回だけは特別ですよ』 こう言われて何かイレギュラーなサービスを受けた事がある人は多いのではないか。 反対に、ルールで決まってる事と少し違うけど断る程でも無いからいいかと、この魔法の言葉を使ってサービスを提供したことがある人も多いのではないか。 イレギュラーを起こす自分を納得させる為だけのこの言葉ではあるが、頭のオ堅い人との交渉でこの魔法が効いた時は何かと嬉しい。 たったコレだけの言いやすい言葉を駆使するだけで自分の要求が通せるなんて時は多々ある。 良くも悪くもル

          『今回だけは特別に』という魔法の言葉

          『最後までやりきる』への疑問

          巷では『最後までやりきれ』『途中で諦めるなんて情けない』などと最後までやり抜ける事への美徳を説かれる事が多々あると思う。 実際、やり続ける事で得られる能力や経験、やり抜いた事で得られる達成感や満足感を得る事は人が生きる上で一つの糧になる事は確かだと思うが、ここで一つ疑問が浮かぶ。 『最後まで』の『最後』とは全員共通では無いし、揃える必要も無いのでは? 『お前は途中で辞めて情けない』 と誰かから言われたとしよう。 そもそも何かに取り組み始めた時点で何かを得た。 そして他人

          『最後までやりきる』への疑問